第3話 殺し
そうしてホームズ先生が来て二週間が経とうとしていた。既に私はホームズ先生という存在に慣れ、彼がいるのが日常となっていた。
「これが二次関数というものだよ」
「分かりやすく教えてくださりありがとうございます」
「それじゃあ次の授業をしよう。そうだね……先程言っていた社会主義と資本主義の違いについてやるとしよう。まず資本主義というのは簡単に言うなら……」
個人的にホームズ先生の授業は好きだ。彼の授業は小難しい。しかし私は小難しいからこそ好きなのかもしれない。何故なら小難しいというのは、それだけ自分が無力な存在であるということの証明だからだ。無力とは憎むべきことではなく歓喜すべきことなのだ。もっともこの言葉もホームズ先生の受け売りであるが。
「以上が資本主義の簡単な説明だ。分からないところは?」
「いいえ」
「そうか。それじゃあ資本主義についてララ君の意見を聞こうか」
「……そうですね。。資本主義は話を聞いた限りだと、職を自分で選ぶことが出来ます。でもそれは裏を返せば職を選ばないという選択も出来るということ」
「続けたまえ」
「しっかり働いた者が報われると言えば、耳障りは良いですが、ある意味では薄情だなと思います。だって職に就けなかったら死ねと言ってるようなものじゃないですか」
「なるほど。もっとも資本主義なんて古い文献でしか情報が残されていないから本当に存在したのかどうかすら怪しいんだけどね。ただ職を自分で選ぶというのも面白いものだと私は思うよ」
「ハッキリ言って職を自分で選ぶというのが上手くイメージ出来ないので、それが良いのか悪いのかわかりかねますね」
「想像力を高める。これが今後の君の課題かもしれないね」
ホームズ先生はそれだけ言うと、ダンボールを出した。
ダンボールからはニャーオと聞いたことのない鳴き声がする。
「なんですかそれは?」
「中には猫という獣が入っている。もっとも王都ではお菓子を勝手に食べて建物を壊すとかそういう理由で生き物の持ち込みや飼育が禁止されてるから王都暮らしのララ君には馴染みがないかもしれないね」
「そんな生物いるんですね」
それだけ言うとホームズ先生は私の足元にナイフを投げた。私はそれをキョトンとした表情で眺める。ナイフを使ってなにをしろというのだろうか?
「ララ君。君は奪われて育ってきた。虐めという理不尽で学校という居場所と将来を奪われた。だからこそ君は『奪う』ということ覚えるべきだ」
「……つまり猫を殺して、命を奪えとホームズ先生は言いたいのですか?」
「そうだとも。しかし、さすがに今のララ君では心が痛むだろうし、割り切るのも難しいだろうう。だからダンボールの上から滅多刺しにするといい」
私はナイフを拾う。すると不思議なことに恐怖が襲ってきた。本当に殺してしまってもいいのだろうか。私の体が何故か小刻みに震えてくる。そんな時、そっとホームズ先生が私の手首を優しく握ってくれた。それにより少しだけ心が落ち着いてくる。
「殺すことは悪じゃない」
「それでも……」
「君だってお肉とか食べたことがあるだろ。お肉を食べるということは牛とか豚とか魚を間接的とは言え、殺してるんだ」
「ですね……」
「それらの行いは悪なのかい? 違うだろ。生き物の命を奪うというのは悪でもなんでもないんだよ」
「理由もなく殺すのは悪では?」
「ララ君が人間的に成長するために猫は死ぬ。ちゃんとした理由はあるじゃないか。こういう時はまず深呼吸だ。吸って……吐いて……」
私は心を落ち着かせる。そうだ。殺すというのは日常的にしてる動作であって悪ではない。変に罪悪感を覚えることは無いじゃないか。私はのんびりとナイフを持ち上げてダンボールを突き刺した。それの一度や二度ではない。何度もだ。
その度にグチャという不快な感覚が手に伝わる。それでも私が手を止めることはなかった。ホームズ先生が殺せというのだ。そこに間違いはない。ホームズ先生に従っていいれば私は必ず幸せになれる。私が幸せになるために必要な犠牲だ。
「ララ君。よく頑張ったね」
「はい」
「感想は?」
「やってしまった……それ以外の感情が湧かないといった感じところですね」
「ふむ。今はそれでいい。ただ最終的には息をするように殺せるようになってほしいところだね」
「頑張ります……」
そして、私は初めて命を直接的に奪った。
そんな日の夕飯は何故か味がしなかった。
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