May

5月1日(水) 映画館での思わぬ出会い

 やって来たのは映画館。

 自転車を走らせて博多駅まで来た俺たちは、併設された商業施設『アミューズプラザ博多』の九階へと訪れていた。


 端末を操作し、昨日予約しておいたチケットを発券すれば準備完了――とは言っても、この発券事態が上映開始三十分前に行わなければならないため、しばしの待ち時間がある。


「暇だな、どうする?」


 一人ならば適当にスマホでも弄って時間を潰せる。

 けれど今日は連れも一緒というわけで、尋ねてみた。


「んー、別に待ってれば良くない? 話したり、グッズコーナー見てれば、時間も過ぎるよ……多分」


「まぁ……じゃあ、そうするか」


 誘ってきたのはコイツだしな。

 全ての選択肢を任せようと思い、俺は頷く。


 とは言っても、展示物の数は少ない。

 また、どれもそこそこの値段をしており、ただのウィンドウショッピングにしかならなかった。


 ゆっくり全部を見て回っても、十分かそこらしか時間は稼げていない。


「…………あんまり欲しいものないね」


「だな。こういうTシャツなんかはちょっと心が動くけど、それでも金額がなぁ……。一応パンフレットなんかもあるけど、別に今回はいらないかな」


 二人してそう結論づけると、隣のブース――フード&ドリンクコーナーへ目を移す。


「しかし、ここもぼったくるよなぁ……。ドリンクの一番小さいサイズでも三百円、ポテトとセットで六百円。普通に文庫本一冊買えるっつーの」


「だよねー。……まぁ、買っちゃうんだけど」


「マジか、ブルジョワだな」


 実りのない会話に花を咲かせつつ、その場に立ち尽くす俺たち。

 どうにかして分けてもらえないかと画策していると、クイッと袖を引かれ、おわん型に形作った両手を差し出される。


「てことで、割り勘しよ?」


「なにが『てことで』なんだ?」


 意味不明な理屈に財布を出すでもなく言い返すと、少し頬が膨れた。


「だから、映画館のポップコーンって高いし量が多いでしょ?」


「そうだな」


「ドリンクもそこそこのペースで飲まないと、全部飲みきれないでしょ?」


「……まぁ、女性だと特に残りやすいかもな」


「じゃあ、割り勘して半分こにしよう!」


 なるほど。

 つまりは金銭的にも物量的にも、分けるのが楽だと。


「でもさ、ポップコーンはともかくドリンクはどう分けんの? 回し飲み?」


「だね」


 ……即答かよ。抵抗感はないのか。

 まぁ、今更と言われればそれまでなんだけどさ。


「…………はぁ、分かった。お駄賃やるから買ってこい」


 諦めて三百円を取り出すと、その手の平に置いてあげる。

 レジへと駆け寄る幼馴染の姿を横目に周囲を見渡せば、ふととある女性に目が止まった。


 ウェーブのかかった髪は揺れ、その色は茶色く彩られている。目元に見せた泣きぼくろは妖艶さと柔らかさの、二つの側面を醸し出していた。


「アレは…………先生、か……?」


 うん、多分だけど間違いないはず。

 昔からプライベート中に知り合いを見つけては、そっと避けてきた人生だ。その経験は伊達じゃないはず。


「どしたー?」


 その時、耳元に声が掛かる。


「何かあった?」


 見れば、商品を買い終わったかなたがドリンクと山盛りのポップコーンを差した大きなバスケット的な何かを抱えて立っていた。


「……いや、別に。向こうに待合席があるから、空いてるか行ってみようぜ」


「…………? うん……」


 俺たちと出会ったって、向こう先生も困るだけだろう。

 そう考えて遠くへと促すと、不審がりながらも付いてきてくれる。


「――てか、此処って来ても大丈夫なの? 関係者限定とかじゃない?」


 向かった先はフード&ドリンクコーナーのすぐ近くのテーブル――ではなく、そこから伸びた階段の先だ。


 下と違って照明もなく、ホテルの高級バーのようなほんのりとしたオレンジ色の明かりのみ。

 足の高い対面式の椅子や机、壁に面したカウンター風の席がポツポツと置かれており、かなたが心配するのも無理はないだろう。


「大丈夫だって。俺が何回一人で映画を見に来てると思ってんだよ」


 そのうちの一つに腰を下ろせば、渋々とかなたも商品を置いて同様に落ち着く。


「んじゃ、しばらくはこのまま時間を潰すか」


 周りにはチラホラと他のお客さんもいるが、ほの暗くて顔は見えない。

 劇場案内のアナウンスもどこか遠く、ここだけ隔離された空間のようだ。


 そんな落ち着いた空間の中、ほんの少し声を落として、俺たちは会話する。



 ♦ ♦ ♦



 上映開始十分前。

 ようやく劇場に入ることができる時分だ。


 持ってきた学生証と一緒に発券したチケットをスタッフに手渡せば、大まかなシアターの位置を教えてもらう。


 それを頼りに目的地までたどり着けば、今度は手元のチケットと見比べて座席の確認。

