~最終章~


「結局十発しか持ちませんでした」


 しょぼくれたようにあきが呟いた。


「仕方ねぇよ。手首を痛めちまったんだから。ほら、見せてみろ」

「いやいやいや! 一発一発が渾身こんしんの一撃でしたけど!? 一発で十発分はあったと思いますよ! なぜ女性があんなに重い一撃を放てるんです!」


 壮碁そうごの言う通り、楼主は一発目から既に意識を飛ばしていた。あきを甘く見てたなこいつ。完全に伸びている楼主を転がしたままあきの手首の様子を見る。これはれるかもしれねーが折れてはいねーな。


「おまえ、裏拳うらけん使うなら甲に布を巻いておけって言ったろ」

「早く殴りたい一心で余裕がなかったんですよ。いたた」

「わからなくもない」

「聞いて!?」


 まったく、昔から騒がしい奴だな。カナを見習え。あきの雄姿ゆうしを褒めちぎってたぞ。


「あーなんだっけ?」


あごから始まり脳天のうてんを割るように振り下ろされるこぶし! 崩れかけたところを手の甲で打ち上げ、そこから両のこぶしで連打! ぶっちゃけ死んだと思いましたよ!」


「おまえ、実況に向いてんな」


 意外な特技を見た。


「そりゃまーおれの教育の賜物たまものだな」


 それに続くようにあきも答える。


「昔、二乃助さんから護身術を教わっていたので」

「やっぱりあんたかですか! 子どもになんつーもん教えてんですか!」

「いざとなったら二人でカナを護ってこうって、なあ?」

「姉さんがもし『き』から始まって『ご』で終わる人に泣かされるようなことがあったら一緒に成敗せいばいしようって約束してたんですよね」

「それってもう私のことですよね!? 成敗と書いて抹殺まっさつと読みますよね!?」


 顔面が崩壊し、完全に落ちている楼主の姿が、もしかしたら自分が辿った道かもしれないと思うとゾッとした。しかもそこに二乃助さんも加わるとかもう死しか待ってないだろう。


「なんでお二人は、昔から私を目のかたきにするんですかぁ」


「「ムカつくから」」


 簡潔かつ素直な理由が異口同音いくどうおんに発せられた。壮碁は年甲斐もなく泣きたくなった。


『ふふっ、相変わらず二人とも過保護なんだから』

「え? ここ微笑ましく笑うとこですか?」

『あらなぁに? 壮碁さんはわたくしに涙を流させるおつもりがあって?』

「そんなことありませんよ!」


 思わず叶絵さんを抱きしめようとしたら背中に衝撃を受ける。


「「接触禁止」」


 これまた異口同音で言われた。酷すぎる。本気で落ち込んでいたら叶絵さんから腕を回してくれた。二乃助さんとあきさんが言葉にならない悲鳴を上げているが、正直自分も驚きすぎて変な声が出た。まさに十年ぶりの抱擁ほうようだった。


『今だから言えますけど、足抜けを持ちかけてくれた時、本当は嬉しかったんです。けれど、わたくしにはどうしても兄様とあきを諦められなかった。焦っちゃって大事なことを伝え忘れてました。嬉しかったんですよ。壮碁さん』


 優しい声音と抱擁に涙が溢れた。自分の一方通行ではなかったのだ。十年前の自分は本当に浅はかなガキで何も見えていなかった。自分も腕を回したくて持ち上げた状態で固まる。ちらりと後ろを気にすると、半眼の二人が憎々しそうにしながらもしっしと手を振った。行動までも似るのかと思いながら、許可が下りたことに歓喜する。しばらく抱き合っていると、静かに叶絵さんが離れた。ああ、本当に別れが来たのだと肌で感じた。


『あき』


 呼ばれたあきは叶絵の懐に飛び込んだ。むしろ若干背の高いあきが叶絵を抱き潰している。


『ふふっ、苦しいわあき』

「ちゃんと姉さんの体温を覚えておきたいんです」

『幽霊なのに?』

「貴女は温かいですよ。昔から」


『……ありがとう、わたくしのあき』


 わたくしのあき、そう言われるのが何より幸福だった。あきは涙が頬を伝うのを止められなかった。最期は笑顔で別れようと思っていたのに!


