9月3日(火) えっさっさ

「おらぁ! そこ、声が小さい!」


 飛び交う怒号。


「もっと力強く腕を突き出せぇ!」


 許されない甘え。


「よっしゃ、もう一回最初からや!」


 無慈悲な発言を聞き、しかし誰も文句を言うことはない。

 右足を引き、左足は直角に曲げて上半身を預けるように前傾姿勢。左腕は曲げたまま額の近くにキープし、右腕を天に突き上げるように伸ばした。


「――始めっ!」


「えーーーーーーーー――」


 掛け声とともに発声し、同時に掲げていた腕を地面を抉るように回して、また天へ突き上げる。左腕は後ろに。


「――っ、さーっさ! えーっさーっさ!」


 そうして、左、右と拳を前に突き出した。


「えーっさ! えーっさ! えーっさーっさ!」


 何度も、何度も。

 力を込めて、声に合わせて、ただひたすらに前へ突く。


「えーっさ! えーっさ! えーっさーっさ!」


 それを三セット。

 繰り返し突き続ければ、再び最初の前傾姿勢。


「えーーーーーーーー――」


 休むことなくもう一周。

 上半身を裸に、むさ苦しい空間の中で男たちは声を出し続ける。


 これが、これこそが、我ら二学年が行う学年の出し物――『えっさっさ』であった。



 ♦ ♦ ♦



「あー、くそ…………ダルい」


 休憩時間。

 壁に寄りかかって座った俺は、用意していた飲み物を呷り、不満を漏らしていた。


「そうだな、結構大変だ」


 返事をしてくれたのは翔真だ。

 爽やかな口ぶりであるがその額には汗が滲んでおり、この演舞の重労働さが伝わってくる。


 …………しかし、いい身体してるな。

 割れたお腹、健康的な白い肌。男から見ても惚れ惚れする体つきで、かっこいいったらありゃしない。


 ……こほん。閑話休題。


「いやまぁ、体勢的に辛いってのも一つの要因だけど……俺はそれ以上に、同じことを延々とやらされるのがしんどいわ」


 声を張り上げ、体を起こして、拳を突く。

 ただ、それだけ。


 でありながら、声が小さい、力が足りないなどと飽くことなく指摘は飛び、やり直しの日々。

 せめて、問題の生徒を名指しにしてくれれば、同調圧力で無理矢理にでもちゃんと演舞させてやるのに……。


「てか、そもそも『えっさっさ』って何だよ」


「さぁ……俺も知らない」


 学年一の天才でさえも、肩を竦めた。


 となれば、生徒の中に答えを知る者はいないと思っていいだろう。

 その名前と動き的に、博多どんたくみたいなどこぞの地域由来のものなのだろうが……皆目見当もつかない。


「――では、お教えします」


 突然に降りかかる声。


 誰だ? 誰だ! 誰だー。

 空の彼方に踊る影。白い翼の――。


 ――科学忍者隊はもちろんいるわけもなく、我らが担任である三枝教諭がそこに居た。

 いつもの笑みでニコニコの彼女は、何やら得意げに講義を始める。


「『えっさっさ』とは――日本体育大学の前期授業の一環である新入生特別活動で教えられ、習得した後は各部祝勝会等で凱旋として披露される――いわば、伝統的な応援スタイルなのですよ。しかも、考案されたのは大正時代後期で、その歴史はなんと八十年。すごいですね」


 へぇー、日体大の。

 そう言われれば、確かに納得するものはあるな。


 …………で、この人は何でそんなことを知ってるんだ?


「先生、やけに詳しいですね。もしかして、経験済みなんじゃ……」


 そこらへん、多感な男子高校生としては非常に気になるところだったり……。

 特に服装的な意味で。


「違います。そもそも、女性が行うのは『えっさっさ』ではなく『荏原えばら体育』ですし」


 …………なんだ、残念。


「じゃあ、その何とか体育の経験が……?」


「ないです。誰が、あんなけったいな踊りをするものですか」


 おい、この先生、いま『そんな』とか言ったぞ。

 しかも、『けったいな踊り』って……伝統はどうした。伝統は。


 あまりにも蔑ろな言い方に白い目を向けると、先生は身動ぎをして、こほんと空咳を吐いた。


「そ、それはそうと……二人ともなかなか良い体つきをしていますね。さすがは部活動生です」


 そして、露骨に誤魔化しにかかる。

 その強引すぎる手際に、思わず俺は呆れた顔を、翔真は苦笑いで返した。


「はは……ありがとうございます、先生」

「…………どうも」


 しかし、悪い気はしない。


「残りの一時間も頑張ってくださいね。お二人のカッコイイ勇姿を期待していますので」


 そうして、掛かる召集の声。

 担任に激励の言葉を頂きつつ、俺たちは再び陣を組んだ。

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