14才の誕生日にヒューマンが襲ってくるということ。

オーロラソース

第1話 ゆりけもの 一匹目①

 神は言った、これより幕が上がると。


 そうして世界が現れた。つまりこの世は舞台、神が創りたもうた舞台なのだ。


 偉大なる神――ユーデスク、見届け、評する者。

 神は世界という名の舞台を創り、そこに我らを降ろされた。物語のにない手として、舞台をいろどる演者として。


 命の灯が消え舞台を降りるそのときになんじは神の姿を知るだろう。

 神の瞳は七色の光、神の耳は喇叭ラッパのかたち、なんじの演じた物語のすべてを神はその大いなる御魂みたまに刻み込む。消え入るような呟きも、弱き心の揺蕩たゆたいさえも。


 しかし才なき者よ、おそるるなかれ。才ある者よ、おごるなかれ。波乱に満ちた英雄の生涯も、卑しき物乞いの一生も、神のまえでは等しく尊い物語なのだ。


 壮大な英雄譚も、ささやかな日常劇も、悲劇も喜劇も、燃ゆるような恋愛劇も、神はあらゆる物語を愛し尊ぶ。


 ゆえに演ずる者よ、汝が欲に溺れ、怠惰たいだまみれ、ただ流されるままに生きたとしても神はそれをとがめはしない。その退屈な物語さえも神は愛したのしむのだから。


 ああ、それでも演ずる者よ、汝がもし喝采かっさいを望むのならば、良き芝居だったと神からの喝采を望むのならば……



 神言は途切れることなくつづいていた。広場にしつらえられた舞台の上には、年老いた祭司と美しい少女が立っている。純白のワンピースを着た少女は老人の真向かいに立ち、胸の前で両手を合わせて神に祈りを捧げている。


 本当に、黙っていれば天使のようね、あの子は。


 今日、成人を迎える友人の晴れ姿を見ながらターシャはそんなことを思う。

 東から吹く風が少女の髪を揺らしていた。白銀色プラチナの髪を飾る浅紫の花冠は、この日のお祝いにとターシャが彼女に贈ったものだ。

 編みこんだ花の花言葉は、変わらない友情。

 友情――かつて己のなかにあった清らかな想い。そして今では変わり果て、別物になってしまったそれ。

 手向たむけの花に託した願いはもはや叶うことはない。そうと知りながらもターシャはあの花を少女に贈った。二人がはじめて出会った場所、ドゥエーリの丘に咲いていた花を。



 恋に破れた精霊の嘆きが花を惑わせ狂い咲かせる。そんな逸話を持ったドゥエーリの徒花あだばなたち。

 月のにだけ花芯かしんを見せる貞淑ていしゅく待宵まつよいの花が、まばゆい日差しのもとあられもない咲き姿を晒し、黄金色こがねいろ羞天花ひまわりが寒風にあおられ花首はなくびを揺らす。

 丘の天辺から麦畑へとつづく勾配こうばいを色鮮やかに飾るのは、早咲き、遅咲き、返り咲き、季節を問わずに花弁を開く節操なしの花の群れだ。

 巨人姫の花飾り、天使の鉢植え、さとに住む者たちは様々な呼び名で丘の花々を讃える。けれども彼らがその花を誰かに贈ることはない。

 恋に破れた精霊の怒りを買ってしまうから、嫉妬にかられた精霊に仲を裂かれてしまうから、だからガルデの住人たちは、ドゥエーリの花を決して人には贈らないのだ。


「おかしな話だ。恋に破れたというのなら、精霊かのじょが裂くのは恋仲だけだろうに」

 かつて彼女はそう言って、薄紫の徒花あだばなをターシャに一輪投げ寄こした。

 そして今日、花の冠に忍ばせてターシャも彼女に同じ花を返す。

 恋に破れた精霊が、胸に宿った劣情を引き裂くことを願って。そうしてそのあとには、あの頃と変わらぬ友情だけが残りますようにと切に願って。



「生まれいでしその時に、開幕の鐘を聞きし者よ。神は汝に知恵と力を与え給うた。物語の華たれと、舞台を照らす光たれと」

 老人のものとは思えない透き通った高音が広場に響いた。その美声は、ターシャに上質な弦楽器の音色を連想させた。

 朗々と、歌い上げるように老祭司は聖なる調べを紡いでゆく。

 世界の起こり、神の願い、そしてターシャたちガルデの民が生まれた理由。

 とおを過ぎた者ならば、おそらく誰もがそらんじられる、三部構成の基礎神言ベーシックオラクル。それは、ガルデの子として生まれた者が最初に触れる物語、孤独なちちと彼を慰撫いぶする子供たちの終わることなき物語だ。


