第四章その3

 熊本県熊本市新屋敷しんやしき

 

 如月望は毎年恒例のお盆で父方の実家――所謂本家で過ごし、小説家の祖父が使ってる仕事部屋の応接室兼書斎のソファーに身を委ね、柴谷先生から勧められたジョージ・オーウェルの「1984年」の文庫本を読み耽ていた。

 柴谷先生の言う通り先の大戦後に書かれたとは思えないほど、未来を予見していて望は戦慄する、柴谷先生がスマホを使いたがらない訳だと思わず納得する。

 一区切り読んだ所で、何か飲もうと思いながら書斎を出ると午後三時近くにも関わらずまだ大広間では親戚のおじさん達がお酒を飲んで談笑してるのか、下品な笑い声が絶えずに思わず立ち止まる。

 大広間を通ろうとしたら間違いなく酔っ払った大人達に絡まれそうなので、廊下を忍び足で歩いて台所に入ると、こっそりペットボトルのアイスティー(無糖)とケーキを一切れを頂こうとした遠い親戚の子と鉢合わせした。

「あっ……望君?」

達成たつなり君も何かくすねてたの?」

「うん、甘いものが欲しくなってね、さっきまで中庭で彼女とLINEしてたけど君は?」

 望とは対照的に長身で、顔立ちは線の細い甘いマスクの美形で爽やかなイケメンの市来達成いちきたつなりは横浜から来たという。

「俺はお祖父ちゃんの書斎で読書だよ、他の子達もみんな酔っ払いから逃れてるみたいだね」

「うん、他のみんなは散り散りになってスマホでゲームしてたり、YouTubeとか見てる」

 他の小さな子達も酔っ払いのおじさん達の相手やおばさん達の手伝いから逃れ、同い年や少し上の子達は市内にこっそり遊びに行ったらしい。

 小さな子供が苦手な望も、達成なら隠れ家に招いても良さそうだ。

「達成君、俺の隠れ家に来る?」

「うん、ありがとう」

 達成は微笑んで礼を言うと、氷を入れたアイスティーとケーキを載せたトレイを持ち、祖父の書斎に戻ってそれぞれ思い思いの時間を過ごし、沈黙が流れると達成が口を開く。

「ねぇ、彗星の夜は誰と過ごすか決めた?」

「うん、幼馴染みと中学からの友達と、この夏に友達になった子達と六人でだよ」

「そうか……実は僕も悩んでたんだ。僕の彼女、実はまだ中学生なんだ」

 達成は絞り出すような声だった、秘密にして欲しい話しにも聞こえる。

「周りには言い辛い話しだね、秘密にしておくよ。SNSにも書かない方がいい、見られてるかもしれないからね……これみたいに」

 望は開いたまま「1984年」の表紙を見せると、達成は訊いた。

「なんだいそれ? 小説?」

「1984年っていうディストピア小説だ、二四時間国民を監視する装置テレスクリーンが出てきてね。これを呼んでるとSNSを使うのが怖くなるよ」

 望は微笑んで率直に感想を言うと、達成は余裕の笑みで訊く。

「どうしてそれを?」

「音楽の先生に勧められたんだ。電子書籍よりも紙の本でね……この本に出てくる古道具屋の主人ミスター・チャリントンがなんとなく先生に似ているんだ」

 望は苦笑すると、達成の聞きたいところはそうじゃないと思い理由を話す。

「って……そうじゃないな、SNSで投稿した画像や呟きがもし見られたくない人達に見られていたら? しかも四六時中に」

 春菜がこの夏休みの始まりにノートで夏休みの予定に混じって書いた「夏休みの宿題」や「夏期講習」に「テニス部復帰」に×印を付けてSNSにアップした悪ふざけがいい例だ。

「想像したくない話しだな、僕が中学生の子と付き合ってるのも実は筒抜けってことも?」

「うん、SNSに投稿しなくても周りの人が見ていてそれを密告するようなことになったら?」

「それ絶対嫌だね、自分が誰かを好きになったって気持ちが知られたくない人に知られるなんて、望君は幼馴染みの女の子が好きなの?」

 女の子だなんて言ってないのにどうして見抜いてたんだろう? 望は驚きを隠せずに達成を見つめながら頷いた。

「そうなんだよ、よくわかったね」

「表情と仕草から何となくわかるんだ、気味悪く思わないでね……もしかしてだけど、その幼馴染みと以前何かあったみたいだね」

 達成の言う通りだ、完全に見抜かれてるような気がした。まるで彼自身がテレスクリーンのようにも見えて、念のため望は訊いてみた。

「達成君もしかして、嘘も見破れるの?」

「うん、それで気味悪がられたことも沢山あった……だけどそのおかげで本音で言い合える友達もできたからそのことには感謝してる、望君はその幼馴染みをどう思ってる?」

 達成に訊かれると望は何となく自分自身の前に大きな鏡が現れ、自分自身と向き合うことを自分自身によって強いられてるようだ。

 だけど逃げたり目を背けてはいけない、望は思うがままを話す。

「中二の頃、一回告白したんだ。だけど冬花はおろおろしてどうすればいいかわからないって泣き出して、傷付けてしまった。本当に取り返しのつかないことをしてしまったよ……だけど冬花は、次の日には何事もなかったように変わらず接してくれた……」

 それが望には胸が締め付けられ、辛くて痛かった。昨日のことを謝っても冬花は気にしないでと言ってくれたのが、より罪悪感と辛さに拍車をかけた。

「その冬花ちゃんのこと、今でも好き?」

「うん、好きだよ……でもそれを口にしたら今まで築き上げた関係が一瞬で壊れるんじゃないかと思うと怖いんだ」

 そうなってしまったら望は何を糧に生きて行けばいいのだろう? 達成はジッと見つめると、今まで思ってもいなかったことを言った。

「傷付いてるのは君も同じだと思うよ」

「俺が?」

 望は達成を見つめながら言うと、達成は頷く。

「うん、確かに思いを伝えるのは怖い、だけどあの日から向き合わずに逃げ続けていたら多分大人になっても、下手すれば一生後悔する。だから、もう一度伝えるべきだと思う。それに君は一人じゃない? 違うかな?」

 達成の問いに望は迷わず首を振る、一人な訳ない。友達の光がいるし、冬花には風間さんや桜木さん、花崎さんがいる、だから一人じゃないと否定する。

「いやそんなこと言ったらそれこそ冬花に怒られるし、下手すれば光に殴られるよ」

「うん、それともう一つ、絶対に卑屈になって自分には似合わないとか、釣り合わないとかなんて思ったり、口に出しちゃ駄目だよ」 

「勿論さ、でもそれ誰の言葉? 達成君の言葉には聞こえないけど」

 望は達成の口調から何となく誰かの言葉を引用してるようにも聞こえると、悪戯がバレた小さな子供のように微笑む。

「バレた? 僕のクラスメイトの言葉だよ、キョロ充嫌いな奴でね『卑屈な非リアは血の涙を流して慟哭しろ!』ってそういう奴に言い放ったんだ!」

「いや正論だよ、光のクラスメイトにキョロ充な奴がいるから今度教えよう!」

 楽しみがまた一つできたような気がして、達成から元気をもらったような気がした。

 もう一度冬花に、自分自身の思いを伝えてみよう、後悔するよりはいい。

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