第18話 黒薔薇の戦士

「鋼の刃を持つ氷の皇よ。冷やし固めよ、大いなる鉄槌を下せ!水凍氷雨アイサ=ウィルディッ」

「黒の槍」


 上空から鋭い氷の破片が降り注ぎ、地面からは黒い槍状のものが次々と出てくる。

 黄緑色のパーカーの少女は舌を打ち、イヴを抱き抱えたかと思うとアズリナから離れて、魔素複合体マナ・キマイラを盾として攻撃を躱した。

「レイ」

「問題ないよ、あいつら強いしな」

 イヴを下ろしたレイは、歪に顔を歪める。それは強者を見つけた彼女の喜ぶ顔であると、イヴは知っている。

「...........イヴ、魔素複合体マナ・キマイラ使って作戦通りに」

「了解」

 彼女の了承を聞いた瞬間、レイがひゅっと風を切って走り出し、すっとノルチェの目の前に姿を見せた。

 ノルチェは微かに目を見開き、しかしすぐにそのナイフを黒い腕で受け止めてそのまま後ろへと下がって行った。

 リーフェイはノルチェの方へ行こうとしたが、それを止めてアズリナの元へと駆け付けた。

「アズ、大丈夫かッ?」

「あぁもう、遅すぎますよ。お陰で怪我を負ってしまいました。まだ結婚していない婦女子ですのに」

 血の滴る一番上の方の腕を忌々し気に見ながら、しかし視線はイヴと魔素複合体マナ・キマイラの方を見ていた。リーフェイもその方を見て、小さく舌を打つ。

 ノルチェが一番手っ取り早く、魔素複合体マナ・キマイラの身体を粉々にして再起不能にする事が出来るのだ。それを押さえられている今、リーフェイの火力だけで足りるか微妙なところだ。

「...アズ、隙が出来たらニアやベンジー、スノーを呼びに行けますか?」

「走れないので、途中で捕まって終わりでしょう。ここで二人で防戦していた方が、分があります」

 アズリナは丁寧にそう言い、リーフェイはきちんと状況を判断で来ている彼女に感服していた。

「...........殺して」

 イヴの声と共に、魔素複合体マナ・キマイラ達は足をぶちりと力づくで千切り、血が噴いているのもお構いなしに二人へ近付いてきた。

 リーフェイが金色の光を手の平へ纏わせる。

「神の加護を受けし風の槍よ。刺し、身を砕け。哀れな者達に審判を下さん!風槍刺光ウィンディ=ライサースッ!」

 風が巻き上がり、それが白い閃光を放って風を纏う槍へと変貌した。それをぶん、とリーフェイが投げつける。アズリナは再び蜘蛛の糸を足元へと纏わせる。

 それを見て、イヴはすぐに腰からナイフを取り出して蜘蛛の糸をそのナイフに纏わせる。それで二体の身体は拘束される事はなかった。

 リーフェイの作り出した槍が振るわれると、風が音を鳴らして二体に襲い掛かる。それを狼顔の魔素複合体マナ・キマイラが拳で相殺した。

 その強さは今までにないもので、リーフェイは顔を顰めた。

本当ほんまですか...っ」

「ッ劣勢、ですね」

 リーフェイの顔色を見て良くないと悟ったアズリナは、無表情の顔を歪ませた。


 ノルチェはレイのナイフを受け止めながら、片足を振り上げてナイフごと彼女の身体を蹴り飛ばす。レイは身体を仰け反らせたが、すぐに態勢を整えるべく後ろへくるくると曲芸師のようにバック転して距離が離れた。

「...ボスから聞いてるよ。あんたが、ボクらの魔素複合体マナ・キマイラを殺す為に雇われてる事。そして魔族と魔導士の半血種ハーフなのに、魔法は魔族独特の闇魔法しか使えなくて――、でも生命を闇に葬れる力を持っている異端者」

 ノルチェは何も言わずに、自身の黒い腕に触れた。

「アンバランスだけど、それいいよ。凄くいいと思う。ボクさ、ボスから黒薔薇館の襲撃の任務を得た時にさ、君の話を聞いたんだけど...それを聞いて君と殺し合いしたいって凄く思ったんだよ」

