026.イージス家のお茶会




 滑らかな塗装の上に太陽の輝きを反射させながら、リン達を乗せた車はハイウェイをぐんぐん飛ばしていた。開け放たれた窓からは、空に突き立つ様な摩天楼が遠くに見える。

 車は凄まじい速度を維持したまま、セブンクロスの首都レグラスカに入った。


「空に道が走ってる! 凄い!」

「オービタル・スカイラインですね。ハイウェイよりも更に上空に通っていて、よい景色なのですよ」

「行ってみたい!」

「これから通りますから、外の景色を眺めてみてください」


 車は右に大きく曲がり、ハイウェイは更に高く、都市中心部へと向かった。自動ゲートを潜り抜け、回るようにして高くなる道はやがてクリアシェル製のチューブウェイへと変化していった。

 眼下に広がるのは東西南北に渡り立ち並ぶ銀の建物と、果てしない粒の様な人々の姿。尖塔、ビル、マンション、館。目に見える建物はごちゃごちゃと乱雑であり、混沌とした組み合わせがそこかしこに溢れている。それでいて、全体としては華美な調和を形作っていた。


 延々と地平続く限り広がる大都会の姿に、この様な景色を初めて見たカムニエは感嘆の声を上げた。


「すごい街!」


 無邪気な褒め言葉に、二人は微笑みをうかべた。

 事実、これ程に繁栄した都市は世界でも有数である。

 車が更に速度を上げて走らせる度に、カムニエの驚きと興味を刺激する様々なものが、窓の外を通り過ぎていった。


 やがて車は速度を落とし、スカイラインを逸れて一つのビルの中へ入っていった。地上数十階にもなるビルの中に、駐車場が存在していたのだ。ぎっしりと車が並べられ、停める場所など無いようにも見えたが、車はその駐車場を通り過ぎ、自動で開かれた門を通り過ぎ、更に上階に入った。

 上階は下とはうってかわってがらんとしており、丁寧に整備された車が整然と並べられている。ここはイージスの擁するガレージであった。


「さあ、着きましたよ。皆様、どうぞ着いてきてください」


 車から降りた三人は、ノエルに連れられて別の階へ向かった。ガレージよりも更に上の階へ、エレベーターは上がってゆく。


「ビルの中に家があるの?」


 珍しげにリンが尋ねた。このビルはマンションとは違い、見たところ相当なオフィスビルである。家を構えるには不向きだと思ったのだ。


「家……と言うよりは、拠点の一つ、と言った方が正しいかもしれませんね。我が家は世界中に住まいを持っており、各々が常に移動しているものですから」

「スケールが違うわね」


 エレベーターは最上階に止まり、三人は豪奢なシャンデリアとカーペット、そして世界の果てまでも見通す様な雄大な景色に出迎えられた。調度品の様なものは殆ど無かったが、それでも並の屋敷よりも品良く見えた。

 エレベーターの音を聞きつけたのか、廊下の角から紳士の様な男が顔を出した。髭が綺麗に剃られた若々しい顔付きで、翡翠の瞳をこちらに向けていた。パリッと糊で固められたグレーのスリーピーススーツと、それに合わせた黒いネクタイという地味な色合いだったが、それがむしろスマートな印象を与えていた。


「ああ、帰ったかノエル。そちらのお二方が聞いていたお客様だね」

「リン・ツミノギです」

「カムニエです! よろしくお願いします!」


 リンは男の視線を感じたが、それは殆ど一瞬の事で、不躾にならない程度だった。男は珍しげに一人頷くと、自身も丁寧な物腰で自己紹介をした。


「私はエディンズ・ロンドリー・イージス。くつろいで行かれるとよろしい。後ほどまたご挨拶申し上げますが、今は失礼」


 エディンズはそう言うと、さっさと別の道を行ってしまった。


「エディンズ兄様は色々と忙しい方なのです。今日はキーラ兄様のせいで色々と予定が狂わされたから、多分普段よりも更に忙しいのでしょう」

「あいつが帰ってくるのって、そんな大事なの?」


 リンのキーラへの印象は、殆ど前後不覚の酔っ払いを見るようなものだ。傭兵をやってるような奴に品を求めてもしょうがなく、そもそもキーラが富豪の一族などとは信じていなかった。

 今ではキーラの立場を信じざるを得ないのだが、それでもあの様な人間が未だに勘当されていないのも疑問に思う。リンであれば、キーラが家族などとは到底耐えられないだろう。尤も、家族には違う顔を見せているのかもしれないが。


