番外編
殺し文句と笑うあなたに殺される予感。
早朝、小鳥がさえずる中、
「終わったのー?」
振り返りざま苦笑を浮かべる。唯一の家族の
「まったく。貴方まで付き合って起きてる必要はないんですよ?」
あきは反省した。仕事に夢中になり過ぎていた己に。もっと早く気づいていれば彼に休んでと言えたのに。
「別に無理はしてないよ。もともと寝るって作業が苦手だし。それよりお茶どーぞ」
にっこりと犬歯を覗かせ言う。彼は当初、自分を殺す依頼を受けていた忍びだった。けれどあの頃の自分は……。そこで自嘲気味に口端を上げる。この子にも話してない思いがあった。
「ご主人? あ、ちが、ねえさ、姉さん!」
「ふふっ、ありがたく頂きますね。今度は貴方の分も用意してくれると嬉しいです」
お盆にひとつしかない湯呑みを受け取る。善意は無駄にしないが、ひとつだけ用意されたそれが少し寂しい。
「あ、でも、俺にはもったいない」
「くないです」
これだ。彼には物欲がない。むしろ自分に何かを使うのを
「
「え」
「私、猫舌だった気がします。貴方が最初に飲んでぬるくなったら下さい」
「ええええええ!」
無理やり赤兎に湯呑みを渡すと顔を真っ赤にして慌てていた。
「もしかして貴方も猫舌ですか?」
「違うから! ああもう! そーゆーとこがもおおおおお!」
え、うるさい。というかそういうとこってどこだ。ちなみに私は猫舌ではない。
「ごしゅじ、んん、姉さんって昔っから横暴なとこあるよね!」
「言いづらいなら名前でも構いませんよ?」
「俺の話を聞いてえええええ!」
最近うちの弟が情緒不安定だ。自分から姉と呼びたいと言ったのに……。
自分を遊郭に売ったクズ兄以外の兄弟を知らないから、正直姉呼びは嬉しかった。けれどこの通り、どうも言いにくそうである。それもそうか。ずっと主呼びをしていた子だ。慣れるのを待っているのも良かったけど。
(名前……。考えたら誰も呼ぶ人がいなくなっちゃったなぁ)
こじれにこじれた幼い自分を兄弟にしてくれた
(そう言えば赤兎には一度切りしか教えてなかったかも)
それも初対面の時にだ。忘れている可能性もある。
「もしかして私の名前覚えてません?」
「覚えてるよ! 忘れる訳ないじゃん!」
「なら、そっちでも構いませんよ。あきと。言っておきますが、誰にでも呼ばせる訳じゃありませんからね」
「だからあああ! あのね! 俺にも心の準備とかあんの!」
「お茶冷めますよ?」
「ご主人もしや寝ぼけてる!?」
あーあ、完全に元に戻っちゃったか。まぁいいや。何か準備がいるみたいだし気長に待とう。ブツブツ言いながら湯呑みに口を付ける赤兎を見つめる。この子も随分感情豊かになったものだ。いや、前から愛嬌はあった。でも、どこか作り物っぽい言動だった。まぁ彼の半生を考えると事情も何となく察せた。だけど今は本物だとわかる。それがとても嬉しい。幼かった容姿はぐんぐん成長し、とうとう頭ふたつ分ほどの差がついてしまった。日に焼けた肌に男性らしい
「……あの、さ。そんなに見られると飲みづらいんだけど」
「ああ、すみません。格好いいなぁって思って」
瞬間、赤兎がお茶を噴いた。
「あっつ……!」
「何やってんですか!
