第67話 酒場の歌姫
日が落ちて、街に柔らかい灯がともる。
その日の夜も、首都繁華街のとある酒屋は大勢の男達が押し掛けていた。
そしてその中でも十人程の人間が一際煩く騒いでいる。
「クライム! お酒追加ね!」
「俺も追加だ! 負けてられっか!」
「シルヴィイイイイイイイ!」
「あーもー分かったって。いいから涙拭きなよ」
笑う仔山羊亭。広い酒屋だった。
エイセルが見つけたその酒屋は商館並みに大きく、百人近い人間が入っても余裕がある。倉庫を改築した造りなのか、だだっ広い吹き抜け構造に取って付けたような二階席があった。天井からは沢山のランプが吊るされてとても明るい。貸し切りでもなく一般客も多いその店で、一行はひたすら飲んで食べた。
「全くいい気なもんだよ。人の気も知らないで」
フィンは一人文句を言う。団体行動と言うものを知らない首都の面々を集めるのに、随分前から飛び回ってクタクタなのだ。やる気があるのか、こいつらは。
まずクライムだ。
余計な寄り道をしたとかで帰りは遅く、買い出しを終えた頃にはすっかり日も暮れていた。十人分近い料理を一人で作る為、家に帰るが早いか下宿の厨房を占領し、死にもの狂いで格闘し始めた。焦るくらいならさっさと帰って来ればと言いたいが、旅好きのクライムに言っても聞きやしない。放ってフィンは皆を探しに行った。
最初に見つかったのはアレク達だ。
剣闘場で死んでいた。話を聞くと、どうあってもリメネスに勝てない事に業を煮やして、計画的な奇襲をかけたそうだ。アレクが遅効性の毒を盛り、テルルが魔法でリメネスの剣を凍りつかせ、ヴィッツが甘い声で誘い出し、油断させた所を三人掛かりで襲い掛かった。そして返り討ちにされた。馬鹿かあんたらと一蹴してフィンは次へ向かう。
次にリメネスが見つかった。
街の中心近く、噴水のある広間の一角で優雅に紅茶を飲んでいた。何故かその膝では猫が丸くなっている。動物の言葉がある程度分かるフィンが訊ねると、猫は騙されたのだと事情を話す。全て察した。クライムだ。痛い頭を押さえながら集合場所だけ伝えると、フィンは再び次へ向かう。
メイルとエイセルは王宮だった。
遅くまで何をしているかと聞けば、またしてもカトルだった。しかもあの冬の魔法使いを倒したのだと言う。エイセルが作戦を練り、スローンが冬の癖を教え、メイルが盤石の態勢で冬に挑み、そして勝利した。敗北して悔しがる冬をネタに二人は楽しそうに話しまくっていた。お疲れさんと一言かけてフィンは最後にレイを探す。
案の定レイは全く見つからなかった。
首都から逃げたのかとも一瞬考えたが、結局見つからないまま下宿に戻る。直後、後ろで誰かが噴き出した。レイだ。このお姫様はフィンが皆を探しているのを最初に見かけ、今までずっとつけていたのだ。ばれないように魔法まで使って。フィンが怒る間も無くレイは笑いながらあっさり謝り、クライムを手伝い料理を作った。
完成したのはギリギリだった。
三人が店へ向かうと、そこには皆が揃っていた。
「へー、じゃあエイセルは今、シルヴィア、さん? とは別居してるんだ」
クライムは林檎酒を片手にヴィッツやテルルと話していた。その隣ではエイセルが突っ伏している。クライムの隣ではメイルが美味しそうに強めの酒を飲んでいた。ドワーフと言いリュカルと言い、地中の種族は揃いも揃って酒に強い。
「そ。こいつヴィア姐がいると骨抜きになって使い物にならないから」
「シルヴィア本人に言われたそうだ。しばらく家には戻って来るなと」
「俺がどれだけシルヴィと寝てないと思ってんだぁあああああ!」
エイセルは既に酔っぱらっていた。泣き上戸である。
少女二人は毛虫でも見るかの様な目で椅子ごと離れた。
「サイッテー」
「死ね。エイセル」
みるみる株の下がるエイセルをなんとか持ち上げようとクライムは会話を続ける。
「き、騎士同士で結婚なんて珍しいね。エイセルも頑張ったんだ」
「いーえ。こいつがだらしないから、あたし達がくっ付けたのよ」
「年上相手とは言え、食事に誘わせるだけでどれだけかかったか」
「今思えばヴィア姐もよく受けたわよね」
「私達が仕組んだとは言え、人の好みは分からん」
上がるどころかまた下がる。クライムは諦めて一口飲んだ。
代わりにメイルが加わった。
