第15話 情報
夜の四番街。
そんなものがその広い酒場では、至る所で起こっている。
「お待ちどうさまです。こちら、サラダと
そこで、スノーブルーは―正しくはスノーブルーに扮したベンジャミンが―働いていた。
当のスノーブルーはベンジャミンに変装し、様々な人間の懐に入って話を聞いている。
今回の入れ替わりは、ベンジャミンの見た目を使ってスノーブルーが情報を聞き出し、スノーブルーの見た目を使って彼だからこそ得られるような情報を得るというのが目的だ。
元々ベンジャミンは大々的に情報屋であると公言しており、色々な人へ情報を売っている。それゆえに、意図的に情報を隠されてしまう事があるだろうと思い、この作戦を時折取っている。彼には変装を完全なものにするべく、ある程度の情報を書いたメモ帳を渡しており、どんな事を聞かれても答えられるようにしている。周りはベンジャミンに間違いないと思っているのだろう。
どれだけ本質を見抜けていないのか、ありありと理解出来る。
「ちょっと!スノーくんッ!ぼうっとする前にほら、料理を運んでくれる?」
店主である気の強い
「す、すみません」
ベンジャミンはすぐに頭を下げ、机の上にある料理を運んでいく。
ベンジャミンに扮したスノーブルーは、内心心臓を高鳴らせながら、目の前の狼の
彼との入れ替わりをし始めて、早数年。彼と変わらぬ演技を出来ているとは思うが、いつもバレはしないかと不安で仕方ない。
だが、仕えている者の婚約者を殺したのは誰なのか。それを探らねば、どうにもやりきれないのだ。
「なぁなぁ、聖眼って知ってる?」
酒のアルコール分が回って良い気分になっている彼へ、スノーブルーは小さく首を傾げて顔を近付けて訊ねる。
そもそも片目の視力はないので、顔を近付けなければ表情の小さな機微に気付けないのだ。加えて耳を折り畳んでいるので、声も聞こえづらい。
「.........ふぅん、知らねぇ事はないねぇ」
「あれだよあれ。とんでもねぇ魔力の詰まった眼だろう?それを喰えば、身が若返っちまうほどの力を持てるというじゃねぇか」
連れらしい目の前に座っていた獅子の
「へぇ、皆物知りだなー。それじゃ、
聖眼は勿論なのだが、巷を騒がせている
ローズベリがニアの婚約者に迎えられた頃からみられるようになった、様々な種族の特質をくっ付けた
「なぁ、兄ちゃん。もっと話しにさ、これから店変えて更に一杯やるんだけど、ついてくっか?」
赤ら顔の男は、ぽんぽんとスノーブルーの肩を叩いた。
ベンジャミンには情報の為とは言え、目の届かないところには行くなと言われているが、ここで退いたら駄目だろう。彼らは何か知っている気がする。
「あぁ、俺も特に用事ないし。行く」
ちら、と自身の姿をしているベンジャミンを目で探すが、どうやら今はこの場所ではなく、店の裏で調理か何かをしているようだ。
バレない内に、さっさと行くべきだ。
飲んだだけの金額を置き、赤ら顔の二人へとスノーブルーは付いていく。
ここには様々な酒場がある。丁度花街とは真反対にあたる地域ではあるが、中央にそびえたつ
どこへ連れて行かれるのだろうかと、付き合いだといって飲まされた少量の酒でふわふわとしている考えの中で、スノーブルーはついて行く。
その時、目の前を歩いていた
カツラがずれていないか、スノーブルーは頭の片隅で考えて、それから二人の顔を見て驚いた様子がないのを確認して安堵する。どうやらずれてはいないらしい。
「お、おい、なんだよ......」
そんな冷静な頭とは裏腹に、置かれている状況に焦った声が漏れる。
明らかにおかしい。これは、まずいかもしれない。そんな考えが、ぐるぐると回り始める。
「まぁまぁ、悪いようにはしねぇからよぉ」
「ッ、この......っ」
