第3話 見舞い客

 ぼんやりした頭で目を開ければ、見慣れない天井の木目――ではなく、芥屋に宛がわれた自室。

「……んー?」

 薄暗いこと以外の状況を把握できず、いつものようにむくりと起き上がる。

 身体のあちらこちらで起こる筋肉痛に、眉を寄せる間もなく、

「ぃっ!?」

 急に襲い来る、右腕の鈍痛。庇う手すら止まる痛みに苦悶する。

 その内に、修復されていく記憶。

 過ぎ去れば夢、それも悪夢と錯覚してしまいそうな一夜だった。

 化け物に追われ、住人に襲われ、確かなモノなど何もなく駆けずり回り――

 あの時の必死さは、慣れない運動の反動を今まさに味わう身体からよく分かる。

 とても恐ろしくて騒がしくて、それなのに。

「っ……ふぅ」

 肩が小刻みに揺れてしまった。

 振動へささやかな抗議を起こす節々の痛みを認めながら、未だ痛む腕を放って、髪と共に上げた泉の顔は苦笑を象る。死を幾度となく感じたせいか、それとも熱の間に、助けたかった子の無事を確認したためか。はたまた――?

 広がる苦笑の源探しだが、やけに指通りの良い、ふわふわした褐色の髪を指で遊ばせては眉が寄った。

 確か、諸々のせいで、ベタベタパサパサしていたような?

 次いで眺めた衣服は、浴衣に似た薄緑の服。今の今まで寝ていた泉に、着替えた憶えは当然ながら、ない。

 とりあえずそのことについての思考は脇に置き、傷に障らないよう右袖をゆっくり捲る。応急処置ではない、綺麗に巻かれた包帯が見えた。しかも、汚れていたはずの肌は、元の色を取り戻している。

(……あまり考えてはいけない気がする)

 それでも勝手に生じる熱さから逃れるように、枕元へ視線を逸らしたなら、変わった注ぎ口の白い急須を見つけた。

 そろそろ手を伸ばして取り、持ち上げたなら空と分かる軽さ。手前まで引き寄せ、おそるおそる蓋を開ける。ふんわり漂ってくる薬膳茶の香り。

 置いてある場所から察するに、意識がない内に飲まされていたようだ。そう思えば何だか口の中が仄かに苦い。誰が飲ませたかは……考えるだけ無駄な気もするし、実際、あんまり想像したくなかった。

 顔の火照りを誤魔化すように欠伸を一つ。

 右腕の傷がズキズキ響く。同調するように身体が倦怠感や熱感を主張してきた。出来れば訴えに従って寝ていたいが、明確になってしまった意識下では、その間に店主が妙なモノを作る想像が止まず、ゆっくりしてもいられない。しかもソレは確実に、泉が食す目的で作られているのだ。植木鉢の前科があるため、食に関しての信用は元よりなかった。

 立ち上がろうと足に力を入れる。

「いぃっ!?」

 途端に走る激痛。右腕の比ではないソレに息が詰まる。

 呼吸を取り戻して後、布団を跳ね除けると左足にも包帯が巻かれていた。

 憶えのない怪我。

 痺れる痛みに耐えること数秒の内で、泉は猫を放る前の幽鬼の攻撃を思い起こす。

 傷を負ったとすれば、きっとあの時だ。ワーズの胸を押しただけの不自然な体勢で投げた時、足の感覚はすでになかった。

 そういえば、握った尻尾の感触もなかった――

 左手をニギニギ動かす。

 なんだかもの凄い力で握って投げたような……?