 赤い瞳を爛々と輝かせて、レイはノルチェをじっと見ていた。

「...期待してるんだ。ぞくぞくさせてよ、お姉さん?」

 レイが地面を駆けた。その姿はすぐに消える。

 ノルチェは焦る事なく一度だけ息を吐き出して、

「黒の剣」

 黒い霧を瞬時に吹き出して二本の剣へ変えたかと思うと、それが形成されたと同時に彼女がナイフを受け止めた。

 赤い瞳は、笑っている。

 次々と振るわれる刃を、ノルチェは二本の剣で的確に弾いていく。

「あはっ、凄いよ!君、追い付けてる!神速の血族クイック=ブロードのボクに!」

 興奮気味にレイは笑い、ノルチェは眉を寄せたままさばいていく。


 ノルチェはレイの強すぎる殺気の混じった気配を感じ取りながら、その方向へ剣を振るっているだけに過ぎなかった。

 ここに来てから何年も経っているので大分環境には慣れているが、未だ長時間外に出ると肌は焼けるしあまり昼目は効かない。

 だからこそ、気配を追うという力を身に付けたのだ。


 金属音が鳴り響き、二人は激しく交錯し合う。

 レイはナイフを勢いよく振り下ろし、ノルチェがそれを素早く弾いて軌道を変える。

 レイはぐるぐると回転して体重をナイフに全力をかけて、それをノルチェは両方の剣で防ぐ。それでがら空きをなった懐を、レイが蹴り飛ばす。

 ノルチェはそのまま後ろへと下がり、鼻先に薔薇の香りが掠めたのが分かった。戦闘に熱中するあまり、かなり移動していたらしいと分かる。

 レイが迫ってくるのを感じ、ノルチェは僅かに迷ってしまうがすぐに唇を噛んだ。

 二つの剣を黒い霧に戻し、黒い腕の拳を握る。

「黒の手」

 黒い霧が巨大な腕を形成し、レイの身体を握って投げ飛ばす。ナイフは黒い手に突き刺さり、ノルチェはその痛みに眉をびくりと動かす。

 レイは空中ですぐに態勢を整え、地面に綺麗に降り立った。

 レイはナイフの刃に付いた黒い液体を舐め、それからノルチェが押さえている黒い腕の方にも目を向けた。そこからもぽたぽたと黒い液体が滴っている。

「へぇ、魔族って血の色、黒いんだー。新しい事知ったなぁ。それとも魔族の部分だけが黒いの?どういう仕組み?...いや、そもそもなんで今投げ飛ばしたの?黒い剣でボクを殺せばよかったよね?何、どういうつもりなわけ?」

 嬉々とした声色だが、明らかに良い勝負を壊されて苛立っているようにも見えた。ノルチェは痛む腕を放り、黒い手を消す。そしてちらりと後ろの黒薔薇の庭を見る。

「...あのまま戦っていたのなら、薔薇が散る。......これは、ニアがローズベリ様の為に造った場所だから。貴方に散らされたくない」

 閉じられているほど細い瞳だといえども、その奥からは言葉に出来ない意志の強さを感じた。

 レイはぽかんと呆気にとられた顔をしたが、すぐににんまりと口角を上げた。

 ナイフを空中で素早く振るい液体を落とし、とんと地面を軽く蹴った。ノルチェは険しい顔をしたが刺し違えてでも構わないと、黒い霧をぶわりと噴き出させて、形を作り出していく。

「喉、裂いて黒薔薇をもっと黒くしてあげるよ!親切でしょ、ボク!」

「黒の弾丸」

 黒い霧は黒い球体へと変化し、次々と空中を飛んでいく。それをレイはいとも簡単に躱していき、ノルチェの後ろを取った。

 ナイフが、ひゅっと音を立てる。


「リーフェイ=ウェン。...ボクは貴方を、炎の魔導士とお聞きした」

 イヴがとん、とんとリズムよく地面を蹴りながらリーフェイへナイフを振るう。リーフェイはアズリナが相手をしている魔素複合体マナ・キマイラ二体を視界に収めながら、赤い光を手に纏って盾の文字を書き続けてナイフを弾き続ける。

「どうして、一度も本気を出さない?」

「あい、にく、ッこんな場所で炎を吐くほど、頭悪うないんですよねッ!」

 空間に赤い線が引かれる。

ウィンディッ」

 一気に風が吹く。その突風がナイフを手から弾こうとする。が、イヴはそれをするすると躱し、間合いを取った。

「...館が焼かれるのと、自分が死ぬの...、どっちがいいと思ってるの...?」

「死ぬ方ですねぇ。ここには、ニアとあの人の思い出の詰まった屋敷、黒薔薇の咲く館。...壊されるのは、御免です」

 リーフェイは笑顔だった。しかし、その奥に宿るえもいわれぬ思いの強さに、ぞくりと背筋を震わせる。

 希望を抱いている目だ。それをイヴは知っている。それをぐちゃぐちゃにした時の面白さもまた、彼女はよく知っていた。

「魔法が使えないのが、残念だ」

 イヴは薄く笑みを浮かべて、ナイフを振るっていく。リーフェイは避けて再び風を弾丸のように撃ち込む。それをイヴは玄関前へと身体を移して見せた。

「ッ」

 リーフェイは唾を飲んでその光景に目を丸くし、すぐに風を消した。イヴは読み通りだと、素早く間合いを詰めて下から上へと切り上げた。

 リーフェイの顔から眼鏡が落ち、顎に切り傷を負う。

「っぐ...」

 赤い血の流れる顎を抑え、きっとイヴを睨む。

「......その優しさが、お前を殺す」


 アズリナはリーフェイに作り出してもらった槍を用いて、二体の魔素複合体マナ・キマイラを相手にしている。

 一体が拳を振り下ろしてきたならば、それを柄で弾いて体勢を崩させて、もう一体がその代わりに応戦してくればそれを突いて転ばせる。

「館へは触れさせませんよ、ロゼ様とのお約束ですから」

 アズリナは空いている手から蜘蛛の糸を吐き出し、今度は腕を絡めとる。

「...息の根を止めて差し上げます」

 ひゅんひゅんと空気を裂くほど速く動かし、槍で二体を突いていく。

 蜘蛛の糸を扱いながら、槍を飛ばして背中にも傷を付けていく。アズリナは顔を顰めながら、何も動こうとしない魔素複合体マナ・キマイラ達を観察する。


 一体が動いた。

 蜘蛛の糸の絡まっている腕を獣人ウェアビースト特有の力で引きちぎったらしい。かなりの本数の束を作って巻き付けた筈なのだが、いとも簡単に千切られてしまった。

 足の力はそれほど高くなかったが。腕の力は強いらしい。


「......主の為に死ねるなら、本望」


 アズリナは迫り来る涎に塗れた牙と太い腕を、感情の無い瞳で見続けていた。


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