5月17日(金) ストラップ喪失事件・解決編

 まだ空が僅かに白み、うっすらと霧がかった時分。

 空気中に含まれる水分が朝焼けに反射して輝き、ほんのりと冷えた空気がブレザー越しに肌を撫でた。


 誰もいない閑散とした校舎の中をコツコツと革靴を響かせていれば、この世には俺一人しか存在しないのではないか――そんな気分にさせてくれる。


 教室はまだ開いていないだろう。

 ならば、特別教員室に鍵を取りにいかなければならない。


 本来であれば、ノックとともに礼儀正しく入室するところであるのだが、今回に限っては何の躊躇いもなく引き戸を開いた。


 ガラガラと戸車の車輪は音を立て、目の前に広がるのは想定していた通りの光景。


「――やっぱり、アンタが犯人だったんだな」


 その手に光るのは真っ白な石のストラップ。

 突然の来訪者に、昨日も確認した落とし物ボックスへとそれを入れようとした体勢のまま、我がクラスの担任である三枝さえぐさはるか教諭は驚きの目をこちらに向けている。


 だがしかし、すぐに態度は元に戻った。

 いつものようににっこりと柔らかい微笑みを送られ、その胸元のポケットにはなんてことのないありふれたペンが刺さっている。


「あら、そらくん……お早い登校ですね」


「そんな誤魔化しは別にいいですよ。全部分かってますし、その手に持っているものが証拠ですし」


 一方の俺も同じように笑みを浮かべるが、果たしてどうだろうか。

 物事を冷静かつ理知的に見定める探偵のような顔ではない、もっと悪役じみた笑いをしているようでならない。


「全部分かってる――って、何をですか?」


 まるで、ミステリー作品のような展開と反応だ。

 なら、それに応えてこっちも推理を披露するまでである。


「この事件――菊池さんのストラップが消えたことですよ」


 ……まぁ、推理というにはお粗末な、単なる消去法的思考なんだけどな。


「発覚は移動教室後の戻ってきたタイミングです。それまでに教室に入ったのはかなただけで、菊池さん曰くそれより前に落としてはいないそうで」


「……それなら、かなたさんの方が可能性はあるのでは?」


「いえ、それはないですね」


 早々に至極真っ当な意見が出るが、そこら辺に抜かりはない。

 昨日のうちに調べた内容、そして今日のこの状況から彼女の身の潔白はすでに証明されている。


「実はかなたが帰宅したあと――部活終わりに俺はもう一度ここへ落し物を見に来たんですよ。でもその時に、そこにあるストラップはなかった。だとすれば、犯人は別にいるということになるんです」


「だからといって、私がその犯人になるわけでは――」


「――ペン」


 そう呟けば、僅かにだが先生はピクリと反応した。


「ペンが落ちてたそうです。そして、そのペンは俺たちが戻ってきた時にはなくなっていた。……これがどういうことか分かりますか?」


「…………かなたさんの後に、誰かが教室へ入ったのでしょうね」


 間を空けて告げられた答えに、俺は頷く。


「その通りです。なら、誰が入ったのか」


 質問形式であるが、それは半ば自問のようなもの。

 すぐに続けた。


「先生は『かなたの他に教室の鍵を借りに来た人はいない』と断言しました。それはすなわち、あの時間帯にずっと教員室にいたということ。他クラスメイトは言わずもがな、他クラスの先生がウチの鍵を借りに来るのもおかしな話なため可能性がないとすると……もう、候補は一人しかないんですよ」


「…………確かに、それは私しかいません」


 証言と状況判断、その二つをかけ合わせて選択肢を絞っていけば自ずと答えは導き出せる。


「でも、でしたら動機は何ですか?」


 いかにもな台詞。そして、見せ場。

 いよいよ、推理ものらしい展開に興奮は抑えきれない。


 乾いた唇をそっと舌で舐め、濡らせば、はっきりとこう告げる。


「――さぁ、知りません」


 その瞬間、空気は死んだような気がした。

 でもそれは、紛うことなき真実だ。


「というか、動機って必要ですかね? 辻褄が合って、それで証拠があるのなら推理は終わりな気がするんですけど……」


 嘘偽りのない、俺の本音だった。


「まぁ、それでも言えと言うのなら……翔真にプレゼント兼ストラップを貰った菊池さんに対する嫌がらせ――とかじゃないんですか? 若い先生からも人気、ってのは結構有名な話ですし」