 血染めの史歩をして強いという猫へ行った仕打ちに、泉が今更青褪めた、丁度その時。

 控えめなノック音が聞こえてきた。

 返事も待たず開けられた扉から、シイがひょっこり顔を出した。

 熱に朦朧とする意識の中、絶えず流れていた涙は、泉の姿を認めて輝く笑顔からは微塵も感じられない。

「お姉ちゃん! もう起きて平気なのですか?」

「うん、平気。シイちゃんは?」

「はいっ! お陰様でこの通り!」

 ダンッと思いっきり踏み出す足元には、泉のような白い包帯はなかった。

 行き止まりで蹲っていた時は骨まで見えていたのに。頬の絆創膏も取れていて、良かったと思う反面、脅威の回復力にちょっと引く。

 と、引いてる内にシイが室内灯を点けた。

 薄暗いとは思っていたがカーテンを開けない辺り、夕方なのだろうか。

 そのままをシイに尋ねてみる。

「ねえ? 今って夕方? 私、どのくらい寝てたの?」

「はい、夕方ですけど、どのくらいって……えっと、ですね……三日、くらいですかね?」

「み、三日ぁ……?」

 思った以上の過ぎ去った日数に、素っ頓狂な声を上げた。

「峠とかヤマとか、色々言われてたんですよ?」

 実生活の中ではあまり聞かない単語に、ぴんと来ない泉は頬を掻く。

「ここ、芥屋よね。……奇人街には病院とかないのかしら?」

「あるにはありますが、横流しがあったりするので危険なのです」

「横流し?」

「はい。病気の場合は安全なんですけど、怪我程度だと芥屋以外の食材店や得体の知れない店に回され――」

「も、もういいわ、分かったから」

 両手で制せばシイはきょとんとした顔で頷く。

 子どもが何気なく吐いた物騒に、改めてとんでもない街だと何度目かの認識をする。

 それを充分噛み締め終わった頃、ノックもなしに扉が開けられた。

「あ、史歩さん、無事だったんですね」

「……自然に店主飛ばすなよ、綾音」

 土鍋を持ったワーズに続き、入ってきた史歩の無事な姿に泉は苦笑しながら、

「だって史歩さん、血まみれで怪我してても分からない状態でしたから」

 さらりと口にした後で、内心落ち込んだ。

 仮の居場所をここに見つけてしまったとはいえ、順応を完全に許した覚えはない。

 血まみれを平然と発言したことへ嫌気が差す泉とは異なり、これを平然と受け止めた史歩は鼻で笑う。

「あの程度で怪我なんか出来るか。ま、骨は折れたがな。……変な顔するな。比喩だ、比喩」

「大丈夫か?」と聞かれ、頷いてみせると感慨もなく「そうか」と返ってくる。

 奇妙な感覚を覚えて口を開くより先に、史歩が粉の入った瓶を差し出した。

「何ですか、これ?」

「見舞いだ。胃が持たなくなったら呑むといい。効くぞ」

 神妙な面持ちで渡され、「ありがとうございます」と不思議な気分で受け取った。

「あと、学者な。血祭りにしようと思ったんだがまた籠もりやがった。なんなら部屋ぶち破るの手伝うぞ?」

 一転してキラリと不穏に煌く瞳に、

「ええと……スエさんには、しばらく会いたくないかなぁ……なんて」

「だよなぁ、やっぱり」

 至極残念そうな溜息をつく史歩。昔何かあったのか、それとも元からこうなのか、スエに対する史歩の恐ろしい思いにゾッとする。

 そんな愛想笑いの泉から視線を外した史歩はシイを見、

「じゃあ……な」

「あ、シイもお暇しますね」

 何故か伴って出て行こうとする。

 これには首を傾げて呼び止めた。

「史歩さん…………猫、投げて怒ってるんじゃ」

 てっきり罵声の一つくらい浴びせられると思っていた。

 だが史歩はこれには答えず、意味深に笑んでから「ま、頑張れ」と出て行ってしまう。続き、シイまでもが「お姉ちゃん、ご武運を」と敬礼付きで言い、去ってしまった。

 残されたのは泉と、土鍋を持ちながら終始ニコニコ笑うワーズ。

 何かおかしい。

 奇妙な違和感にまじまじとその姿を見れば、あれほど外せないと言っていた銃がない。

「ワーズさん……? 銃は……?」

「さあ泉嬢。自力で起きれるまで回復したんだ。ご飯、食べなくちゃね?」

 聞こえなかったかのように、愉しそうに、ワーズは泉の近くで胡坐をかいた。

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