第12話 捕らぬ狸の

 クァン・シウは目にした姿に、より一層面倒臭そうな顔をした。

 風邪を引いて死にそうだ、とのたまうから心配して来てやったのに、何を勘違いしたのか迫ってきた色ボケを、ちょいと焦がしたばかりだというのに。

 こちらに気づいた白いのっぺりした顔に、髪を掻きあげて溜息を吐く。

 全く、ツイてない。

 ぶわり、舞い上がる長い白髪に合わせ、炎がクァンの全身を包み込む。

 けれど彼女は熱がる素振りもなく、

「通して貰うよ。アタシゃ、さっさと帰りたいんだ」

 ゆっくり近づく腹減りの幽鬼へ鋭く手を突き出した。

 これに併せ、鞭の形を取った炎が幽鬼に絡みつき、生白い肌を覆うように燃え上がる。

 火に魅入られた種族・鬼火であるクァンには、造作もないこと。

 とはいえ、見た目より硬い皮膚を持つ幽鬼相手では、軽度の火傷すら負わせられない。

 そのことはクァンも嫌というほど知っているが、彼女の狙いはそこではない。

 炎に巻かれて程なく、耐性があるはずの幽鬼が悶えるように手足を動かし始めた。そうして逃れるように移動した挙句、通路を区切る塀を乗り越え、頭から下へ落ちていった。

 ただでさえ狭い視界を炎に邪魔されたが故の結末に、クァンはせせら笑うように鼻を鳴らした。効かない炎で撃退された、無様な幽鬼の姿に少しばかり溜飲を下げ、路地裏を横目に先へ進む。

 と、路地裏の奥に見知った影の巨獣と袴姿を認めた。

 興味を引かれて近づけば、引き裂かれた男の死体の、丁度目の下辺りを舐める猫。史歩はこれを、何故か羨ましそうに見ている。

 クァンは珍しい組み合わせに声を掛けた。

「何やってんだい、アンタたち?」

「クァンか。綾音、あー、泉だ、見なかったか? 芥屋の」

「泉?……って、アノ子が居るのかい、今!? 外に!? 自殺行為じゃないか。あの糞ガキは何やってるさね?」

「いや…………奴を庇うつもりはないが、今回はあの学者が原因だ」

 クァンは史歩の怒りに暗く燃える瞳を見て、なるほどと納得した。

 史歩にしろ、スエにしろ、奇人街の住人と認識されてから久しい人間、知らない訳ではない。何があったか、おおよそは察しがついた――が。

 さてどうしたものか。

 このまま知らぬ顔で帰るのも、クァンとしては全く問題ない。

 目の前にいる相手ならいざ知らず、いない相手を思ってやれるほど、暇じゃないのだ。

 けれど、あの少女の唄が聞けなくなるのはなんとも惜しい。

 今現在、本人が唄の素晴らしさを自覚せず、「糞ガキ」ワーズが悉く引き抜きを断つ状況。

 もしかして、これはチャンス?

 つけいる隙が出来るかも。

 クァンの店に遊びにすら来ない泉を強引にでも、店に引きずり込めるかもしれない。

 何せ薄情な芥屋の店主と違い、泉という少女は義理堅い一面がある――はず。たかだか一回会っただけの死人を心配する芸当、面倒見の良いと定評のあるクァンとて、よっぽど頭が湧いていなければしない。恩を売っておけば、ほいほいやってきそうだ。

「ねえ、アタシも手伝おうか? もちろん、無償で」

 甘い声を出せば、間髪入れず史歩が呆れた。

「それで益を得る魂胆か。助けたなら、高い確率で自分から礼を申し出そうだもんな、綾音は」

「うっ……バレてやがる」

「分かりやすい言動が悪い。店にいる時はネコをしっかり被ってるてのに」

「あらやだ、ポーカーフェイスと言って頂戴。大体、商売と地は違うもんさ。適度な緊張が漂わなきゃ、いくら繕ったところでボロが出るもんさね」

「否定しないところが、いっそ清々しいな」

「でしょ? もっと褒めて」

「…………」

 クネっとポーズを決めれば、白刃を肩に乗せて、史歩が大仰な溜息をつく。数多を屠ったであろう刀に血と油の穢れはなく、闇にあってなお眩い銀が艶き、恐ろしい。

 こういう刀を妖刀というのだろうか。

 史歩とある程度は親しくなろうとも、いつ向けられるともしれぬ刃。

 ひっそりとクァンは背筋を凍らせる。

 その腿をべしっと叩かれた。

 当人は軽く、のつもりかもしれないが、手加減されても巨体がなせる業。

 よろけたクァンは、引きつった笑みを向けた。

「ま、猫……」

「どうやら、立ち話してるくらいなら、探せって言ってるみたいだな」

「ウウ」

 促すためだけかもしれないが、揺らめく影から覗く白い牙と細まる金の眼にぞっとする。

 猫の強さはクァンの、否、奇人街の住人誰もが知るところ。

 楯突けば例外なく、抵抗も意味を成さず、待つのは――永遠の沈黙。

 それでもこれをひた隠し、白く長い髪を掻きあげては、にやりと笑ってみせた。

「りょーかい。猫のお墨付きを頂けたんだ。泉がアタシになびいても、文句はナシだよ? もちろん、殺されるのも御免さね」

 軽口の中にも猫に対する恐怖はあるが、受けた猫は鼻を鳴らして背を向けた。

 ……もしかして、馬鹿にされてる?

 まるで、なびくことはないから構わんと言っているような風体。

 史歩が黒い背に続くのを見て、クァンは思いっきり顔を顰めた。

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