 この世は舞台、寂しがりやの神がつくった、どこまでも自由で広大な……


 永遠を生きる神の無聊ぶりょうの苦しみとは、いったいどれほどのものだろうか。

 ターシャごときびょうたる一人の人間にそれを解するすべはない。ただ人間ひとの生き様はそのなぐさめになるという。そして偉大な存在はそれを評してくれるという。


「観客は神、これほどり甲斐のある舞台もない」

 壇上の友は、しばしばそんな言葉を口にした。いかにも彼女らしい自信に満ちた台詞せりふだとターシャは聞くたび思ったものだ。

 その彼女は今、皆が見つめる舞台のうえで可憐な少女を演じている。

 抜けるような白肌が白い衣装と相まって、自ら光を発しているかのように見えた。その輝きのなかで、つややかな狼型の尻尾ウルフテールが誇らしげに揺らめいていた。


 狼姫おおかみひめ――最初に彼女をそう呼んだのは誰だったろうか。


 記憶の置きどころをまさぐってみれば、どうでもいい顔が一つ浮かんですぐに消えた。

 六年前、季節外れの雪がちらつく春立ちの日に、一人この地へやって来た少女。

 神秘的な銀の髪、冷たく澄んだ青い瞳はいだ湖面のようだった。


 まるで、理想をそのままかたちにしたような――


 あの日、粉雪が舞うドゥエーリの丘でターシャは少女にそんな印象を抱いた。罪深いほどに愛くるしい彼女の容姿がきっとそう思わせたのだろう。


 あんな見た目に生まれたら、幸も不幸も人の数倍降りかかる。ターシャの母がそんなことを言っていた。


 そういえば、初めて会ったときの格好はずいぶん殺伐としたものだった。

 返り血で汚れた旅装、背には無骨な大鉈ロングマチェット、左手にはガントレット。そしてすべてが、何というかいたんでいた。思えばあれは、旅の途中で降りかかった不幸の産物だったのだろう。


「なんでかな、人攫ひとさらいとか、いっぱい寄ってくるんだよ」

 自分の容姿をあまり客観的にみれない少女は笑いながらそう言った。


「おかげでお金には全然困らなかった。みてこれ、返り討ちにして奪ったやつ」

 自慢げに見せた布袋にはたくさんの銀貨といくつかの金貨が入っていた。


「途中でさ、さらわれた子どもを助けたりもしたんだよ」

 その子はどんな子だったのだろう、男だろうか、女だろうか、私よりもかわいいだろうか。


 遠い日の記憶は、ターシャのなかで色褪せることなく残りつづける。喜びも、悲しみも、怒りも、嫉妬も。


「憶えることにけている。もしくは、忘れるという能力が欠落している」

 学舎に入って間もない頃に、教師に言われた言葉である。


 幼い頃のターシャは、自分のがあまり好きではなかった。忘れたくないことよりも、忘れたいことのほうが多かったからだ。


「ここにはさ、私みたいのがいっぱいいるんでしょ」

 ふわふわの尻尾を指し示して尋ねる彼女のその声は、今まで聞いた誰の声より愛らしかった。


「似た人はいると思うけど、あなたとおんなじはいないんじゃないかな」


「なんでさ」


「だってほら、あなたは特別だもの」


「あー特別か、特別ね。なんとなくわかる、わたしそういう感じするもん」


「フフ、ほんとに特別なんだよ」

 

 ターシャの記憶のなかで、今よりも少し短い銀色の髪が揺れていた。


 銀色、青色、あなたはほんとうに特別な――


 それは犬型ドッグタイプのハイエンド、灰色狼グレイウルフ希少色プレミアカラー、その厄介な性質から呪われた種とも呼ばれる偶像種ぐうぞうしゅの一つ。


 銀色狼ぎんいろおおかみ――


 あの日ターシャは大きな喜びをもってを故郷へと迎え入れた。無論、その行為が何をもたらすのか正しく理解したうえで。


「ようこそ舞台裏ガルデへ、ところであなた、お名前は」

 

「リーリアという、はじめまして、狐の子」

 

 ターシャは差し出された手をぎゅっと強く握った。このきれいなものを、誰にもられたくなかったから。 

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