「大事ですよ。キーラ兄様はイージスの跡継ぎなのですから。それなのに好き勝手して……はあ」

「あいつが跡継ぎ!? 正気なの!?」


 リンは驚きに目を見張った。キーラを跡継ぎにするくらいなら、そこらの一般人を社長に据える方がまだマシだと思える。あの性格でまともな経営など出来ようはずがない。


「まあ、兄様の素行を見ていれば、そう思うのも無理はないですね。あの人の自由さは度を超えていますし。しかし……と、わざわざ立ち話もなんですし、部屋に行きましょう」


 ノエルは言葉を切って、部屋の中に二人を案内した。室内には爽やかな香りが満ちており、滑らかな革張りのソファや細かな彫刻の入れられた花瓶、黄金の鎖で吊り下がった輝くシャンデリア等が彼女らを迎え入れた。花瓶にはピンクや紫、白の小さな花が綺麗に生けられており、のんびりと縁に寄りかかっている。

 リン達が椅子に腰を下ろすと、いつの間にかノエルの傍にいたスーツ姿の老爺が、三人の前にほんのりと暖かな金細工のカップを置き、これまた細かい装飾のティーポットから滑らかな琥珀色の紅茶を注いだ。テーブルには既に軽いお茶菓子が用意されており、歓談の準備はバッチリだ。


「紅茶は苦手ですか?」

「大丈夫」

「飲めます!」

「それはよかった。飲み物もお菓子も十分にありますので、お好きに召し上がってくださいな。何かご所望の飲み物がある場合は、私かウィンドルフ――さっきの執事に言って貰えれば、用意いたします」


 ノエルは微笑むと、優雅にカップに口を付けた。それを合図に、リン達もお茶を頂き、高い空の上でのお茶会が始まった。







 茶会は終始和やかに進んだ。リン達はセブンクロスの様々な事や、イージス家の事、とりわけキーラの話を聞いた。

 彼が五人兄妹の長子であり、その中でも最も出来がいいらしい事。幼い頃から変だったが、成人した後はますます自由になり、最早手に負えない事。あれでもやる時はやるらしい事。常々苦労をかけられてきたこと等、最後の方はノエルの口からはキーラへの文句ばかりが出てくる有様だった。

 これに同調したのはリンである。ノエルに比べれば、リンなどはまだキーラとの関係はまだまだ短い。しかし、その短い期間でもキーラへの鬱憤はこれでもかと溜まっているのだ。幼い頃から一緒だったノエルなどは、胃にぽっかりと穴が空いてしまっていてもおかしくない。


「まだ無事ですよ……良い薬を服用していますので……うふふふふふ」


 不気味な顔で笑うノエルだったが、その顔がやつれて見えたのは果たして気の所為だったのだろうか。

 唯一カムニエはキーラをそこまで悪くも言っていなかったし、フォローもそれなりにしていたのだが、それでもキーラの自由さとそれに付き合わされる苦労は想像にかたくないのか、同情的な目でノエルの話を聞いていた。

 それからノエルは二人の話を聞いたり、また話したり、時間はのんびりと過ぎていった。


「今日は家にいなくてはならないので、私は案内出来ませんが、フェンさんが帰ってきたらレグラスカを見て回っては如何ですか?」

「そうね。私ここの事よく知らないし」

「見てみたいです」

「ええ、ええ、是非そうしてください。何か好きな物などはございますか? 好みに合った場所を紹介出来ると思いますわ」


 この言葉に、リンは割と悩んだ。自分の好きな物など、考えたこともなかった。食べ物とか、服とか、娯楽とか、そういったものを楽しむ心を完全に忘れ去っていた。傭兵生活の中では生き残る事のみを考えて、楽しさなどは思考に浮かびもしなかった。

 いや、そもそも、何かを楽しんだ記憶などあっただろうか。フェン達と出会ってからの、靄の晴れた精神で見ると、遥かな過去の自分は何処か遠い、実感の無い存在となっていた。固く冷酷で、氷の様に凍てついた心の作り方を、リンへ自分でも忘れ去っていた。

 それは良い事であるのだろうと適当に評価を下し、リンはテーブルに目を向けた。


「お菓子かしら」


 口にしたのは、目の前にある何の変哲もない――最上級品ではあるが――お菓子。考えて、一番に目についた。そんな理由だ。

 それに、美味しいのは好きだ。多分、それは全ての人間の認めるところであろう。もっと食べたい、と思うならば、好きなのだ。


「お菓子ですか! 私の得意とするところですわ! イル・ユラン・コルというお店のクッキーが絶品なのですよ! あのお店はケーキも美味しいし、スイーツならば間違いの無いお店なのです!」

