8月3日(土) 全国大会・シングルス・一日目・後編

 …………くそっ、強い……!


 第二セット目へと至るインターバル時間。

 タオルで汗を拭き、水分と摂りながら浮かんだ感想はそんなものだ。


 俺は事実上、蔵敷宙に勝った。たとえそれが誤審で、あのまま戦っていたらこっちが負けていたとしても、少なくとも限界まで追い詰めた。


 あの、畔上翔真に勝った彼をだ。


 なのに、どうしてここまで差が生まれているのか。

 第一セットの最終スコアは十七隊二十一。ミスらしいミスをお互いにせずして、この点差。


 それはつまり、今の俺と畔上翔真の力量差ということに他ならない。


「…………いや、弱気になるな。アレだけ練習をしたんだ。きっと調子が上がっていなかっただけで、ちゃんと戦える」


 悪いイメージは払拭しろ。

 流れを引きずるな。まずは一点だ。


 顔を叩き、ラケットを握ると俺はコートに入る。


「セカンドゲーム、ラブオール・プレイ!」


 主審のコールが響き渡った。


 相手のショートサーブを受け、ヘアピン。

 返しのロビングに対してカットを放ち、鋭くコート前に落とすも、読めれたようにヘアピンで合わせられた。


「ワン・ラブ」


 幸先の悪いスタート。

 だけど、ここで折れてはいけない。


 まだ、始まったばかりなのだから。



 ♦ ♦ ♦



 しかし、それ以降も流れは同じ。

 気持ちのリセットは思ったように上手くいかず、トントン拍子に十一点を取られ、早々に六十秒間のインターバルへと入ってしまった。


 ベンチに戻った俺は水分を少し摂ると、タオルを被って先程までのプレイを検討する。

 どこがダメだったか、どう動けばよかったか、次はどうすればいいのか。


 思い出し、解析し、シミュレーションを脳内で重ねて逆転の方法を紡いでいく。


 そんな時、試合中において基本的には何も言わない監督が一言、ポツリとこんな言葉を漏らした。


「――バドミントンはね、俯いてできるスポーツじゃないよ」


「……………………? 監督……?」


 それは、試合とは全く関係のない話。

 どこかのスポーツ漫画にでも出てきそうな、いかにもな台詞。


「だから、一度でいい……上を向いてみなさい。そうすれば、今まで見えなかったものがきっと見えるはずだ」


 何を、言って……――。

 そう思うけれど、切羽詰まった状況には変わりなかった俺は、藁にもすがる思いで言葉通りに顔を上げた。


 すると、そこには――。


「亮吾くーん! 頑張るっスよー! まだ、あと半分あるっス! 相手に十点取られる前に、十七点取ればいいだけなんスから簡単な話っスよ!」


 ――たった一人の味方がいた。

 しかも、敵チームのすぐ側で、臆すことなく声を張り上げていやがった。


「相手のサーブごとに二点取れば、それだけでお釣りが返ってくるっス! バカな先輩にも分かりやすい、単純な話っスね!」


「『言うは易く行うは難し』って言葉を知らないのかよ、アイツは……」


 あと、バカは余計だろ……。

 少なくとも、お前よりは成績良いぞ。


「……ったく、それにしてもアイツ、あんなに応援してたのか」


 全く聞こえな……いや、聞いていなかった。聞こうとしていなかった。

 一人で抱え込んで、一人で戦って、勝手に一人で潰れていた。


 ――亮吾くんの頑張りたいって気持ちは伝わったわけで、ならウチはどこまでも応援してあげるだけっスから!


 全国大会の始まる少し前に言われた、彼女の言葉を思い出す。

 それを律儀に、健気に、守ってくれていたんだな。


「コート四、二十秒! コート四、二十秒!」


 主審のコールが耳に届く。

 頭に掛けていたタオルをベンチに投げ捨て、コートに入った俺はラケットを彼女に差し向けた。


 琴葉……お前が俺を応援してくれるっていうのなら、俺はお前のために畔上翔真に勝とう。

 投げかけてくれる言葉に報いるために。


「…………こりゃ、手強そうだ」


 同じくコートに入った畔上翔真は、俺を見てそう微笑んだ。



 ♦ ♦ ♦



「いやぁー、物の見事に負けたっスね!」


 試合が終わり、会場を後にする俺と琴葉と監督であったが、その結果を思い出すように彼女はケタケタと笑っていた。


「しかも、第二セットも結局取れずじまいって……あの亮吾くんの決めポーズは一体何だったんスか!」


 いつまでも、どこまでも……。

 たった一人で爆笑の花を咲かせていた。


 それを許容しているのは偏に、俺が敗者だから。

 負けた者に言葉はない。ただ虚しく、その足で帰路につくのみなのだ。


 それ故に、彼女の『負けを笑い話に変えてやろう』という優しさをありがたく受け取っていると、隣を歩く琴葉の雰囲気が少し変わった。


「でも、まぁ――」


 そこで言葉を止めると、急に手を引っ張ってきたため俺は前につんのめる。

 何とか転ばぬように足を踏み出して堪えれば、下がった頭にそっと手が置かれた。


「――亮吾くんは頑張ったよ。……お疲れ様」


「……………………あぁ、琴葉も応援ありがとうな」


 これで、俺の夏は終わったのだ。

 奮起し、努力し、全てを賭けてきた一年があっという間に。


 だというのに――。


「――じゃあ、次は新人戦っスね! ウチもまた応援するんで、今度は負けないように頑張るっスよ!」


 彼女はもう、次を見ていた。

 終わった過去は吹き飛ばし、悩む暇も考える時間も与えてくれぬまま、次へ次へと発破をかけてくれる。


 だから思った。

 琴葉といる限り、俺はきっと……どこまでも強くなれるのだと。

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