10月10日(木) 秋休み①
「――はぁー、疲れた……」
そろそろ日も傾こうかという時間帯。
出勤してからおよそ九時間、座りっぱなしの作業に身体は悲鳴を上げ始め、私はグッと背伸びをしました。
椅子の背もたれに体重を預け、胸を張るように背中を反らすと小気味良く骨が鳴ります。
「…………暇ですねー」
今度は机に肩肘をつき、ポツリと漏れる私の呟き。
もちろん、まだまだ仕事は残っているのですからそんな訳はないのですが、そういう意味でもないと言いますか――ちょっとした小休憩に何かないかなぁ、と思う所存。
何となく目を向けた先には、開かれた窓から少し茜がかった空を覗くことができ、一緒に部活動に励んでいる生徒の掛け声や笛の音が届きます。
「……あっ、そうですね」
そこで、良い案を思い付いた私。
トイレに行くフリをして職員室を抜け出せば、逸る心を抑えて、されど軽快なものとなっている足取りには気付くことなく、上機嫌に目的の場所へと向かうのでした。
♦ ♦ ♦
やって来たのは、校門の外。
道路を挟んだ向かいに存在する、一つの大きな建物。
そこへ近づくにつれて、キュッキュッと何かが摩擦で擦れる音とポンポンとえも言われぬ謎の弾む音が響いてきました。
バドミントン部が活動している第二体育館――その開かれたドアから顔を覗かせ、私は中の様子を窺います。
「そらくんはー…………あっ、いました。……かなたさんも一緒みたいですね」
左右に分かれたコート、その左側の一番奥――手前から四番目の場所で彼は練習をしていました。
でも、トレーニングというよりは練習試合のようなものでしょうか。
同じく私の生徒である畔上くんと打ち合いをしており、また、近くではかなたさんがノートに何かを書き込みながらシャトルの行方を追っています。
「さ、三枝先生……?」
そんな折、背後から声が。
振り向いてみれば、唯一姿の見えなかった私の生徒――菊池詩音さんがそこに立っていました。
「……何をしているんですか?」
訝しげに、頭だけを覗かせた私に尋ねる彼女。
だけど、言えません。「仕事が疲れたから、抜け出して
私の、教師としての沽券に関わるものです。
「いえ……ちょっと、見回りに……」
こんな時間に、しかも特別な役職を持っているわけでもない私では少し苦しい言い訳ですが、何とか躱す術はあります。
「先生が、ですか? ……珍しいですね」
「え、えぇ……まぁ、今回限りの代理ですから」
「へぇ、そうなんですね」
その場限りもいい所ではありますが、教師の内情を知らない以上は否定することができない。
納得してくれた彼女に何とか安堵しつつ、見学に戻りましょう。
「――――あっ……」
ともすれば、何かに気付いたように菊池さんは声を上げました。
「……………………? 菊池さん、どうかしました?」
「えっと……かなちゃんが…………」
……かなたさん?
言われた通り、件の人物へと目を向けると、何故か親の仇でも見るかのような目付きで私は睨まれていました。
これには、さすがの私も苦笑い。
あの子も相変わらずですね。
「……大事な幼馴染を贔屓するのが、そんなに気に入らないのでしょうか?」
まるで、気に入った玩具を取られまいと威嚇する猫のようで、少し可愛いです。
「き、気付いていたんですか……先生」
「ふふ……もちろんです。あの二人のことに関してなら、貴方にも、畔上くんにだって負けませんよ」
教師的には、一部の生徒に固執するなんて御法度なのですが、見守ってきた年季が違いますから。
少しくらいは、気持ちの寄り幅が傾いても仕方ないですよね。
「せ、先生は彼氏さんがいました……よね? なのに、その…………じゃあ、蔵敷くんのことはどう思っているんですか?」
彼、氏……?
……あぁ、ゆうくんのことですか。
そういえば、菊池さんには見られていましたね。
「…………弟、そして妹みたいなものですよ。私たちにとって、彼らは」
可愛くて、心配で、行く末の気になる、見守るべき対象。
「だから、その点では愛してると言っても間違いではないのかもしれません」
とはいえ、少し話し過ぎました。
ここだけの話であるよう、そして誤解のないように、唇に手を当ててこう付け加えます。
「――でも、それはもちろん、貴方たちよりもほんのちょっとだけ傾ける量が多いだけ……ですから。ね?」
さて、二人の様子は確認できたことですし、もう充分でしょう。
私も仕事に戻らなくては。
踵を返し、校舎へと戻る私の背中に菊池さんは声を掛けてきました。
「せ、先生は二人とどんな関係なんですか?」
……何と答えましょうか。
彼らの過去を知っている彼女には話してもいい気がしますが……。
「――いえ、止めておきましょうか」
これはあくまでも彼らのお話。
なら、本人たちが心を開いて話すまで、私たちは待つべきです。
「知りたいなら、その二人に聞いてください。貴方たちは、あの子たちが唯一『親友』と呼ぶ存在なのですから」
当時は人との関わりを切ろうとまでしていた彼らが、結んだ無二の関係。
なら、どうか私ではなく、あの子たちに踏み込んでほしいと――そう願いながら。
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