第三章その4

 なんとか逃げ切った朝霧光は夏海と日本三大名城の一つ――熊本城を流れる坪井つぼい川沿いにある屋台で焼きそばを食べ、次にやきとりを食べた辺りで満腹になったが、夏海は更にお好み焼き、フランクフルト、たこ焼きを幸せそうに食べていた。

「美味しかった……次何食べようかな?」

 なんだか凄く可愛いと幸せそうに食べる夏海に光はときめいてしまう。

 いや目覚めてしまったというべきか、光は胸をキュンとさせて仄かに赤らめながら歩く。何を話そうかと熊本城入り口に続く橋の前にある加藤かとう清正きよまさ公像の前で立ち止まる。

「風間さんは知ってるかな? まだ平成だった頃、この熊本城で花火大会やってたんだって」

「うん知ってる。私の家、呉服町のマンションなんだけど隣に住んでる奥さんがね、細高出身で高三の夏休みに彼氏だった旦那さんとこっそりデートして、当時コーラのCMで人気のアーティストのライブやってて凄く楽しかったって話してた」

 旦那さんは高校時代からの彼氏――光はふと恋が実って夏海と付き合えたとしても、卒業して離れ離れになるとしたら恋人であり続けられるのだろうか? そういう不安が込み上げてくるが、それを振り払って今の気持ちを口にした。

「楽しかった……か……風間さん、僕たちも……負けてられないね!」

「うん、そうね」

 夏海の学校では見せなかったはにかんだ笑顔で頷くと光の心臓の鼓動が加速し、高温に加熱され、沸騰する血液が全身の隅々にまで行き渡って熱くなる。

 夏海を抱き締めたい、唇に触れたい、誰にも渡したくない! 抑えきれない衝動がマグマのように地の底から込み上げてきて噴火寸前だった。

 伝えよう、俺があの日君を見た時の気持ちを!

「風間さん……俺、あの日君を見た時――」

「おい朝霧テメェ! そこでなにリア充してるんだ!」

 怒りに満ちた竹岡の声で全身が溶岩のように熱を帯びた体が一気に冷え固まるように感じた。

 この野郎……邪魔しやがってと顔を向けると何人かで群れている。いつも行動してるリア充グループに加えて同じクラス、吹部の男子でトロンボーンの久保田くぼたもいる。

「朝霧、お前風間と一緒なのか?」

 マズイ! 久保田は大柄で肩幅の広い、厳ついが顔立ちのいい吹部部員で光は力では勝ち目がないと悟る。

 夏海は咄嗟に光の背中に隠れた。まさか例の笹野派じゃないよな? 歩み寄ってくる竹岡達、光は夏海を背中に隠しながら訊いた。

「そうだけど……久保田君はその……風間さんに戻ってきて欲しいと思ってる?」

 ほんの一~二秒程度の時間が長く感じ、光は神経を研ぎ澄ます。

「ああ勿論だ……何がなんでもな」

 久保田が頷くと光は最悪のシナリオを覚悟して微かに顔を顰める。

 だけど風間さんをここで渡したりするものか! 光はゆっくり深呼吸すると背中に隠れて怯える夏海にズカズカと歩み寄ってくる久保田を腕で遮った。

「おい朝霧……そこをどけよ、なんのつもりだ?」

 竹岡が冷や汗を流しながら代わりに言う、久保田はジロリと睨み下ろした。

「朝霧……お前まさか、風間と付き合ってるのか?」

 久保田の殺気に満ちた視線が光に突き刺さる。いつ手が出てもおかしくないが今から桜木さんを呼んでも間に合わない、風間さんを守れるのは俺だけだ!

「悪いけど、風間さんはもう俺たちと新しい道を見つけて、一緒に前を向いて歩いてるんだ」

「お前の言うことなんかどうでもいい! 風間は吹部に返してもらうぞ!」

 久保田は怯える夏海に手を伸ばそうとすると、光は躊躇うことなく払い除けた!

「風間さん逃げるよ!」

 夏海の手を握って走り出した。一瞬だけ後ろを向くと逃がさないと言う形相の久保田とノリで後を追うリア充グループ、そして遥か後ろに竹岡が苦しそうに必死で追っている。

 久保田は大柄な見た目から想像もつかないほどのスピードで追いかけて来て、光は驚きの声を上げた。

「速い!」

「吹奏楽部は……文化部という名の……運動部だから!」

 夏海は走りながら言う。確かに夏海もさっき玲子先生から逃げた後も、息を切らした様子はなかった。帰宅部の光には体力はそこそこ程度しかなく、すぐに息が上がり始める。

「はぁ……はぁ……このままじゃ……追いつかれる……追いつかれてたまるか!」

 悲鳴を上げる肺、心臓、筋肉に鞭を打って加速させる。体力で勝てないなら頭を使え! こういう時、機転の利く望や冬花なら……雑踏に紛れ込む!

