アリステラ市営放送局

 その建物は灰色のコンクリートのようなもので建てられている。のっぺりとした色合いの建物は、他の建物とはまた違った様式のように見える。窓はきらきらと降り注ぐ朝日を照り返し、周りには街路樹の緑が見える。

「......ここ?」

「そそ。ここからたくさんの情報が市内全域に発信されてるわけ。...真実も嘘もね」

「...........おい、お前ら普通に話してるけど。...俺、こいつ知らないんだけど」

 その場所の前に、キナン・フラウ・シャルティエ・セレンは立っていた。

 キナンは横に立っているスーツ姿の黒髪を指差して、フラウとシャルティエに訊ねた。

「僕だよ僕、セレン。セレン・アーディッド!まあったく失礼しちゃうなぁ、もう」

 ぷんぷんという効果音が似合いそうなほど頬を膨らませて、セレンはキナンをキッと睨み上げる。

 流石に護衛役という役回りだというのに黒兎の面をして行くというのは気が引けたのだろう。彼の持つ橙の瞳と顔の半分が変色した肌を晒している。本人は少し不服そうだが、致し方ないといった様子である。

 肌の色とその片方の目の色の僅かな変色については、本人は頑なに口を開こうとしなかった。

 丁度その時にキナンはいなかったので、紹介や話などを聞き逃していたのだろう。

「はぁ、気分重いなぁ」

「シャルはそれで済んでるの?俺、緊張で今もう吐きそう」

 フラウは気分悪そうに腹を優しく撫でると、シャルティエはこの世のものとは思えないようなものを見たように目を丸くして顔を青く染め、それからこれ以上彼に無理させられないと連れ帰ろうとし始めた。それを慌ててセレンが阻止する。

「作戦が無駄になっちゃうでしょ!?」

「フラウが嘔吐するのを傍観してるだけなら、こんな作戦なんてくそくらえだよ!」

 シャルティエの言葉に、ただただセレンは困惑するばかりだった。キナンはぽんとセレンの頭を叩いて、それからフラウの両頬をその手で包み込んだ。

「気にすんな、いつも通りやればいけるって」

 じっと紫の双眸の奥を見続けると、フラウは長い睫毛を震わせて、頑張るとか細い声で呟いた。

「ま、フラウが気負うのも無理ないけど。失敗したら失敗した時だ、新しい作戦を立てればいい」

 ぱっと両手を離して肩を叩いてやると、フラウはまた表情を曇らせた。


 シャルティエの持つ誰にも負けない歌唱力であるが、それはフラウがいつもギターを弾いている音で耳を守っていたからである。どんな小さな音でも拾うシャルティエの耳では、流行り音楽という爆音の曲は脳そのものを強く震わせてしまう。

 その為、アイラとエルリックと敵対していた時に使われた爆発で、すぐに気を失ってしまった事もあった。それは音楽の音も決して例外ではない。

 今回参加するオーディションでは、歌ってみてくださいと言われるのは必須だろう。その時に、あまりの爆音で歌う前から気絶してしまっては、折角の武器を生かすどころか初めて見た人間にはとんでもない事に見えるであろうし、更には救急沙汰になるであろう。


 それを防ぐ為に今回は、シャルティエは耳栓をして、更に耳に付けているねじを締め、完全に周りの音を聞こえないような状況を作る。

 そしてフラウがシャルティエの手を握り、歌の入りに合わせて強く握って合図を送る。それをシャルティエが感じ取ってタイミングよく歌うという作戦だ。つまり、フラウが少しでも遅れると、シャルティエがずれた状態で歌ってしまう事になる。