「俺の! 俺の
「まったく。朝からびっくりさせないで下さい」
「だから俺の! っ……もういいよ! お願いだから少し時間ちょうだーい!」
言って湯呑みを置いた赤兎は顔を覆って俯いた。耳が赤い。はて、そんなに照れるようなことだろうか。
(二乃助さんは自分の容姿を武器にしてたような人だったしな)
ここも似てないと思う。
(無理ばかりして……)
結局最後はひとりで死なせてしまった。ひとりにするべき人じゃなかった。あの時の自分に何が出来たかなんてたかが知れてるけど、それでも傍を離れるべきではなかった。
「ご主人?」
赤兎の声にハッとする。
「……すみません。少し、昔を思い出してました。ねぇ赤兎、髪をお願いしても?」
懐から丁寧にしまっている桃の花柄の
「どうしました?」
「……それはご主人でしょ。そんな顔する時はいつも二乃助のこと考えてるよね」
そんな顔とは? というか相変わらずの呼び捨てか。近頃はもう諦めの境地だ。赤兎は昔から二乃助さんに対抗心を燃やしていた。訳を
「違いますよ。己の不甲斐なさに嫌気が差しただけですよ」
髪を
「俺と……」
そこまで言って黙る赤兎に振り返ろうとしたら頭を固定された。
「なんでもない。動かないで」
「もう、横暴ですね」
「わー、ご主人にそれを言われるとは思わなかった」
どういう意味だ。まったく、私は二乃助さんほど
「家族だと言ったでしょう。彼らも大事ですが、貴方だって私にとって掛け替えのない人です」
赤兎の手が止まる。
「だいたい、この私が他人に身を任せると?」
「……ご主人、気持ちはすっっっごく嬉しいけど言い方。それ誤解されるから」
「はい?」
こんな風に身体を預けてる状態で誤解も何もないと思うが。もっと言えばただの他人には髪も触らせない。
「赤兎はたまにおかしなことを言いますね」
「うん。俺もたまに、あー二乃助もこんな気持ちだったのかーって思うことある」
だから何がだ。
「これ、もう古いでしょ。新しいの買うって言ってるのに」
きっとこの
「これがいいんです。私の宝物に文句付けないで下さい」
「や、だってこれ、俺が最初にあげたやつでしょ? 今ならもっといいの贈れるよ?」
「貴方が初めて選んでくれたものだから特別なんです。って、痛い! ちょっと、刺さってますよ!?」
「もおおおおおおおお!」
後ろからのしかかられ櫛の脅威からは逃れられた。驚いた。急に力を入れないで欲しい。
「赤兎、耳元で叫ばないで下さい。あと重いので退いて下さい」
「あんたってほんと男心をわかってないよね!」
注意してもぎゅうぎゅうと抱きつくからもう好きにさせた。しかし、私にしてみれば赤兎の方こそわかっていない。どれほど大事に想っているのか。
(態度には出してるつもりなんだけどな)
それでもまだ不安なのだろうか。あきはしばらく迷った。これは言わずにおこうと思ってたけど、言って彼の不安が消えるのなら……。
「……赤兎。私と初めて逢った時のこと覚えてます?」
「え? うん」
「どう見えました? 正直に言っていいですよ」
「……危機感がない人」
「ふふっ、でしょうね」
二乃助さんと姉さんを同時に
「私、精一杯に生きている人たちには失礼でしょうが、凄く生き疲れていたんです。あの時は
あの頃を思い浮かべながら淡々と語る。
「完全には復讐を果たしたとは言えませんが、復讐を終えたら、私は二人の後を追うつもりでした。いえ、貴方に出逢わなければ二人の後を追っていました」
「ご主人!」
「落ち着いて。仮定の話ですよ。――けど、いざ別れる時が来ても帰ることしか頭にありませんでしたよ。赤兎、貴方がいたから。貴方をひとりにしたくなかった」
だから自信を持って欲しい。そう願いを込めて赤兎を見つめる。
「もう置いて行かれるのも置いて行くのもごめんです。私が今も生きているのは貴方のおかげなんですよ」
「お、れ……の?」
「ええ、貴方が離れて行ったら生きる意味が無くなるくらいに。……怖くなりました?」
「んーん。嬉しい」
引かれるだろう覚悟はしていたけど、その声音は本当に嬉しそうでこっちが驚く。
「え、本当ですか? 私ならドン引きしますよ? 重すぎません?」
「だって俺も、ご主人いなかったら生きてる意味ねーもん」
「あ、すみません。普通に嬉しいです。これは引きませんね」
言って笑う。そっか。上を向くと赤兎と目が合った。とても優しい目をしていた。
「私を置いて行かないで下さいね。二度目はごめんです」
「ご主人こそ、俺を置いてかないでよ。寂しいじゃん」
「じゃあ一緒に死にますか」
さらりと本音を言えば、赤兎はますます嬉しそうに微笑んだ。
「なにそれ、すげー殺し文句」
目を細める彼に息が止まる。トクリ。と、心臓が波打った気がした。
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