慌てて身を捩ったものの、上手く拘束が解けない。同じ
まずい、まずい。
ベンジャミンには悪いが、本気を出さねば貞操が大変な事になってしまいそうだ。心を決め、拳を握った時だった。
「水神マーキュリアの御名に命ず。大いなる大海へ意思を与えよ。
上から声が振って来たかと思うと、目の前の
彼ら二人はそれをしている人物を見ようとしているのだろうが、それを阻止するようにまるで豪雨の如くそれは降り注ぐ為に目が開けられないようだ。一粒一粒が大きい為に、口を開ける事もままならないらしい。
あっという間に彼ら二人は退散してしまった。
「全く、何してんだよ」
すたん、と地面に降り立ち、更に赤色の光で指先を振るう。するとふわりと風が吹いて、水に濡れた地面や濡れた足元を乾かしていく。
「......ベンジー」
「入れ替わり中は俺の目の前から離れるな、って言ったろー。んもう」
自分の顔でいつもと違う口調で話されるのは、やはり気持ちが悪いものであった。どうしても顔を顰めてしまう。
「...すみません。目の前の情報が得られるという状況につられてしまいました。申し訳ありません」
「ふぅん」
すたすたとベンジャミンは軽い足取りで近付いて、ぐっと顔を近付けてきた。
「俺に近付いてきた証だな。いい事じゃん」
「っ...........?」
怒られるとばかり思っていたので、まさかの発言に目を丸くするしかなかった。
「でも」
ぐっと細い顎を強く掴まれ、顔を上に向かされる。自分の顔が楽し気に歪んでいるのが、片目が見えずともよく分かった。
「他の男に言い寄られて、それを分かってなかったのは、許せないなぁ」
「ッま」
待って、と言う前にがぶりと喉元に噛みつかれた。甘噛み程度の力だが、チリっとした痛みに小さく顔を顰める。
噛まれた喉元から舌先がつつっと移動し、首筋から鎖骨へと移動していく。がじがじと、彼が獣のように噛んでくる。
「っう、べん、じ」
無言で、噛み痕を残すように。ひたすらに噛んでいく。
少しして、口がゆっくりと離される。ベンジャミンの唾液でぬらぬらと、赤くなってしまった肌の歯型が照って白い肌に映える。
「お前は他の誰でもない、俺のだろう?」
束縛と嫉妬。あぁ、とスノーブルーは思う。彼との入れ替わりをしているという事は、つまりはそういう事なのだ。
彼の所有物。
「申し訳、ありませんでした」
素直に謝ると、ふるふるとベンジャミンが首を振るう。
「いい。未然に防げたから」
噛んだ事で乱れた服装をてきぱきと正し、それからにやりと笑ったかと思うと、すっと無表情に戻った。
スノーブルーになったのだ。
「それでは、アルバイトの身で無理を言って抜け出してきてしまいましたので。ベンジー、また」
首の裏を優しく擦られ、それから何事もなかったかのように彼は離れて行った。
スノーブルーはずるずるとその場にへたり込み、噛まれた首をそうっと撫でる。
ちりちりと痛むが、それさえも所有を示す彼特有の証だとするならば――、嬉しいという感情を抱いている自分は終わっているだろうか。
「終わって、いますね」
自問自答して出た解答に、自嘲気味に口角が上がる。
脳裏には、あの言葉が思い出される。
『俺は何者にもなれるけど、やっぱり、俺になれるのはお前だけだな』
にやりと子どものように笑み、ふわりと白髪が揺れる。あの時には、既に彼の腕の中に抱かれていたのだろう。全ては彼の計算の上で。
「...........さて、帰るか」
スノーブルーはゆっくりと立ち上がり、尻をぱんぱんと叩く。
何事もなかったかのように、千鳥足を踏んでいる人々の間をするすると通っていき、黒薔薇館へ目指してゆったりと歩いて帰る。
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