「ふふ、じゃあ行ってみようかな」

「ぜひとも! リンさんもきっと気に入りますわ!」


 身を乗り出さんばかりに熱心に勧めるノエルに、リンは笑みを零し、同時にその店の事が気になってきた。しかし、放っておくと何時までも力説しそうな様子だったので、カムニエは何が好きなのかを尋ねた。


「カムニエちゃんは、何が好きなの?」


 リンは、カムニエは自分の嗜好を殆ど明かしていない事を思い出した。カムニエは控えめなので、好きとか嫌いとか、自分の意見を言う事を避ける傾向がある。

 今のところは嫌そうな顔をされた事は無いが、カムニエの好きな事を知れば、もっと彼女を喜ばせる事が出来るだろう。

 リンとカムニエの二人は、いわば寄る辺の無い存在。今はフェンやキーラに助けられているが、何時それが終わるとも限らない。だからこそ、リンはカムニエだけは守ろうとしているし、カムニエもリンを信頼してくれている。リンの中でカムニエ程大切になっているものは無いと言えよう。


「……んー」


 カムニエは少し悩んでいたが、「うん」、と一人納得すると、恥ずかしそうに言った。


「私は皆さんが好きです」


 少し照れ気味に頬を染めて、恥ずかしくて困った様に微笑んだ少女。その一瞬のカムニエの姿は、庇護欲を滅茶苦茶に刺激する劇薬であった。


「か……」

「ど、どうしましたか」

「可愛いっ!」


 感極まったというか、耐えきれなかったというか、ノエルは目にハートを浮かべてカムニエに抱き着いた。いきなりの事に驚いたカムニエは、目をぐるぐる回しながらノエルのなすがままにされていた。


「……凄く可愛い」


 リンはカムニエのとんでもない可愛さに心打たれて、満足気な表情で静かに倒れた。

 そんな微笑ましい光景を、イージス家執事ウィンドルフは優しい瞳で見つめていた。彼に見られていると全員が気付いたのは、優に五分を過ぎた頃であった。




 ◆




「ああ全く、馬鹿馬鹿しい! 親父は会う度に同じ事を繰り返している気がする。あれじゃあ壊れたスピーカーかオウムだな!」

「兄さんがもう少し真面目に仕事をしてくれたら、父さんからの小言も言われずに済むよ」


 三人の少女がお茶会に興じている一方、同じ階の真反対側、書斎に通じる扉の前で、二人の男が会話を交わしていた。その内容は一人がむやみやたらと騒ぎ立て、もう一人が宥めすかす、といったふうである。

 当然の如く、騒ぎ立てるのがキーラであり、宥めるのが彼の弟であるエディンズである。


「とにかく、帰ってきた以上は色々とやってもらうよ。兄さんじゃなきゃ判断のつかない案件が沢山ある」

「お前らでやっとけ! 何のための役職だ、馬鹿!」

「兄さんの仕事は兄さんのものだ。大体、僕達はまだ社内で大きな権限は無いよ。立場上、色々と融通を効かせては貰えるけどね」


 そう言うと、エディンズは懐から封に包まれた小型のデバイスを取り出した。


「兄さんに。色々なデータが入ってるから、目を通しておいて」

「そりゃ試作品か? 成程、使い勝手は悪くない」

「再来年のモデルだよ。今の段階でも実用の問題は特に無い。回線も今までのと同じように使える」

「ふむ……」


 キーラはデータを即座に移し終え、新たなデバイスを手で弄びながら、思案するように虚空へ二、三度視線を移した。


「よし、こいつをもう一つ寄越せ」

「ああ、フェンさんの分だろう。そう言うと思っていたよ」


 エディンズはもう一つ同じものを取り出し、キーラに渡した。


「仕事はやってくれよ? 僕も兄さんの仕事はよく知らないけど、政府との関係もあるんだろう?」

「誰がやるか! 大体政府との関係なんざ……ああ、そういえばテックの件で何かあったな」

「やっぱり……兄さんが作った会社は色々と厄介なんだから、アレの解決は兄さんがやってくれ。というか、兄さん以外には出来ない」

「まあ、セルゲイが上手くやるだろ。俺は知らんね」


 カラカラと笑いながら、キーラはさっさと行ってしまった。エディンズはその背をため息を吐きながら見送り、そして独り言を呟いた。


「なんてこった、兄さんの無責任がまた出た……軍需の趨勢を塗り替えておいて放りっぱなしなんて、まともな神経をしているんだろうか?」


 してるはずないな、兄さんだし、と、エディンズは諦めに近い気分で宙を仰いだ。クリーム色の天井と控えめなライトだけが、彼の視界を支配していた。



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