平和を求める青年
フラウ・シュレインはごく普通の、どこにでもあるありふれた家庭に生まれた子どもだった。
親から惜しみない愛情を受け、妹と喧嘩をしつつも絆を深め、それはもう絵に描いたような幸せの家庭だった。
誕生日の日に、両親と妹が白昼堂々と路上で起こったマフィア同士の抗争に巻き込まれ、命を落とすまでは。
親類は、それなりの稼ぎであった父の資産を巻き上げ、フラウ自身は親類をころころとたらい回しにあった。
どの家でも歓迎されず、フラウは目の上の瘤のような扱われ方だった。確かにそこに居るが、フラウから声を掛けないと一言も声を掛けてくれない。
その頃から、彼の笑顔は形成されていった。
十歳になると、たらい回しにする家が失くなったようで、フラウはワールダット孤児院へ入れられた。
シスター達が酷く困っていたのを、フラウは覚えている。父親の金で儲けた金をシスターへ握らせていたその手を、彼は忘れる事の出来ない思い出として所持している。
彼女達も、彼らに任せるのは良くないと判断したんだろうか、それとも金がもらえたからなんだろうか、フラウは引き取り手が生きているにも関わらず、孤児院に身を置く事が出来ていた。
部屋は一人部屋ではなく、二人部屋で構成されているのだという。フラウは同室の子どもがどういった子なのか気にしながら、シスターに招かれて部屋へ入った。
中には彼―キナンがいた。シスターを見ると、赤い瞳がぎろりと鋭くなる。そして、フラウの事を不思議そうに見た。
「え、えと、フラウ・シュレインです。よ、よろしくね?」
フラウは小さくはにかんで彼へそう言った。彼は変わらず不思議そうな顔をしてフラウの顔を見ていた。
これがキナンとフラウの初めての出会いであった。
フラウはすぐにシスターや周りの子と打ち解ける事が出来た。たらい回しにされ続けた時の人を見る目が、状況に適した言葉と仕草を計算高く導き出していた。
しかし、キナンだけはフラウはよく分からなかった。外に出る事もなく、部屋の中で本を読んで知識をためているようだった。
そんな彼を知りたくて、フラウは他の子と遊ばない時は、キナンの隣に寄り添うように本を読む事にしていた。
「ね、キナン。どうして周りの子と遊ばないの?」
「別に。本読んでても楽しいから」
「不思議な子だね。今日は何を読んでるの?」
ぐいぐいフラウは彼へ様々な質問をした。
キナンは眉を寄せて、嫌そうな顔をしている。それを分かっていても、あえてフラウは彼の側から離れなかった。
ある日、彼の口が動いた。
「......俺に構わずさ、外で遊べば?」
「俺はキナンと居る方が楽しいけど」
彼と視線を合わせて、駄目かな、と小首を傾げて訊ねる。
キナンは閉口して本に目を戻す。どうやら駄目ではないらしい。
彼のその行動に、フラウは安心したように笑ってキナンの側で本を読み続けた。何故か不思議と、どの子よりも彼の側は落ち着いた。
その内、一言一言ぽつぽつと話すようになり、それが二言三言となり、二人は良く言葉を交わす友人になった。その事により、キナンの事を深く知る事になった。
彼は理由を上手く説明できないが、大人が嫌いだという。そして記憶が欠落しているのだと。
フラウは彼に何かできないか、と本を使って調べてみたが、トーリヤという珍しい苗字の出自は分からなかった。
彼はフラウと一緒なら大人と言葉を交わせるようになっていった。その成長が、フラウには喜ばしかった。
そんなある日の事だった。フラウはシスターと共に街に出ていた。その時、ふいにある少女が目に入ったのだ。
道の先を歩いていた彼女は、日頃孤児院で遊ぶ同年代の子どもと比べ遥かに小さく、あまりにも細すぎる。ふらふらとおぼつかない足取りで、周りの大人達にぶつかりながら、ふらっと脇道へ曲がった。
何となくフラウは彼女の様子が気になり、シスターの目を盗んで同じ道へ曲がった。
そこで、彼女はばたりと倒れていた。
「っ!?君、大丈夫っ?!」
フラウは少女を抱き起こした。思っていた通り、軽かった。身体は熱く、風邪か熱を出している。しかし、彼女はゆっくりと動こうとする。
「......っはな、して......。わ、私、は......働かな、いと...っ」
必死に逃げようと、フラウの腕を押しのけようとしている。が、少女であるが為に力が弱いのか、意味のないもがきだ。
「そんな事、出来ないよ!し、シスター!」
フラウは慌ててシスターを呼んだ。彼女はフラウを咎めるような目をしたが、フラウの腕の中に居る衰弱した少女を見て血相を変えた。
彼女はもう意識を手放していたようで、ぐったりとしていた。
その後、シスターは感染症を患った子用の部屋を彼女へ割り当てた。単に彼女は肺機能が普通の人より劣っているだけで、人にうつる事はないようだが、彼女を病原菌呼ばわりして虐められるのではとシスターが考え、この部屋に寝かせる事にした。
フラウは彼女を見つけた人間だという事で、特別に彼女と出会う事が許されていた。
彼女は最初は逃げ出そうとしていたが、フラウの言葉やシスターの話を聞いてその考えを改めたようだ。
彼女が落ち着いたその頃に、フラウはキナンとシャルティエを会わせた。二人が自分だけでなく他にも友人を作って欲しいと思ったからだ。
シャルティエが倒れたのは驚いたが、特に喧嘩もなく二人が仲良くなったのは嬉しかった。