「風間さん、絶対に手を離さないで!」

「うん!」

 夏海は頷いて雑踏の中に紛れ込み、道行く人の隙間という隙間をすり抜けようと思うが夏海と手を繋いだままだ。思うようにいかない、徐々に距離を詰められていく。

「そこまでだぜ朝霧!」

 人混みを掻き分けた先に竹岡が立ち塞がっていた、いつの間に回り込んでいたのだろう? いや、この町は勝手知ったる我が家だ。体力があるとは言い難い竹岡でも頭を使えば先回りできてもおかしくない、竹岡は深刻な表情で問い詰める。

「朝霧、お前自分が何やってるのかわかってるのか? 吹部の連中、風間さんの復帰を望んでるって」

「知ってる。一部の部員がね」

「久保田もその一人だよ、わかってるのか? 二学期になったらお前クラス――いや、学校に居場所なくなるぞ!」

 竹岡の言うことに光は無言で頷く、久保田はクラスの男子達でも発言権のある方だ。そんな彼を――吹部を敵に回すことはすなわち、クラスどころか学校内で孤立することになる。

「そんなことはわかってる! でも、ここで風間さんを渡したら僕は望や雪水さんに軽蔑されるし、桜木さんや花崎さんだったら罵倒されるに決まってる!」

「朝霧……羨ましいじゃねぇかよ! 特に花崎さんや桜木さんに罵倒されるなんて!」

 ドMかよこいつ! だけど問題はそこじゃないと光は啖呵を切る。

「自分の立場が――自分の保身が大事だからって思い悩んでる風間さんを見捨てる。そんな薄情な人間になりたくない!! 狭い場所に納まって人の顔色を窺って何もせず口だけ立派な奴なんかに俺はなりたくない!!」

 竹岡、お前のことだよ。図星なのか竹岡は胸を打たれたのか、苦悶に満ちた表情になる。

「朝霧、風間そこにいるんだな!」 

 光の声を聞いたのか久保田の声が近づき、光は竹岡を見つめる。さあどうする? 竹岡は気に入らないのか「ふんっ!」と鼻を鳴らして夏海の鞄に指差す。

「風間さんの鞄にある防犯ブザー、それは飾りかい?」

 光は視線を夏海の鞄にやって竹岡を見ると、恨めしそうに呟いた。

「花火みたいに綺麗に爆発しちまえクソリア充!」

 そう言い捨てて雑踏の中に消えるがそれを見送ることなく、久保田から逃げながら光は夏海と目を合わせる。

「風間さん、これ……あいつの注意を引けるかも」

「これ?」

 夏海は鞄に付けた防犯ブザーを取ると、やがて怯えていた瞳が強い決意に満ちたものに変わって頷く。

「……うん、やってみる!」

 夏海は光の手を離れ、雑踏の中を捕まるか捕まらない距離まで近づく。

「久保田君! これ!」

 そう言って夏海は久保田の懐に飛び込み、胸ポケットに入れる瞬間に防犯ブザーの紐を片手で器用に引いた! 雑踏の中で甲高い電子音が鳴り響き、夏海は即座に離脱! 飛行機のジェットエンジンと同じくらいの一二〇デシベルの電子音は、大混雑の人々の注意を引くのに十分過ぎた。

「ええっ!? ちょっと風間! 待て! 待ってくれ!」

 狼狽する久保田に背を向けて戻ってくる夏海。

「風間さん! こっち!」

 光は手を伸ばすと夏海はその手を繋いでそのまま一緒に走って逃げる。その間に交わす言葉はなくただ一緒に、時折振り向くと仄かに赤くしながらも微笑んでいた。咄嗟に夢中でやった光は我に返って、息を切らしながら心臓の鼓動を急加速させる。

 ヤバイ! このままじゃ心臓が破裂しておかしくなりそうだ! 辛島公園の隣にある花畑広場まで逃げると久保田たちがもう追いかけてこないと確信して、ホッと胸を撫で下ろす。

「ここまで来れれば……もう大丈夫かも?」

「うん……でも楽しかった! なんか春菜ちゃんの言う青春モノみたい! 春菜ちゃんが青春したいって言ってた気持ち、今ならわかる!」

 夏海の言う通り、ドラマかアニメか映画かはともかくとして、今年の夏休みどころか青春真っ只中って感じだ。

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