 正しく間違いのない席をちゃんと確保し、席間のドリンクホルダーに買った商品をバスケットごと差した。


「しかし、待ってる間にもちょっとずつ摘んでたから結構減ったな」


「うん、キャラメルと塩のハーフ&ハーフ……美味しい」


 ポップコーンは箱の三分の二、ドリンクは四分の三といい塩梅に減っている。

 ペース配分としては完璧で、これなら丁度いい感じに食べ終えられるのではなかろうか。


「――あ、すみません。隣、失礼します」


「あっ、はい。どうぞ」


 その時、すぐ横から礼儀正しい声が聞こえた。

 どうやら隣に座るようで一声かけてくれたらしい。


 ……って、待てよ。隣と言えば、昨日俺が競り負けた相手じゃねーか。

 別に文句があるわけではないが、顔立ちだけでも見てやろう。


 そう思ってこっそり窺うと同時に、俺は唖然とした。

 相手と目が合う。


「…………そら、くん?」


「……………………先生」


 姿は前もって見ていたのでそれほど驚きはない。

 ここに来た時間帯もほぼほぼ一緒だったため、見る映画が同じということもあるだろう。


 だが、それが隣同士になる確率とは一体どれほどのものなのだろうか。


「あれ……先生?」


 遅れてかなたも気が付く。

 予期せぬ二人目の登場に、先生は二度驚いた。


「かなたさんも……。そう、二人で来てたんですね」


「そういう先生は一人のようですが――」


 「映画が好きなんですか?」とそう続けようとして、言葉に詰まる。

 表情だけで、先生の目は完全に笑っていなかったからだ。


「――そらくん、セクハラですよ?」


 あれ、なんで俺は怒られているんだろ。

 無言も悪いと思って話題を振ろうとしたんだけど、なんか枕詞間違ったかな……?


 一人だって別に良いじゃん!

 俺もよくカラオケとか一人ですよ、先生!


 まぁ、これを言ったら本気でセクハラになりそうだけど……。


 バツが悪くなり、無言のままにしばらくすれば、場内の電気は消え、映っていたスクリーンはより一層明るく見える。

 流れる予告映像が、漂う沈黙も含めた意識の全てを一心に引き受けてくれた。


 その時、右側からトントンと肩をつつかれる感触が一つ。


「……何だ?」


 周りの迷惑にならないよう声を潜めて語りかければ、同じように耳打ちで返してくれる。


「……ドリンク、ちゃんと飲んでよね」


「あ、あぁ……了解」


 ――なぜ、今そんなことを?

 ――隣に先生がいるのに?


 そんな疑問と不安はつきまとうが、妙にトゲのある言い方に俺は肯定せざるを得なかった。


 かなたさん、何か怒ってらっしゃる……?



 ♦ ♦ ♦



 結果から言うと、映画はかなり楽しめた。

 しかし、そんな余韻に浸る間もなく、俺たちの間には妙な緊張感が漂っている。


 なまじ顔見知りなための一緒に行動。されど、会話なし。

 それは出口が一本道という構造とも相まって、余計に拍車がかかっていた。


 やべぇ、途中でトイレとか言って抜け出しておけばよかった……と、少し後悔。


「――そらくんたちは、いつもあんな感じなんですか?」


 すると、唐突に質問は投げかけられる。

 意図が読み取れずかなたに目線を向けるも、首を横に振られるだけだ。


「……あんな感じ、とは?」


「一緒に映画に来たり、回し飲みをしたり……ですよ」


 見られていたのか……。

 まぁ、そうでなくともポップコーンはともかく、ドリンクが一本しかないのは違和感あるよな。


「えぇ、まあ……」


 素直に答えるしかあるまい。

 別にやましいことは何もないのだし。


「何か問題でもあります?」


 開き直って聞いてみれば、ほんのり微笑みを浮かべた先生はゆるく首を動かした。


「いいえ。……ただ、少し羨ましいな――と」


 その言葉に俺もかなたも、ひどく驚く。


 いつもにこやかに笑ってばかりいる――緩く、そして時に怖い先生。

 そんな人物の本心を僅かばかり覗いてしまったように感じたから。


「……意外ですね。怒らないんですか? 去年の宿泊研修の時みたく、『不純異性交遊だ!』って」


「怒りませんよ。だって、私も貴方たちもプライベート――そこに干渉する謂れはありません」


 過去の話を持ち出し、少し話を茶化してみせるも効果はない。


 そのままエレベーターの前まで喋り歩くと、先生は急にこちらへ振り向く。

 口元に人差し指を立てて。


「だから貴方たちも、先程の失言を含めて私に干渉してはいけませんよ?」


 軽快な足取りで一人、隣に併設されたエスカレーターへと歩む先生。

 その背中を眺めながら、終始無言だった幼馴染は呟いた。


「私たちもエスカレーター派なんだけど……」


「……全くだよ」


 結局、過ぎ行く後ろ姿を見失うまで俺たちがその場で突っ立っていたことは、言うまでもないだろう。

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