 探偵は所詮、その場の状況と明確な証拠――それらを掛け合わせて辻褄を合わせる仕事に過ぎない。

 その過程で動機が分かれば万々歳。逆に、動機を見つけるのも、そこから犯人を特定するのも全ては警察の役割であると言えよう。


 アプローチの仕方が違うのだ。


「――正解ですよ、そらくん」


 そう思って先の発言をしてみれば、先生は遂に自白してくれた。

 思いのほかあっさりと、淡々と。


「……あっ、違いますよ。正解って言ったのはそらくんの推理にではなく、その動機についての考え方です」


 かと思えば、すぐに拒否される。

 というか、俺の心を読まないでほしい。まだ何も言ってないんだけど……。


「それにそもそも、そらくんの推測は間違ってますし」


「…………どこがですか?」


 挑戦的な発言――に俺には聞こえ、意識が切り替わった。

 再び思考を加速させていると、一方の先生はチャラチャラと手に持つストラップを降って揺らす。


「私、コレが畔上くんの贈り物だなんて知らないです」


「…………あっ……」


 そういや、公開情報じゃなかったっけか。


 自分が知っているから他人も――なんていう身勝手で、自分本位な解き方をしてしまった。

 それは謎を解く者としてありがちなことであり、そしてやってはいけないことでもある。


「第一、動機なんてコレを見ればひと目で分かりますよ? ……多分ですけど」


「……………………?」


 距離にして一メートル弱。掲げられたソレをジッと観察してみれば違和感を覚えた。


 やけに色の明るい場所がある、というか光沢が強いような――あっ……!


「留め具が壊れて落ちたから、新しいものに変えた……?」


「その通り、さすがはそらくんですね」


 パチパチと手を叩かれ、そう賛辞を送られる。

 が、どう見ても煽りにしか捉えられないのは俺の性格が原因なのだろうか。


「というわけで、これをどうぞ。私には良く分かりませんが、菊池さんにとって大切なものみたいですから」


 差し出すようにして指先に摘ままれたストラップは、自重でユラユラと左右に揺れていた。

 それと同時に、アレだけの話をしながらも未だに白を切る様子は、然しもの俺でさえ驚くものがある。


 ……まぁ、どうにも悪気はなかったようだから別にいいんだけどさ。


「はぁ、分かりました。なら、どこかの誰かさんが親切にも拾ってくれた――って言っておきますよ」


 下から片手でお椀を作るようにして手を伸ばすと、不意にその腕が掴まれる。

 引っ張られ、何とか片足を出して踏みとどまるが、前傾姿勢のせいでお互いの顔が近い。


「……それとさっきの、そらくんが想像していた私の動機についてなのですが――」


 ほんのりと立ち上るシャボンの香り。

 耳元を熱い吐息が掠めて自然と身を離したくなるけれども、それは物理的な繋がりによって絶たれてしまう。


「――私は、優等生よりもちょっとくらい手のかかる子の方が好みなの……ねぇ、そらくん」


 ギュッと何かを握らされた。

 同時に引かれていた腕も解放され、たたらを踏みながらむず痒い感触に冒された耳を抑える。


「……なら、真面目な俺には関係のない話ですね」


 咄嗟にそう返してみるも、表情は取り繕えずに歪んだ笑みを浮かべてしまう。

 だけど、そんな態度にも何も気にした様子はなく、先生はいつも通りの笑顔だった。


「そうですね。そらくんは真面目なんですから、きっとこの後から朝補習までの空いた時間にも、しっかり勉学に励んでくれると信じています」


 おぉふ……そう来たか。


「もちろん、一緒に登校してきた相方さんも……ね?」


 しかも、ばれてらー。

 さすがにこれは完敗だな。


「…………失礼しました」


 先生から握られた手とは逆――左手で壁に掛かった教室の鍵を抜き取ると、頭を下げてドアを閉じる。

 その陰、廊下に出たすぐ隣には聞き耳を立てるようにしてかなたが立っていた。


「ま、というわけだ」


 昨日の電話より、一緒に付いてくると言って聞かなかった幼馴染。その頭にポンと拳を乗せ、そして開く。

 硬質な感触に気付いたのだろう。落ちないように慌てて俺の手に自身の手を重ねるので、そっとそこから腕を引いた。


「あと、それは菊池さんにちゃんと返しといてくれよな。どうにも、落とし物として届けられたらしいし」


 先生に渡され、同時に俺が渡したのは、例のストラップである。

 これで目的は果たされた。全ては万事解決。


 だというのに、この悪寒はなんなのだろうか。


「てか、マジで早く来すぎたな。この後どうするよ?」


 これがいけなかったのだと思う。

 気のせいだろう、と。考えなしに、根拠もなく否定して放った言葉のせい。


「……んー、たまには真面目に勉強してみてもいいんじゃない?」


 ……………………は?


「……………………は?」


 心と現実の声とがリンクした。


「…………誰が?」


 珍しくも、にっこりと浮かべられた笑顔。

 長年連れ添っていれば、それが意味する内容は自然と分かる。


 だが、断じて言おう。

 俺は今回、かなたを不機嫌にさせるようなことは何もしていないと。


「――そら、が♡」




 追伸。


 このあと滅茶苦茶勉強した。させられた。

 でもまぁ、菊池さんは泣いて喜んでくれたし……それでいいか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る