「でもエイセルって気付いたら仕事終わらせてるんだよね。余った時間でひたすらフラフラしてるけど、あのスローンだってその点は文句も付けないし」
「僕には不思議だけどな。対極的なあの二人が同じ所にいて、よく喧嘩の一つも起こらないよ」
「起こってるよ! エイセルってば夜な夜なアレクと、その、色街に行ってるから、その度にスローンに呼び出されて散々怒鳴られるんだ! 宮殿中に聞こえてるんじゃないかって声でさ!」
「色……、エイセル、シルヴィアさんはどうしたの」
「死ね」
再びテルルが唸る。だが返答は無い。
エイセルは突っ伏したまま、大きなイビキを掻いていた。
スローンの名が出て来てメイルの話は一気に脱線する。この間も駄目出しされた、この間も理不尽に怒られた。そう文句を言っては景気よく酒を飲む。人間と違って彼女の種族は子供の頃から嗜むらしいが、饒舌なこの様子は酔っているのか、いないのか。クライムがその口元を拭くのも構わずメイルの話は止まらない。
「次持ってこーい!!」
歓声と共に向こうから声がする。
多くの男達が長テーブルを囲んでいた。
テーブルの上ではレイとアレク、二人が向かい合わせに立っている。アレクはもう辛そうだが、レイはまだまだ元気そうだ。二人は口を手で拭って、持っていたジョッキを観客に返し、代わりになみなみと注がれた新たなジョッキが二人に渡された。ガンとそれが突き合わされると、二人は一気に中身を煽る。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
景気良く喉が鳴り、プハッと同時に飲み終わった。再びジョッキは新しい物と取り換えられるが、見れば飲み終わった物は二人の足元に丁寧に並べられていた。既に八個。二人は九個目に手をかける。だがアレクはもう立っている事も難しそうだ。ガンと二つが突き合わされ、二人は一気に中身を煽る。
レイは順調だ。しかしアレクは遅い。その口から酒が零れ始める。そしてアレクはとうとう天を仰ぐ体勢のままひっくり返った。ジョッキが吹っ飛んでレイは頭から酒を被るが、気にせずプハッと飲み切った。倒れたアレクは男達が受け止め、勝利の一礼をするレイに再び歓声が上がる。
クライム達はそれを遠目に眺めていた。
「馬鹿だなアレク。レイに敵うはずがないじゃないか」
「そうよね。彼女、勝負を始める前に樽ごと一気飲みしてたわよ」
「樽?」
「樽よ」
そう言ってヴィッツは壁際にある大樽を指す。メイルどころかクライムがすっぽり入る大きさ、それが二つも並んでいる。両方共カラだ。クライムは頭を抱える。
「魔族ってどこまで滅茶苦茶なんだ。ヴォルフが強いのも納得だよ」
「だがリメネスなら良い勝負になるかもしれないぞ? 私達も彼女が潰れた所など見た事がない」
テルルの言葉にクライムが見ると、リメネスは部屋の隅で連れて来た猫を撫でつつ黙々と酒を飲んでいた。飲み切ると追加の注文をするが、さっきも注文していた。その前も確か注文していた気がする、と思っている内にまた注文した。相変わらず顔色一つ変わらない。
「本当に、人は見かけによらないな……」
「まぁ、彼女は呪い持ちだからな。どれだけ飲んでも死にはしない」
「呪い? そう言えば、なんか左目が変だったね」
「見えてないのよ、あの左。あと声も出せないらしいわ」
「私達も良くは知らないが、練習して声らしい物は出せるようになったらしい」
それが昼に聞いたあの音か、とクライムは少し納得するが、違う。
そんな強さの話をしているんじゃない。
絶対に力の使い所が違う。
「おー! いいものあるじゃない!」
そうかと思えばまたしても向こうからレイの声がする。
カウンター近くにある幾つもの太鼓を楽しそうに叩いていた。
見れば酒で濡れた服は着替えていた。酒屋の親父に借りたのか、店員が来ている物と同じ服。長いスカートにエプロンを合わせた単純な作りで、ものは次いでとコルセットや三角巾まで付けていた。くるりと回ると、スカートがふわっと広がる。
クライムの持っていたコップが。
落ちた。
「……サラ?」
中身が零れて酒が床に広がる。
レイを見たまま固まっていた。
落としたコップもそのままに。
目を見開いて彼女を見つめる。
ヴィッツは気にせずコップを拾って机に戻した。
「クライム、どうかした?」
