第8話
それから大急ぎで百貨店のメンズコートを回り、神本くんのファッションアイテムを整えていった。テーラージャケットにインナーの白いカッター。下はダークトーンのカーゴパンツに靴はバブーシュ―ズ。そして髪型をパリッと固め、かなりフォーマルな感じに仕上げてみた。予想通り社会人っぽい素敵なファッションに仕上がった。彼は筋肉質だし足も長いので、カッチリしたファッションが似合うと思ってこのチョイスにしたのだ。神本くんはフルモデルチェンジした自分の姿を売り場の鏡で見て呟いた。
「……これが本当の私……?」
「なに気色悪い事を言ってるのよ」
「ちょっとふざけてみただけだ。しかし本当に俺は金を払わなくていいのか」
「いいの、私が勝手にやったことだし、何度も言うけどあの姿のまま一緒に歩かれたら私の方が困るから」
ちなみに元着ていた服は捨てさせた。
「依頼の件だが」
神本くんは一言服の礼を述べてから切り出した。
「どんな要件だ? 本来は有料だが今回は服を買ってもらったからタダで何でも聞いてやろう」
何でも、と聞いて私の心は俄然ワクワクしてきた。この日のために忍者への「やって欲しいこと」リストを作成してきていたのだ。私はリストの紙を取り出した。
「じゃあ先ずここ四階だから飛び降りてみてくださる?」
「悪魔か」
「何でもするって言ったじゃないの。飛びなさいよ」
「怪我しない範疇で言ってくれ」
「忍者のくせに四階から飛び降りたくらいで怪我しないでよ」
「お前は忍者を何だと思っているんだ」
失望した。せっかく非日常的な忍者パフォーマンスを見て憂さ晴らしに来たのに、四階程度の高さからも飛び降りられないなんて。
「ではお嬢様、忍術の代わりにお尻叩かせてもらうっていうのはどうですか?」
幸枝が言った。最悪の代替案だ。
「いいぞ」
許可するんかい。
「却下よ、却下! こんな所で恥を晒さないで!」
私は気を取り直してリストを上から順に言っていくことにした。
「では手裏剣を使ってみて」
しかし「それなら出来るぞ」と神本くんが取り出したのは手裏剣ではなく、ただのトランプだった。
「……何それ」
「ハートのエースだな」
「じゃなくて! 私は手裏剣を使ってみてと言っているの!」
「まあまあお嬢様。ここはあのトランプを使って彼のお尻に刺す作業にシフトしましょうよ」
「しないわよ、このお尻大好き女! 次! 雷を落としてみて」
「出来ない」
「お嬢様」
「却下」
「まだ何も言っていませんのに」
「どうせまたお尻叩きたいって言うだけでしょ」
「よく分かりましたね」
「次! このハンカチを宙に浮かしてみて」
「無理だ」
「じゃあ罰としてお尻を」
さっきからピラニアかあんたは!
「次! ペンギンに変身してみて!」
「無理だ」
「じゃあ罰としてお尻ぺんぺんの刑ですね。ペンギンだけに」
「歯ぁ折るわよアンタ!」
「他には無いのか」
「じゃあ『私は能無しの豚です』って言いながら土下座しなさい」
「ただの悪口じゃないか」
つっかえ!! 本当に使えないわね、この忍者。心臓を止めただけで死ぬなんて何のために忍者をやっているんだろう。もっとビルの合間をぴょんぴょん飛び回ったり、水の上を走ったり、目からビームを出したり出来るようになってから忍者を名乗って欲しいものだ。これじゃあ何のために雇ったのか、何のため貴重な休日を犠牲にしたのか全く分からない。私は書いてきたリストを見ながらため息をついた。残りは一つだけ。でもこれは……。不意に神本くんがリストを取り上げた。
「ん、最後のこれなら俺でも役に立つぞ」
「こ、これはいいの! ちょっと書いてみただけだから」
私は慌てて紙を奪い返した。しかし神本くんには心底失望したものの、このまま何もせずに帰すのももったいない気がした。分裂するなどの一般的な忍術が使えないのだとしたら彼は何が出来るのだろう?
「うぅん、じゃあ貴方は何が得意なの?」
神本くんはふんす、と鼻を鳴らして喋り始めた。
「家宅に侵入して人をさらいだすこと、それから力仕事は誰よりも得意だ。他には馬と心を通わせることも出来るし山でのサバイバルにも詳しいぞ」
全然今見せてもらえそうなものが無い。でも馬と心を通わせることが出来る、というのは面白そうだから後で乗馬クラブに行って見せてもらおうかしら。
「それでしたらお嬢様、この子にお買い物を手伝ってもらうのはどうでしょう? ちょうどお屋敷の備品で足りないものを買おうと思っていたのです」
後ろから幸枝が言った。確かに、今のところ現実的な忍者の活用法といえばそれしか無い。私も買いたいものがあったので丁度いい。
「じゃあ欲しい物を紙に書くから買ってきて。私たちはさっき行った百貨店の二階でお洋服を見ているから、終わったら来てちょうだい」
私はクレジットカードを手渡した。神本くんは持ち逃げするようなタイプには見えなかったからだ。
「心得た」
流石に紙に書かれたものを間違いはしないだろう、と私は思っていた。この時は。
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