"嘘"

岩木田翔海

前編

 チャトラが車に轢かれた。

 チャトラとは我が家の猫のことで、世話こそは母さんがほとんどをこなしているが、僕にとっても大切な家族の一員である。

 母さんはその知らせを聞いて急いで動物病院に向った。先に着いていた姉ちゃんからは特に後ろ足がぐちゃぐちゃになって茶色い毛が赤く染まっていたとのことだった。一緒に行かないかと母さんに誘われたが僕は断った。どうもこの雨の中で悲しみを受け入れるためだけに外出するのは気が引けたのである。


 そしてどういった風の吹き回しか僕にはある精霊が見えるようになった。

 そいつは体は透けているものの、その姿はいかにもチャトラなのである。しかし明らかに違うところが二点ほど。一つ、触ろうとしても触れないのだ。撫でようとしてもそこには何もないのだ。そして二つ目。しゃべるのだ、人間の言葉を。しかもご丁寧に語尾ににゃんをつけて。


「ご主人様、話を聞いてほしいにゃん、それと早くこの状況を受け入れてほしいにゃん」

 受け入れられるわけないだろ。昨日まで縁側でのんきに日向ぼっこをしていた猫が、急に人間の言葉を話しているのだから。

 試しに頬をつねってみる。いたい。

「夢ではないにゃん。あと、時間がないから話を始めるにゃん」

「ああ、わかったよ。でもとりあえずその最後ににゃんてつけるやつをやめてくれ」

その語尾はうっとおしい。

「しょうがないのにゃ」

あまり変わっていない気がするのにゃん。


「僕はチャトラの魂の一部なのにゃ」

まあここまでオカルティックな出来事に遭遇すれば、今目の前にいるチャトラの精霊も彼の魂の一部だということにうなずけてしまう。

「僕はチャトラの魂の管制部からある任務を授かったのにゃん」

ここでチャトラが後ろ足二本で立ち上がる。もはや驚く気にもなれない。

「ご主人様にはこの世界に隠された嘘を見つけてほしいのにゃん」

「どういう意味だ?」

素直に引っかかる。受け入れる受け入れないという問題でなく理解ができないのだ。

「僕はチャトラの魂の中でも中心から遠いところにいたから詳しくはよくわからないにゃん。あっこれは僕が宿っていた場所がチャトラの体の中心から遠く離れてたということだにゃ。そしてその嘘を見つけさえすれば、チャトラは再びご主人様の膝の上ですやすやと寝息を立てながらお昼寝することができるらしいにゃん」

チャトラの精霊が言っていることが理解できないにしろ、それは僕にとってこの上ないことであった。普段の世話は任せっきりでも、いつも縁側を独占している邪魔な奴でも、いなくなればその鳴き声のない空間に耐え切れなくなるのだ。

 とにかく僕はこの依頼を受けることにした。

 外は雨なので家の中から探すことにしよう。

 とはいうもののどうすればいいんだ。そもそも嘘ってなんなんだ。

「嘘ってその場にそぐわないもののことか?」

「僕にはわかんないにゃ。」

 使えない精霊め。嘘について考えても無駄な気がして行動に移すことにした。とりあえず不自然なものを探すという方針でいく。

 まずはチャトラに関連するものから探していく。久しぶりにキッチンの一番下の収納棚を開ける。中からは大量のキャットフードが出てくる。隣で精霊のチャトラが舌なめずりをしている。

「どうせ食べられないだろ」

「ううう、僕には肉体がないのにゃ」

毎朝エサ皿に入れられるおなじみのキャットフード。注意深く見るものの不自然な点は見当たらない。しかし引き出しを最後まで引いてみると奥から犬のキーホルダーが出てきた。