 それは作戦の失敗を意味する。


 フラウの胃が痛くなり吐き気を催してしまう原因が、これである。だが、腹をくくり決意を固めねばならない時は刻々と迫っている。

 四人は受付を済ませ、関係者以外立ち入り禁止というところで、キナンとセレンは立ち入りが出来なくなった。

「お嬢様、お坊ちゃま、お二人だけで大丈夫ですか?」

 セレンは黒兎の面をしていた時のちゃらけた雰囲気を微塵も感じさせない、完璧な護衛役を演じていた。

 その態度に僅かにキナンとフラウが目を見開くが、それに柔軟に対応したのはシャルティエだった。本物のお嬢様のようにたおやかに微笑み、

「えぇ、大丈夫よ」

 彼の言葉にしっかりと答えた。あまりの変貌っぷりに男三人は思わず口をあんぐりと開けてしまった。

 そんな彼らの事など気に止めていないのか気付いていないのか、シャルティエは横に立つフラウの裾を可愛らしく少しだけ引いた。

「ほら、フラウ兄様」

「...っう、うん、シャル」

 彼女の演技力に戸惑いを隠しきれず、ややわたわたとしながらもフラウとシャルティエは奥の廊下の方へ消えていった。

「それでは我々は待機だ」

「了解」

 いかにもボディガードらしいような言葉を吐いているものの、キナンの内心はドキドキし続けている。

 キナンは見えなくなってしまった二人の身を、心の中でひっそりと案じた。


 フラウとシャルティエは、案内された部屋へと入る。シャルティエは静かに息を吐き出した後に、きゅっとフラウの服の袖を握った。

「緊張するね、兄様」

「う、うん」

 普段のシャルティエに呼ばれない事に、内心ドキドキと心臓を高鳴らせながら、フラウはキラリとしたさわやかな笑顔を浮かべている。

 周りの人々はみな、受かりたい一心で練習している。シャルティエはまだ耳栓をしていないが、その代わりにイヤホンを耳にして『音楽を聴いています』といった雰囲気を醸し出している。

 本当はいつもより多くの聴覚情報が入ってきて、かなり苦痛を感じているだろうが、今回ばかりは仕方がない。

「ね、シャル。そろそろトイレ行って来な。本番近いだろうし」

 合図。彼女に耳栓をしてもらい、シャルティエの事を引っ張る役目をフラウが担う合図だ。シャルティエは静かに頷き、ゆっくりとその場を立つとトイレの方へ歩いて行った。

 ここからは、フラウが引っ張っていかなければならない。


 彼女が出て行ってすぐ、スタッフと思しき男性が受付番号を呼びあげていく。呼ばれたらしい可愛らしい顔をした少女が、スタッフに連れられて部屋の外へ出て行った。

 いよいよ、演技が始まる。


 どんどん人が呼ばれては、晴れ晴れしたような、持っている全てを出し切って満足したような顔をして、この部屋の中へと戻ってくる。

 シャルティエは澄ました顔をして座っている。あんまり緊張していないようだ。一方のフラウは、胃に穴が開いて胃酸が漏れ出ているような気がする。

「......大丈夫?」

 声の大きさがどのくらいが聞き取りやすいのか、あまり分からないのだろう。彼女は小さな声で聞いてきた。

「うん平気」

 フラウは声を返しながら、彼女の手の平にうんと書いた。それで意志を理解したのだろう、ふわっと微笑んで再び無表情になった。

「十九番さん、こちらへ」

 スタッフが声を掛けてきた。

 フラウはシャルティエの手を握り、彼女もそれに応じて立ち上がって、部屋の外へと出て行く。

 ばくばくと、心臓がうるさい。シャルティエは人前で歌った経験を豊富に持っているが、フラウはその横でギターを弾いているだけの人間に過ぎない。人前で何かをしていると言っても、している規模が明らかに違う。

 不意に、ぎゅっと手が握られる。

「緊張、してるんでしょ?大丈夫、練習した成果を見せればいい」

 こそこそと話す。どうやら分かっていたらしく、彼女は悪戯っ子のような笑みを見せている。

 それを見るだけで、ふっと肩の力が抜けるようだ。案外、そんなもので緊張感は抜けてしまうものらしい。

 きっと、シャルティエのお陰なのだろう。

「少し待っていてください」

 待つ、と手の平に書いてスタッフの意思を伝え、二人で簡易的な待合室のような場所で待っている。


 始まる。

 その予感に小さく身震いをした。

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