「姉さんこそ、ずっと私の姉さんですからね」


『もちろんよ。あなたに姉と呼ばれていいのはわたくしだけだわ』


 可愛らしい叶絵の独占欲にあきは笑った。言われなくてもそのつもりだ。叶絵と離れると、二乃助が両腕を広げて待っていた。


「おらよ」

「え? なんですそれ」

「いや、流れ的に」


 流れ的にってなんだ。だったらその前に木ノ下さんでしょう。そんな台詞せりふを呑み込んで素直に腕の中に落ち着く。


「よーしよし、素直だな」

「子ども扱いはやめて下さい。これでも十八ですよ」

「あのなぁ。いくら昔から知る奴でも妙齢みょうれいの女を抱きしめる訳ねーだろ」


 あきは、どういう意味だろと首を傾げた。


「どうやら咳は止まったみてぇだな」

「あ、はい。きっとうれいが晴れたおかげですね。楼主を殴ったらすっかり良くなりました」

「そりゃよかった。なんなら戻ってから残りの九十発もいっとくか?」

「娘さんが泣くといけないのでやめときます。ああ、でも一目見てみたいですね。もし突然来訪したらどんな顔で出迎えるかな」

「娘はともかく、じじいは腰抜かすんじゃね? いいなそれ、やれやれ」

『もう! 兄様はまた悪いことをあきに教えて!』

「いや、今回の発案はこいつだったぞ」


 昔もよく二人で悪だくみをしては二乃助さんが姉さんに怒られていた。鮮明に思い出す愛しい思い出に、あきは涙を流しながら声を上げて笑った。――昔のように。


 まず楼主の姿が消えると、幻の妓楼ぎろう櫻花おうかはまるで紙吹雪のように散っていく。今度こそ紛れもない最期だ。あきは泣きたいのをグッと堪え、精一杯の笑顔を浮かべた。隣で激しく落涙らくるいしている木ノ下さんに腹が立って軽く蹴りを入れる。


「あきも泣いていいんだぞ?」

「嫌ですよ。弱い姿で覚えられたくありませんので」


 即答すると二乃助さんが笑った。姉さんも口を覆ってくすくす笑っていた。


『あき、お願いだから長生きしてね? 寂しい思いをさせちゃうけど』

「大丈夫です。確かに寂しいですけど、今は……ひとりじゃありませんから」


 赤兎せきとの姿を思い浮かべながら言うと、二乃助さんが目を細めた。


「前から気になってたが、そいつって……」

『兄様』


 珍しく鋭い姉さんの声に、二乃助さんは口を閉じた。なんだ?


「どうしましたか?」

『いいのよあき、気にしなくて』

「えっと……姉さんがそう言うなら……」

 

 若干に落ちなかったが、二乃助さんも反論しないのなら本当に大したことじゃないのだろう。


『そろそろ本当にさようならね。でも覚えていて二人とも。わたくしたちはずっと『いるわ』。寂しくなったら名前を呼んで。すぐ飛んでっちゃうから』


 姉さんが無邪気に言った。


「だなー。やることもねーし。おれも呼んでいいぞ?」

「結構です」

「このやり取り昔もやったなぁ」


 もちろん冗談だし、二乃助さんもわかっているようでくつくつ笑っている。


「先に言うが、殴るなよ?」


「な……」


 何をするつもりです。そう訊こうとした時、頭を引き寄せられ額に柔らかな感触がした。驚いてそこを押さえると、したり顔の二乃助さんが目の前にいた。何をされた今……?


