閑話 イルカに油揚げ

 女性自衛官の数も増えてきたと言われているが、現状は男のほうが圧倒的に多いのは変わらない。民間の間で知名度の高い航空自衛隊の花形、我が第11飛行隊、通称ブルーインパルスでも、それは例外ではなかった。


 今年、整備小隊に配属されてきた女性隊員は一人だ。しかも、自分達と同年代の若い子だ。男どもがざわつかないわけがない。


「二十三歳の三等空曹殿だそうだ。名前は浜路はまじるい。前任地は三沢みさわ基地。三沢でイーグルの整備をしていたって話だ。なかなか腕は良いらしいと、上官からの覚えもめでたい」

「あちらでは、特定の相手は存在しなかった模様」

「寮住まいか。これはなかなか守りが固そうだ」

「担当は三番機。あらららら……」


 そこで、居合わせた全員が溜め息をついた。


「三番機の機付長は、総括班長の坂東ばんどう三佐か。こりゃまた、すごいおっかねーパパが後ろ盾になったもんだ」

「しかも赤羽あかばね曹長つきとか。鉄壁てっぺきのガードだな」

鉄壁てっぺきすぎて、あそこの班員以外が仕事中に近寄るのも大変そうだ」

「班員でも難しいかも」


 まさか本人は着隊早々こんな風に、自分のことが野郎どもの間で話されているとは思いもしないだろう。だが、女性隊員が少ないところじゃこんなもんだ。なんだかんだ言っても、しょせんは俺達もただの男ってことなのだ。


「れいのごとく、抜け駆けは厳禁だからな」


 『抜け駆け禁止協定』


 協定内容は単純明快たんじゅんめいかい


 アタックのチャンスは、年度末の自分の異動日前の三日間。それまではあくまでも職務優先で、相手と話す機会があっても、飛行隊の同僚として接すること。異性としてのアプローチをかけるのは厳禁。ただし、相手からアプローチがあった場合はこの限りではない。突発的なアクシデントに関しては、全員で協議すること。


 この協定は、女性隊員が着隊するたびに、第11飛行隊のパイロット以外の独身男子の中で結ばれるものだった。もちろん、アタックするかしないかは本人の自由だ。


 なぜパイロットは含まれないかって?


 なぜなら、ここに着隊するパイロットは、様々な課程を修了したベテランパイロットだから。つまり年配、妻帯者であることが多い。たまに例外もあるが、ドルフィンライダーは、とにかく女性におもてになるので独身でも気にかける必要はない。だから除外なのだ。誰がもてない男のひがみだって? 失礼な。


「彼女の任期はどれぐらいなんだろうな」

「まあ通常だと四年ってとこだけど、こればかりは上次第ってやつか」

「そう言えば、四番機のジッタさんは独身だよな?」


 仲間の一人が指摘した。


「あー……今年の四番機にはフリーのパイロットがいるのか。どうする? 協定に引き込むか?」

「いやいやいや。下手に引き込んで、逆に目をつけられてヤブヘビになったら困る」


 これが他の機体のパイロットならそれほど気にしないのだが、相手はあの四番機。


 なぜか四番機は、パイロットにエロ属性というかフェロモン属性というか、とにかく不思議な属性をつけるいわくつきの機体だった。そのメインパイロットを勤める藤田ふじた一等空尉殿は現在独身でフリーらしい。しかも顔も悪くない。ただし年齢的には俺達よりかなり上だ。


「四番と三番で整備班も違うし、大丈夫なんじゃね? 機付長の坂東三佐は、自分の班員にパイロットがちょっかい出してきたら容赦ようしゃしないって話だし」

「ならジッタさんは問題なし、圏外ということで」


 そして俺達の予想通り、坂東三佐は鉄壁パパぶりを発揮して、藤田一尉が浜路三曹に近寄ることを許さなかった。なぜか「お前のアホがうつる」と言って。藤田一尉がアホなのかどうかはわからないが、珍しく俺達は坂東三佐に感謝した。


 そして年度末、何人かが彼女に告白をしたらしいが見事に玉砕ぎょくさい。後のことは任せたお前達の健闘を祈るという言葉を残し、ここに来る前に所属していた自分達の古巣へと戻っていった。