「……あ、いや別に。驚いただけだよ」
「ふふん。あの子可愛いもんね。あんたも単純だ」
「別に。そんなんじゃないよ」
レイは太鼓で遊ぶついでにメイルを呼んだ。するとメイルは喜んで走って行き、何故かその後ろからは、いつの間に起きたのかエイセルもちゃっかりついて来た。
「凄い凄い! これドワーフの木太鼓だ!」
「楽しいわよ! メイル叩ける!?」
「任せてよ!」
そう言ってメイルは慣れた手付きポコポコ叩き始める。エイセルはと言えば店の親父と何やら話し、奥からギターを片手にやってきた。そのままメイルの隣に座ると太鼓に合わせて掻き鳴らし始める。
「嬢ちゃん! あれ知ってるか、エレインテール!」
「知ってる! 叩けるよ!」
「私歌うわ! さっき街で聞いた!」
「後は笛がいるな。誰か吹けないか!?」
「クライム! こっちこっち!」
カウンター前で盛り上がった三人が早く早くとクライムを誘う。
男達は自然とそれを中心に集まり始めていた。
ヴィッツが意外そうにクライムを見た。
「へぇ、あんた笛吹けんの?」
「少しだけだよ。エレインテールなんて出来るかな。あれ、結構速いんだよな」
北方地方では有名な一曲だ。旅芸人が好んで演奏する大衆向けの曲。クライムは文句を言いながらもコップを煽るとそこに加わる。店の親父から渡されたのは縦長の古い笛で、クライムは感触を確かめつつ試しに最初の旋律を吹いた。途端レイが文句を言う。
「違う違う! もっと速い方がいいわ!」
「いや、もっと遅い方が普通だろ!」
レイとエイセルはてんでバラバラに曲を始めようとする。クライムがどっちに合わせようか迷っていると、メイルがいきなりポコポコ叩き出す。酔っているのかやたらと速い。男達が勝手に盛り上がりレイが目を輝かせるが、クライムとエイセルは揃って慌てた。
「ちょっ! メイル!」
「おいおい! こんなに速い曲だったかぁ!?」
「クライム主題から! 最初とばすわよ! おっちゃん、合わせて!」
「お兄さんだ!」
そう言ってレイはぴょんとカウンターに飛び乗る。曲が止まらなくて二人は慌てて楽器を構えた。レイの合図と共に男達はコップを高く掲げ、エイセルがギターを思い切り鳴らした。レイはすぅっと、息を吸う。
酒場に、美しい歌声が響いた。
それは歌劇場の歌姫を思わせる自信に溢れた声だった。圧倒的な声量で響き渡るレイの歌で、店は更なる盛り上がりを見せた。ヴィッツとテルルがほうっと息を吐き、リメネスがコップを持つ手を止め、フィンも振り向き、死んでいたアレクは蘇った。
私は離れの酒屋の娘。
親もいないし男もいない。
それでも歌えばみんなが笑う。
奇しくも今の状況そのままの歌詞だった。第一番が終わると万雷の拍手の中でレイは優雅にお辞儀した。間奏の間も三人は楽しそうに演奏し、二番に入るとレイはまた朗々とした調子で歌い始める。男達は立ち上がり、二人一組が幾つも出来て踊り始める。男女の組が普通だが、楽しければなんでもいい。
「ヴィッツ! 立てこの野郎!」
「はぁ!? あたしはいいって!」
アレクが笑いながらヴィッツを無理矢理引っ張った。隣ではテルル相手にリメネスが片膝をつき、王女を誘う騎士さながらに片手を差し出していた。その姿が余りに様になっていて、女同士だと言うのにテルルは赤面する。溜息をついてその手を取ると、二人は同じく踊りの中に加わった。
カウンターの上でレイは歌いながらクルクル回る。
曲の速さにも慣れて、クライムも楽しそうに吹いている。
彼等の周りでは多くの男達が相手を変えては踊っていた。
「あ、あたしは踊れないのよ!」
「俺に合わせろ! 適当でいい!」
「リメネス。いつも思うが、早く相手を見つけろ」
『そんな物好き早々いないさ。今は、お前達が居てくれれば良い』
仕事の疲れも旅の疲れも、その場の熱気でどこか遠くへ吹き飛んだ。クライムも息が続く限り演奏を続け、今は無邪気に笑っていた。不安も悩みも消え、ただただ今が楽しくて仕方ない。
曲が終わっても、その店から光が消える事は無かった。
いつまでもいつまでも、皆の笑い声が聞こえてくる。
ティグールの夜は更けていく。
地平線の下ではまた新たな太陽が、輝く出番を待っていた。
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