「おまじないだ」


「へ」

 


「おまえにさちあらんことを願って」



 呆然と彼を見つめた後、継いで顔がカッと熱を持った。


「き、気障きざです!」

「これくらいで照れんなよ」

『兄様!』

「いいじゃねーか。牽制けんせいだ。牽制」

『もう!』


 どうしよう。姉さんと二乃助さんが何を話してるのかさっぱりわからない私は妹失格なのだろうか。


『ほら! あきが混乱してるじゃないの!』

「いえ、大丈夫です。初めて見聞きしたまじないだったので少し動揺どうようしただけです。えっと、姉さんは木ノ下さんには……、あ、やっぱり駄目です。姉さんの唇は私のものです」

『……今も割と動揺してるわね』


 最後のは本音がポロっと出てしまった。けれど姉さんは笑って頬に唇を落としてくれた。


「わたくしも願ってるわ。あなたにずっと幸あらんことを」


 あきはコクコクと何度も頷き約束した。今でも十分幸せだ。


「叶絵さん、私にも!」

『ごめんなさい。わたくしの唇はあきだけのものだから』

「そんなぁ」

「ふふふ、残念でしたね。あ、二乃助さんに頼んでは?」

「「冗談でもお断り(です)(だ)!!」」

「たまには息が合うんですね」


 いけしゃあしゃあとあきが言い、叶絵と顔を見合わせて笑った。











 二乃助と叶絵の姿が透け、完全に視えなくなった時、あきと壮碁は妓楼の跡地に戻っていた。寂しくないと言ったら嘘になるが、彼らは『いる』と言った。ならいつまでも哀しんでいられない。今も空から見ているだろう彼らに心配させたくはない。


(それに今は……)