「もしかしてこれか?」

キャットフードをしまっている引き出しにあった犬のキーホルダー。たしかに場違いだ。

「……違うみたいだにゃ」

少し時間をおいて精霊のチャトラは答える。はずれだったらしい。引き出しを元に戻して、ふと気になった疑問について尋ねてみる。

「ところで正解だったらどうなるんだ?」

どこかからピンポーンっていう音が聞こえるのか。それとも世界が光に包まれるのか。

「それも分からないのにゃ。申し訳ないのにゃ」

ほんと使えない精霊め。

「でもそれならさっきの犬のキーホルダーが不正解だと言い切れないんじゃないのか?」

「正解ならばきっと何かが起こるのにゃ」

「でもそれは分からないって……」

「何が起こるかは分からないにゃ。でも何かが起こることは分かるにゃ」

「何でそう言い切れるんだよ」

「だって何も起こらずに奇跡が起こるなんて、明らかに矛盾した話だにゃ」

もうこれ以上深入りするのは時間の無駄に感じた。

「で、今回は違ったと」

「だって何も起こらなかったにゃ。もし何か起こったならばお母さまやお姉さまから電話がかかってきても不思議じゃないにゃ」

 たしかに何も起きていないのだが……。

「次を探すのにゃ」

 どうやら長くなりそうである。


    ***

 冷蔵庫の野菜室に入れられたジュース、リビングにあるリモコンの間に紛れ込んだまごの手。壊れて浸水した乾燥機。その後も何か不自然なものを見つけてはそれが不正解だという事実を突きつけられた。

「これで家の中はほとんど一通り見たよ」

「むむ、もしかしたら外にあるかもしれないにゃ」

 雨は幾分か小降りになってきたけれど、それでもまだ降り続いている。できれば外に出たくはない。

「なあ、今日じゃなきゃだめなのか」

「もちろんだにゃ。それにあんまりもたもたしていると僕の存在が消えてしまうかもしれないにゃ」

 たしかに最初と比べるとさらに透明になっているような気がする。この調子でいくと明日には完全に見えなくなってしまうのかもしれない。

「わかったよ」

僕は黒い傘をさして家を出る。僕の進むスピードに合わせてチャトラの精霊はついて来る。

姿こそは歩いて見えるが、足が地面をけっているようには見えない。

「ところで君は飛ぶことはできないのか?」

「やろうと思えばできるにゃ。でも猫が空を飛ぶなんてとても不自然にゃ」

猫がしゃべっている時点で不自然だと思うが。試しに空を飛んで見せてくれたが確かに不自然だった。

 家の目の前の道を進み、突き当りに着く。

 そこには以前起きた事故によって角度の変わってしまったカーブミラーがある。

「もしかしてこれか?全く役に立ってないよな」

「今回もはずれらしいにゃ」

「何でそんなすぐ分かるんだよ」

だんだん返答が速くなっている気がする。

「チャトラの勘だにゃ」

そんな適当なことでいいのかよ。

「でもこのままだと埒が明かないぞ。不自然な物なんてきっとこの世界にはいくらでもあるだろうし」

「もしかしたら物質的なものではないのかもしれないにゃ」

「というと思い出とかそういったことか?」

「なんか思い当たる節でもあるのかにゃ」

「まあ、なくもないから行ってみるか」


 この角を右に曲がってしばらく進むと小さな川がある。その河川敷でチャトラと母さんは初めて会った。一番の思い出の地はここだと思った。

 ほどなくして河川敷に到着する。

「この中から嘘を探すのかよ」

ここには自然という完全な秩序がある。ここから嘘を探すなんてなかなか骨の折れることである。それともここで母さんが嘘をついたとでもいうのか。

 いずれにせよ分かる気がしない。結局捜査は進まなかった。


 その後、近くの公園に行った。ここのベンチで昼寝をすることがチャトラのお気に入りだったのだ。ここなら僕との思いでもあるから答えが分かるかもしれないと思った。

 チャトラと遊んだ日々を思い出した。ふかふかとしたチャトラの毛、寝起きの大きなあくび、のんびりと後ろをついて来るチャトラの影。そんなことを鮮明に覚えているのにただ一つ、嘘だけは思い出せない。

「一体僕はなんて嘘をついたっていうんだろう」

答えを求めたわけではない。ただ沈黙に耐えられなかっただけだ。

 ふと後ろを振り返る。

 チャトラの精霊がいない。

 もしかして消えてしまったとでもいうのか。

「そんなこと僕に分かるはずがないのにゃ」

声のする方向を見るとほとんど透明になったチャトラの精霊がいた。もう後ろにある滑り台の赤色はくっきりと見える。

「どうやらそろそろ時間のようだにゃ」

「待ってくれ。君までいなくならないでくれ。今君をなくしたらチャトラが完全にいなくなってしまう気がするんだ」

温かくて大きな雨粒が頬を伝う。

「そんなに悲観しないでほしいにゃ。僕はあくまで魂の一部分だにゃ。だからすべての魂がなくなるわけじゃないのにゃ。ご主人様の隣にはいられないけれど早く嘘を見つけて、本物のチャトラを抱きしめてやってほしいにゃ」

「わかったよ。なんとしてでも見つけるよ」

健闘を祈ってるにゃと言い残してチャトラの精霊は消えていった。

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