「この調子だと、浜路三曹がいる間はしかばねが毎年つみあがりそうだよな」


 お断りの言葉が『今は人間よりドルフィンが大事なので』というのは、いかにも整備員らしい言葉だというのが残った俺達の感想だ。


「まあ、整備にしか興味がないのは幸いなのかも」

「来年の異動は誰だっけ?」


 これで来年の異動日が来るまでは安泰だなと、残ったメンツは安堵した。そしてまた一年、平和な日々が続くはずで俺達もそう信じていた。


 三番機候補として、白勢しらせ一等空尉が第11飛行隊に着隊してくるまでは。



+++



「また、のど飴を渡してる……」


 その光景を見るようになってすでに半年。新しく第11飛行隊にやってきたパイロットの一人、白勢一等空尉は飛行展示に参加せずに、新人ドルフィンライダーの常としてアナウンスを担当していた。


 そんな一尉は三十歳の独身。三十代とはいえ、俺達ともかなり年齢が近い。


 その一尉に、いつからか浜路三曹がのど飴を渡すようになったのだ。


「機付長、ガードが甘いよ、なにやってんだよ~」

「いや見ろ、あれはまったくガードする気がない」


 のど飴を一尉に差し出している浜路三曹を見かけた坂東三佐が、何事かという顔で二人に近づいた。だが、彼女がなにか言いながら三佐にのど飴を差し出すと、うなづきながら飴を一つ手にして、あっさりとその場を離れる。


 三佐が白勢一尉のことを警戒しない理由は、一つしかない。


「やっぱり、白勢一尉が三番機候補というのは本当なのかな」


 まだ正式な発表はないが、飛行隊長の玉置たまき二佐と坂東三佐は、入隊前からの付き合いらしいし、話がすでに耳に入っていても不思議じゃない。


因幡いなば一尉は妻帯者だと思って、安心していたのに」

「まさかの伏兵ふくへいあらわる! ひゃっはー!!」

「笑ってる場合じゃねえし」

「今から協定に引き込むか?」

「いやあ、もう無理な気がしてきた。あのイケボが本気出したら勝てそうな気がしない」

「声に負けたのか」

「いや顔も負けてる気がする」

「足の長さでも負けてるかも」


 ここ最近、浜路三曹と白勢一尉の距離が、急激に縮まっているように思えるのは気のせいじゃないはずだ。少なくとも一尉は、間違いなく彼女のことを異性として意識している。なんでわかるかって? 男にも男のかんというものがあるのだ。


 しかも、同じ三番機の整備班にいる赤羽曹長や六番機の整備班の森重もりしげ曹長も、「あいつら付き合っちまえばいいんじゃねーの?」とか「夫婦めおとイルカの誕生か。なかなか面白いよな」とか言い出す始末。


 こちらとしては、良くないしまったく面白くないんだが。


 ただ救いなのは、彼女が今のところ「人間よりドルフィンが大事」で、一尉のことも、アナウンスをしているブルーの一員としてしか見ていないということだろうか。


 とにかく、赤羽曹長や森重曹長にからかわれて怒り、飴玉を投げつけている間は安心だ。このままでいてくれたら、年度末の異動日前夜にアタックできるヤツがいるかもしれない。



+++



「ダメだ、全員、しかばね決定」


 休み明けの昼、いきなり仲間の一人が言い放った。


「どうした?」

「なにがあったんだ?」

「なにがしかばねだって?」


「昨日、タックさんと浜路三曹がデートしたって」

「誰か見たのか?」

「タックさんとラパンさんが話しているのを聞いちゃったんだよ。二人で水族館に行ったらしい。浜路三曹がマボヤの塩辛にチャレンジしたとか言って笑ってたぞ、タックさん。あれは絶対に惚気のろけだ、間違いない」


 全員で溜め息をつく。


「もうこうなったら協定なんてどうでもいいよな。アタックしたいヤツは、今からでも突撃かければ良いんじゃね?」

「だよなあ。振られるにしろきちんと相手には伝えたいよなあ……」


「おい、小僧ども」


 いきなり野太い声が響き渡って飛び上がった。振り返るとそこには坂東三佐、そしてなぜか玉置二佐までがいる。


「なにコソコソと、良からぬ相談事をしてるいるんだ。うちの大事な整備員に変なことをしたら許さんぞ、分かっているんだろうな」

「それとだ、うちの大事な三番機パイロット候補ににも、良からぬことを仕掛けたら許さんからな」


 おっかねー鉄壁パパは一人じゃなかったか。


「お前達、返事は」


「全員、肝に銘じておきます!!」


 全員で声を張り上げて返事をすると、三佐と二佐は重々しくうなづいた。



 まさにトンビに油揚げならぬイルカに油揚げ……俺達の短い春は終わった……いや、始まってもいなかったのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る