 あきは、そっと宝物であるくしを着物の上から押さえる。早く彼を見つけないと。


「では、私はこれで」


 簡単な別れだった。けれどこれくらいがちょうどいい。私たちに湿っぽいのは似合わない。


「私は寺に戻って二人のお墓を建てようと思います」


 木ノ下さんが別れぎわに言った。


「もうお墓ならあるのでしょう? 浄安じょうあんさん?」

「え、なぜ私の戒名かいみょうを……」


 目を見開く壮碁にあきはふっ、と小さく微笑んだ。あきが壮碁に見せた初めての優しい笑みだった。


「私の情報網を舐めないで下さい。……貴方はずっと祈っていて下さったんですよね」

「二人とも全然寄って行って下さらなかったので、うちの寺は無人でしたよ」

「あはは! 大丈夫です。今度はちゃんといますよ、二人一緒にね。これからも彼らをよろしくお願いします」


 よっとあきは背伸びをする。


「貴女はこれから?」

「とりあえず従者を探してから……あとは不愉快な噂があるので、まずはそれの払拭ふっしょくですね」

「払拭?」


 頭に疑問符を浮かべる壮碁に、あきはただ勝気な笑みを浮かべるだけだった。

 あきが去った後、ようやく重大なことに気づいた壮碁は「あ」と声を上げた。


「剣! あきああああ、懐剣かいけん! 忘れてますよ!」


 あき、と呼んだら雷が落ちる気がして思わずどもる。すると、


「はーい。ご主人から伝言でーす」


 目の前に突然現れた褐色かっしょく肌の青年にドキリとする。え? まったく気配がしなかったんだけど。


「それ、『貴方が一番弱くて心配ですからそれは護身用に差し上げます』だって」

「……」


 まさに彼女が言いそうなことだ。


「でも、その、君の主人は大丈夫なのかい?」

「だいじょーぶ。ご主人には懐剣かいけんなんかよりもっと優秀な懐刀ふところがたながいるからね!」


 そう言って、青年は瞬く間に姿を消した。……まるで寝物語に聞いていた忍びみたいだな、と壮碁は思った。








「ご主人、伝言終わったよー!」


 その台詞せりふと共に赤兎が飛びついて来た。彼はすぐに見つかった。むしろ自分が見つかった。何せ彼は自分がいなくなった後、ずっと探していたというではないか。再会した時、声を掛ける前に瞬時に目の前まで迫った赤兎から抱きしめられた。腰の骨がきしむほどの強い力にさすがに注意しようとしたら「見つかってよかった」と泣きそうな声で呟かれ、赤兎の気が済むまで好きにさせた。それから謝ったり礼を言ったり忙しく、ようやく二人で宿に向かおうとした時、木ノ下さんに預けたままの懐剣の存在を思い出した。ただ旅路の護身用として持って来たものだ。別にないならないで構わなかったが、彼の性格を思うと返しに来そうで面倒だと思った。そして赤兎に伝言を頼んだのだ。最初は自分で伝えに戻ろうとしたら赤兎に止められた。「俺なら一瞬で行って戻って来るからここから一歩も動かないで!」と。両肩を強く押されながら。ふと、そこで赤兎が己の目線と同じ位置に頭があることに気がついた。「背が伸びましたね」そう言うと、「なんで今言うの! また後でじっくり聞かせて!」と理不尽に怒られた。


「赤兎。ありがとうございます。あと、離れて貰えないと言えませんが?」

「あ、そうだった!」


 さすが元忍び、背後から一瞬で目の前に移動した。


「俺がなんだって?」

「背が伸びましたねって言いました」

「やっと気づいたかー。……遅い」


 おや。もっと喜ぶと思ったのに。


「言っとくけどね、去年にはもうご主人に追い付いてたからね!」

「そうだったのですか?」

「……まぁ、ご主人は体調崩しててそれどころじゃないってわかってたけど……、あれ? ご主人、今日は顔色がいいね?」


 ああそうだ。一年間ずっと気に掛けてくれていた彼だ。聞いたらきっと驚くに違いない。


「起こったこと全て話せば長くなるから、詳しいことは宿に着いてからね。聞いて赤兎、私はもう大丈夫。治ったんです」


「なおっ……た……」


 赤兎は元々大きな目を更に大きく見開いて、私の言葉を復唱した。


「もう、大丈夫? 苦しくない?」

「ええ、すっかり元気ですよ」


 笑顔ではっきり告げると、彼の両目から大粒の涙がこぼれた。


「赤兎!?」


 彼が泣くのは初めて見た。忍び時代が彼をそうさせたのか、赤兎は哀しいという感情とは無縁だった。共に生活をしていく内に怒ったり(主に私が怒られたり)、心配する(主に私が掛けた)といった感情を身につけていったが、その赤兎が泣いている。


「ん? これ、何? 水が出てる」

「涙って言うんです! そんなに心配かけましたか!? 本当にごめんなさい!」

「ちがっ」


 赤兎は涙を拭いながら、そのまま腕で両目を隠して言った。


「嬉しいのに」


「涙って、哀しいと、出るんでしょ?」


「おかしいよ」


「こんなにも嬉しいのに」


 俺、やっぱり変なんだね。そう自嘲気味に言う赤兎に言葉を詰まらせる。

 これまでは訊けばすぐに答えをくれたご主人が何も言わないのが不思議で、腕を両目から外してギョッとした。


「なんでご主人が泣いてんの!? え? やっぱどっか痛むの? 苦しいの?」


 静かに涙を流すあきに赤兎は慌てた。


「ううん。嬉しくて」

「嬉しい? 何が?」

「貴方が、私の為に泣いてくれたことが、嬉しくて」

「……人間って、嬉しくても泣くの?」

「ええ」

「……そっか」


 そっか、と何度も呟き、赤兎は己の涙を無理に止めるのをやめた。ご主人が喜んでくれる涙ならいくらでも流せる。


「ご主人、言うのが遅くなったけど」

「うん?」


「おかえり」


 一拍置いて、あきは満面の笑みでそれに応える。




「ただいま」 





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