第12話 鬼火の火

 奇人街の数多生息する種の中に、鬼火キッカという種がある。

 元の字体は別にあったそうだが、読みを引き継いだその字は、種を表すのに適していた。鬼の字に相応しく、額には本数に個体差はあるものの小さな角を携え、続く火の字は、鬼火を語る上で欠かせない力を指す。

 すなわち、己の意のままに炎を生じさせ、操る能力。

 炎の質や制御には角同様個体差があり、火力は感情――それも激情と呼ばれる類に深く影響するという。そのせいか鬼火は総じて自制心の強い者が多く、情に厚い者も多い。

 中でもクァン・シウという鬼火の女は、経営者の打算を入れても、奇人街では珍しいほど自制心が強く、面倒見も良いと評判――だが。 


 気に入らない物事に対しては、トコトン能力を発揮する困った一面があった。  


*  *  *


 ガラスが溶けてしまうのではないか。

 低い透明度にも関わらず、荒れ狂う炎と分かる磨りガラス向こうの光景に、店主の弁明のことなど綺麗さっぱり忘れた泉。

 突然のことに惚けるばかりのこちらとは違い、うねる紅蓮に薄く笑った史歩は、泉の両肩から手を除けた。併せ、猫が自分の肩から離れてしまったことには、少しばかり寂しそうな顔をしつつ、

「店主の奴……今度は一体何を言ったんだか。クァンもどうせ不愉快になるだけなんだから、構わにゃ良いのに」

「こ、これ、クァンさんがやってるんですか? どうやって……?」

 泉の頭に、火炎放射器を担ぐクァンの姿が浮かぶ。彼女のそんな格好は、豊満だが細い身に何故かよく似合っていた。ついでに陰惨な笑みでも浮かべていれば完璧だろうか。

「店主、鬼火のことを教えていないのか。また面倒臭がりやがって」

 泉の呟きを受けての言葉に眼を向ければ、あからさまに面倒と分かる顔つきで、史歩が頭を掻いた。

「そういう種族なんだよ、クァンは。まじないなしで、炎を生じたり消したり、自在に操れるんだ」

「……便利、ですね」

 そう言いつつ史歩の言から、やはり彼女は自分とは違う場所の人間なのだと知る。

 まじない一つで炎を生じさせるなど、泉のいた場所では物語の中の出来事だ。現実味に欠ける目の前の炎も充分そちらの属性だが、はたと気付いて史歩をもう一度見る。

 今度ばかりは惚けず慌てた。

「わ、ワーズさん! 史歩さん、ワーズさんは!? あれじゃ、死んじゃいます!」

「まあ、普通は消し炭だろうが……。言ったろ? 自在に操れるって。激情に駆られてもクァンはきっちり制御してるさ。多少熱いだろうが死ぬことはない。それに……相手があの店主だしな」

 最後、忌々しげに吐かれた言葉は小さく、焦る泉の耳には届かない。

 ガラス戸の炎が治まったのを受け、無事を確認しようと手を伸ばしたが、伝わる高熱に指が引っ込んでしまう。まごついている間に勢い良く店側から戸が開いたなら、上がりかけた混沌と眼が合った。

 あれだけの炎の渦の中、服にすら焦げ跡のない無事な姿に、ほっと息をついた泉だが、対するワーズは奇妙な表情を浮かべていた。

 驚きと動揺、困惑を合わせ、固めてしまった、酷く難解な――

 けれど、すぐさま赤い口をへらりと笑みに歪めては、泉に言う。

「泉嬢、上がりたいんだけど。良いかな?」

「あ、はい、どうぞ……」

 遅れて立ち塞がる格好に気づいた泉は、慌てて横に避けた。

 これに続くようにふらふら居間に上がったワーズは、銃で肩を叩きながら台所へ向かう。

 ふらつく様子から、

「大丈夫ですか?」

 と尋ねた後で気付く、最初からふらふらしていたワーズの動き。振り向いたワーズも、今度は明らかな困惑を浮かべ、こめかみを銃で掻いた。

「んーと……うん、大丈夫。クァンの炎は見かけ倒しだし」

 どこか気まずそうな返事に低い笑いがもたらされる。何がおかしいのかと眉を顰めた泉へ、何でもないと手を振り、笑い終えた史歩はそれでも苦笑のまま。

「で、店主。クァンの奴、なんだってあんなに怒ってんだ?」

「性懲りもなく、昨日の今日だってのに泉嬢勧誘しに来たからさ。人間以外の住人、全部ウチに回すんだったら考えてやるって」

「確かに綾音の唄はクァンに取っちゃ魅力的だろうが……そうまでさせて考えるだけか。しかも、本当にやったところで了承する気、最初っからないだろう、お前」

「ご名答。当然でしょう? 食材なんて黙ってても入ってくるのに、わざわざボクのモノを鬼火と取引するって、馬鹿げてるじゃない」

 住人を食材と言い切るワーズに青褪めつつ、従業員を示すと理解してなお「ボクのモノ」と称された泉は、居心地の悪さから史歩の反応を窺った。

 しかし、そんな気持ちを汲み取る気配もない史歩は、盛大な溜息を吐き出す。

「ボクの、ね。そんなことを言うなら、奇人街の知識をもう少し叩き込め。起きて即行、逃げられる不手際のないように」

「知って……たんですか?」

「そりゃあ、向かいが住まいだしな」

「うわ、史歩嬢、それなら最初から追いかけてよ。お陰でボク、アイツに何度も会う羽目に――」

「馬鹿か? 何故私がお前の尻拭いをせねばならん? あの時綾音が自分の意思で逃げたのは明らか。ソレを邪魔する気はない」

 携えていた刀を肩に乗せ、ワーズへビシッと指を突きつける史歩。

「追いかけるのが面倒なら、説明を省くな。お前の悪い癖だぞ」

「省いてる訳じゃないけど……ほら、ワーズ・メイク・ワーズって人間以外嫌いだからさ、なるべく話題にしたくないんだよ。それに、泉嬢も尋ねて来なかったから。ねぇ?」

 へらり、笑いかけられても泉には答えようがなかった。尋ねるといっても、一体何から説明を求めれば良いのか検討が付かない。

 まさか、奇人街の全てを一から教えてくれ、などとは言えまい。仮に説明を受けたところで、理解までかなり時間が掛かるだろうし、何より泉は一ヵ月後、元の場所へ帰っている身。求めるだけ答えを得られたところで、活用する場面は限られてくる。

 かといって、泉自身が求めなければ、ワーズは何一つ教えてくれそうになかった。

 返事に窮して史歩を見れば、虚を衝かれた顔になる。

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