フラウは外で遊べないシャルティエでも遊べるよう、二人でシスターから聖書や簡単な絵本を借りて来て、読めない文字を辞書で引きながら読解していくという事をした。全員で楽しめる遊びだった。
キナンがシャルティエの解釈に文句を言い、シャルティエがそれに対して更に文句を言い、フラウがそれを宥める。
また、キナンとフラウはシャルティエを守れるようにと、外で身体を動かす事も多くなった。それは、彼女を守らなければならない、という思いからだった。
彼女は他の子どもとの接点が恐ろしくない。彼女は弱いのに一人だ。キナンやフラウが守ってやらなければ、一人で死んでしまうかもしれない。
だからかもしれない。
三人で暮らす日々は、間違いなく穏やかで優しい日々だった。
黒い服の男達がワールダット孤児院へやって来るまでは。
その日はとても騒がしかった。シスター達は次々と殴り殺され、子どもは次々に黒い車に乗せられて、その車内で首に赤い首輪を付けられる。
まるで家畜のように。
フラウは涙目ですっかり怯えてしまい、それをキナンは励ますように手を握ってくれていた。シャルティエはショックでだろうかぼうっとしていた。
灰色の大きな建物に運ばれ、そこには沢山の子どもがいた。どうやらどの子も各地区の孤児院から連れて来られたようである。
そこでひと月、テストを受けさせられ続けた。
頭脳テストでは優秀な成績を叩き出し続け、運動テストはキナンには劣ったものの、それは他の子に比べると抜きんでていた。
そしてひと月が経つと、ワールダット孤児院の全員が押し込められている大部屋に、黒い服の職員が他の男達を連れてやって来た。
「名前を呼ばれた者は速やかに前へ出るように。シャルティエ・クゴット」
まずシャルティエの名が呼ばれた。キナンの顔とフラウの顔が同時に上がる。シャルティエは気にした様子もなく、男に目の前へ立った。
「キナン・トーリヤ、フラウ・シュレイン...以上だ」
キナンとフラウの名も呼ばれ、二人もシャルティエの近くに寄る。そして、男達に連れて行かれるようにして、その部屋から出て行った。
男らに頭脳テストを受けていた部屋へと連れて行かれる途中、苦し気な叫び声の合唱が聞こえて来た。一ヵ所からではなく、複数個所から聞こえてくる。
「.........何、してるんですか...?」
「あ?いらないものは処分してるんだよ」
職員は眉を寄せて、シャルティエの質問に答えた。
「っお前!あいつらを殺してんのかよ?!」
その問いに噛みついたのはキナンだった。
職員の返答しない冷めた視線に、キナンの身体が動く。
運動テストで他の孤児院の子どもを含めて、トップの成績者だった彼だ。大人一人を押し倒して殴るなど、もう造作の無い事だった。
しかしもう一人の職員にキナンは首輪を掴まれ、上手く空気が吸えず身体が硬直した瞬間を狙って、部屋の中へ放り込まれた。
フラウはそれを見ながら、どんとシャルティエと共に乱暴に部屋へ入れられた。そこには別の孤児院から連れて来られた子ども達と大人がいた。
そこからまた、キナンの大人嫌いは顕著に表れるようになった。身体検査に切り替わった当初から、キナンは抵抗するようになった。
その様子にフラウははらはらした。もし彼が殺されてしまったら、もし彼がいなくなってしまった。そう考えると怖かった。
だからこそ、フラウはキナンへ咎めるように声を掛けた。
「キナンがいなくなるの、嫌だよ...」
シャルティエの言葉もあったからだろうか。キナンは押し黙り、それから抵抗する事をしなくなった。
検査の期間が終わると、それからは一人一人どこかへ連れて行かれた。戻った時には人であった部分を人工物に帰られて戻って来た。
それはフラウもそうで、恐らく一番適性の高かった左腕を手術させられた。
この時点で、適性の合わなかったらしい少年が一人死んだ。
そしてその夜にシャルティエの音に敏感になった両耳が、情報をキナンとフラウにもたらした。
この計画の全貌と、企てた人物の名前を。
「逃げよう」
次の日、そう提案したのはキナンからだった。
「...みんなを置いて?」
フラウは難色を示し、シャルティエは口を開かなかった。
「全員は無理だ。俺は、二人までしか抱えて走れない」
キナンはこんと己の足を叩く。その音はもう肉の音ではなくなっていた。
「...私はキナンの意見に従う。ここで死ぬのは、ごめんだよ」
静まり返っていた部屋の中で、シャルティエがぼそりと口を開いた。しかしその緑の瞳はしっかりとキナンを見据えていた。
「......フラウは?」
フラウは僅かに言い淀んだ。このまま行ってもいいのだろうか。しかし、ここに居続けても意味はないだろう。
「...分かった。二人に、ついて行くよ。俺、二人と一緒に居たいんだ」
三人の思いは固まった。
「出よう、外に」
それから一カ月、警備の手が緩む瞬間を三人は観察し、自分の改造された身体の特性を見極めた。そして、脱出した。
キナンが二人を抱えて走り。フラウが高い場所の移動をし。シャルティエが敵の位置を把握する。
三人で協力しながら、施設から遠い場所へと逃げて来た。
しかし幼い子どもでは、逃げ出した後路頭に迷うのは当然だった。アンドロイドの手が伸びている北アリステラでは、子どものやる仕事は学校生活で学ぶ事であった。
路頭に迷った三人は、食事もなくなり水を飲む事も出来ず、そのまま道に倒れてしまった。
そして――、
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