第六章その1

 第六章:暗黒の登校日


 湘南から帰った二日後の八月二三日。八月三一日の説明会を兼ねた登校日前日、その日は曇り空で光は通町筋側の下通入口で待ち合わせしていた。

 今日は夏海とデートで一緒にゲームセンターで遊んだり、ランチを食べたりする予定だ、いつも通り清潔感を重視した服装で待つ。

 朝霧光は時折祖母の好きな歌を口ずさむ。熊本地震の前年、三月の終わりに今のサクラマチクマモトにあった場所で閉店した熊本交通センタープラザのCMで流れ、今でも多くの熊本県民に親しまれてる曲だ。

「お待たせ光君」

「あっ、おはよう夏海ちゃん……行こうか」

 光は夏海と早速ウィンドウショッピングをしたり、ゲームセンターで遊んだりしてると、ホビーショップである物が目に入って思わず立ち止まった。

「ん? どうしたの光君」

「あ……買おうかなと思ってね」

 光が手に取ったは食玩、それも太平洋戦争で活躍した旧日本海軍の零式艦上戦闘機――通称:零戦で大戦前半に活躍した二一型の模型だ。

「いいんじゃない?」

 夏海は微笑んで頷くと光はすぐにレジに行って購入する。

 次にTSUTAYA書店に立ち寄ると光はふと目についた航空雑誌を思わず手に取って、パイロットを養成してる大学の募集ページを開くと夏海は興味津々で見つめる。

「光君……やっぱり飛行機好きなんだね」

「……うん」

 光は頷いて航空雑誌を閉じて元の場所に戻す。

「もしかして将来は飛行機に関わる仕事に就きたいの?」

「……みんなにも話してないけどね」

 光は曖昧な答えを出して背を向ける。

 僕は将来パイロットになりたい。

 小学生ならともかく、大人や現実の世界と向き合わなければいけない高校生にそのことを口にするのはどこか面映ゆい、クラスメイトの竹岡に口を滑らせてしまった時にはネガティブな現実を否応なしにあれこれと聞かされ、無理な話しだと結論付けられて否定された。

「行こう夏海ちゃん、お腹空いたから……銀座通りの紅茶屋さんに行こうか!」

 光は精一杯の笑顔で振り向くと夏海は「うん!」と頷いた。

 二〇分ほど歩いて紅茶屋さんに入るとこの前の旅行の思い出を語り合い、紅茶を飲んでホットサンドにかぶりつく。

「う~んやっぱり美味しい」

 美味しそうにホットサンドを頬張る夏海は幸せに満ちた表情だ。自分の彼女がこんな表情を見せてくれるのはきっと信頼の証なのかもしれない。

「ねぇ光君、明日……登校日だよね。不安とかある?」

「あるよ……終わったら進路調査だからね。ありのままの自分の夢を言葉にすると笑われたり、否定されたりする……もっと現実的な夢はないのか? そんなことよりも人や社会の役に立つ仕事を目指しなさいって……現実的な夢ってなに? 人や社会の役に立つって? 結局は周りの空気を読んで、ただ世の中の言うことをはいはい言って首を縦に振る人間になれってことかな?」

 光は半分になった紅茶のカップに視線を落とすと夏海は少し躊躇う様子で言った。

「光君の夢って……もしかして……飛行機の操縦士さん?」

 その通り、図星、大当たりだ。だけど言葉にするのが怖い、だけど夏海に絶対嘘を言ってはいけないし言いたくない。

 大丈夫、曾お祖父ちゃんがついてるしきっと見守ってる。光は自分に言い聞かせ、意を決して重く首を縦に振った。

「うん、曾お祖父さんが帝国海軍――旧日本海軍の零戦搭乗員だったんだ」

「零戦ってさっき光君が買った白い飛行機?」

「うん、あれは大戦初期の頃に活躍した二一型。曾お祖父さんは太平洋戦争で真珠湾、ミッドウェー、ラバウル、マリアナで戦って……最期は紫電改に乗って昭和二〇年八月にB29に特攻して戦死した……曾お祖母ちゃんと生まれたばかりのお祖父ちゃんを残してね……お盆の時に阿蘇の田舎で物置の掃除を手伝ってたら、戦死する前までの手記が見つかって……それで今まで見て見ぬふりしてた思いが……抑えきれなくなったんだ」

 光はお盆を阿蘇の田舎で曾祖父の夢を知り、志を立てた。

 高校を卒業したらパイロットを目指そうと、光は意を決して夏海の瞳を射貫くように見つめ、自分の夢を言葉にした。

「俺は将来……世界中の空を飛びたい、卒業したらパイロットを目指すって決めたんだ! 曾お祖父さん、手記に何度も書いてた! いつか平和な大空を飛びたいって! だから、俺が曾お祖父さんの夢を叶えるんだ!」

 夏海はまるで心を鋭いもので貫かれたかのように光を見つめる。笑われても構わないと光は既に腹を括っていた、数秒間の沈黙の後、夏海はゆっくりと羨望の眼差しに変わる。

「曾お祖父さんの夢を光君が叶える……いいわね! 光君は夢や目標があって……私には応援することしかできないから」

「無理して急いで決めなくていいよ、周りにされて決めるなんてさ」

 光は何気なく言ったが夏海の吹奏楽部復帰の問題はまだ解決してない、理想的な解決は復帰を求めてる人たちに夏海が「ノー」とはっきり言えばいいのだが、そうもいかない。

 夏海も光の気持ちを見透かしたのか、俯いて寂しげな表情になる。

「そうだよね。光君……この前の湘南旅行、凄く楽しかったね」

「うん、最終日は大変だったけどね」

 光はこの前の最終日を思い出す。

 一緒に水族館に行ってすぐに羽田に行って美味しいもの沢山食べたり、早めに夕食を食べ、すぐに保安検査場を通ったら遠い六八番搭乗口ギリギリでやっとの思いで着いたと思ったら飛行機の到着が遅れたうえに搭乗口が変更になってまた歩くハメになった。

 光は一昨日のことがあまりにも遠く感じながら、光が撮った写真をたくさん見せようとスマホを取り出すが、夏海は不安に満ちて震えた声になる。

「ねぇ光君、私不安なの……あんなに楽しかった日々はもうやって来ないんじゃないかって……学校始まったら、もう終わるんじゃないかって」

「夏海ちゃん……」

「最近思うの……夏休み最後の日に彗星が落ちてくれれば……学校に行かなくて済むのにって」

「やっぱり……吹奏楽部のこと?」

 光は恐る恐る訊くと、夏海はコクりと頷いた。

「うん、吹部を辞めた後もSNSでみんなが……戻ってきて欲しいって毎日言ってたの、この前話したの覚えてる? アカウント消しちゃったって」

「うん……もしかして後悔……してる?」

 光は気遣って慎重に言うと夏海は「うん」と頷いた。

「恵美ちゃんと八千代ちゃん……辞めた後も私のこと心配してくれたから、勝手にアカウント消して……直接会うのが怖いの」

 夏海は今でも守屋さんと駒崎さんのことを友達だと思ってるんだろう。

「大丈夫、夏海ちゃんには僕がいるし一人じゃない……クラスは違っても花崎さんがいるし、桜木さんだっている、冬花や望にだって頼っていいんだ」

 少なくとも夏海は一人ではない、彼氏である自分がいるし一緒に夏休みを過ごしたみんながいる。光は望や冬花たちに頼ってしまう自分に不甲斐なさを感じ、それを表情に出さないようにした。


 

 八月二四日の登校日。花崎千秋は夏海と登校し、お昼辺りには雨が降りそうな曇り空を見上げて雨は嫌いだと顔を顰めながら昇降口で上履きに履き替える。

 一緒に登校した夏海は不安でいっぱいの表情だ、千秋は凛とした声で諭した。

「夏海、堂々と胸を張りなさい……あなたは何も悪いことしてないわ」

「うん……」

 それでも夏海の不安が消えることはない、当然と言えば当然だ。

 教室に近づくにつれて夏海の足取りは重くなる一方だ。千秋も腹を括って賑やかな教室内に入ると、一瞬静まり返る。

 突き刺すような視線が集中してゾッとするような悪寒を感じる。

 視線が集中したのは一瞬で、すぐに何事もなかったかのようにクラスメイトたちは雑談に戻る。

 今のは何かしら? 嫌な予感がする……千秋は神経を研ぎ澄ましてると、吹部のグループにいる駒崎さんが心配した様子で歩み寄ってきた。

「おはよう夏海」

「お……おはよう八千代ちゃん」

「明後日……県立劇場で九州大会なんだ……よかったら見に来てね」

 駒崎さんの口調はぎこちない、まるで建前で言ってるみたいだ。

 視線を守屋さんたちのいる吹部のグループに向けると、守屋さんは同じ吹部の子となにかヒソヒソ話をしてる、夏海が守屋さんをビンタして以来まともに話してないらしい。

 席に着いて窓の外を見ると雲行きは更に怪しくなっていた。

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