脱獄

本田玲臨

脱獄(前)

 ゆらゆらと覚め始めた意識の中で、だんだんとハッキリし始める白いシャツの姿。それと同時に、確かに感じ始める首元の圧迫感が、更に意識を覚醒させ始め、僕はゆっくり瞼を開けた。すると、彼女は明らかに嬉しそうに笑みを浮かべ、話しかけてきた。

「おはよう、セナ。今日の目覚めは最高?」

「いつもの事ながら最悪だよ。苦しいから止めて、イリ」

「ふふ......、そっか」

 ニコニコと楽しそうに笑って、イリは僕の首から手を離した。

 視界に映るのは白い天井。そして彼女の黒い髪の毛と灰色の瞳。笑っているのか、口角が上がっている。

 イリ=リティス。僕の2つ隣の病室に住んでいる、僕と同い年の白いシャツを着た少女。性格は凄く嫌味で、無駄に明るい奴。でもいい奴だと僕は思う。...朝一番にイタズラで首を絞めてくるような奴だけど。

「...あれ、ところでシアンは?」

「んー?そろそろ来るんじゃないかなあ?」

 イリは、相変わらずの適当な調子でそう言った。

「もー......、適当って酷いなあ」

 イリが肩をすくめた時だった。カチャリと扉の開ける音がした。そこから入って来たのは、白衣を着た黒髪の男。

 シアン=ルージニア。僕とイリの担当者であり、2つ年上の兄みたいな人だ。

「やっぱりここに来てたか、イリ」

「うん!おはよ、先生」

 にぱっとイリはシアンへ笑いかけた。シアンは苦笑いを浮かべ、僕へと目を向ける。

「おはよう、セナ。今日はどうだい?」

「いつも通り、何も見えてない」

 無愛想に言うと、シアンは変わらない苦笑いで僕へ笑いかけた。

 僕は生まれつき、何も見えない。視力はあるが、色を認識出来ないのだ。全色盲という病気なのだという。僕の見えているものはどれも、白と黒と灰色で作られている。全てがモノクロで面白味は一切無い。長い間一緒にいるシアンやイリだから分かるが、僕には人の顔の違いや、表情を読み取る事も出来ない。

 両親はそんな僕を気味悪がり、この孤島にある精神病院に預け、姿を消した。お陰で僕は今、この精神病院で暮らしている。

 ここには精神疾患を抱えて殺人を犯した犯罪者や、何度も自殺を繰り返す自殺未遂者。はたまた、僕等のような一般人とは違う者までが集う。

 そんな僕等ではあるが、こんな場所から解放される条件はある。ここから"退院"する為の、1人1人違う試験があるのだ。

 イリの場合は、シアンの考えを当てないこと。イリは周囲に居る人間の考えや感情を感じ取ってしまうらしい。テレパシーにも近いものだが、イリのは無条件に他人の心象を読んでしまうのだという。だからそれをコントロールする事が、イリの退院の条件。

 僕はシアンの髪の毛と瞳の色を言い当てる事。それをクリアすれば、晴れて僕は一般人だと認められ、この精神病院のある孤島からおさらば出来る。

 でも、物心ついたくらいでこの病院に来て、この島以外の場所で生きたことの無い僕に、人混みに揉まれて生きていくなんて出来っこないと思うけど。あんな世界で息苦しく生きるよりは、ずっとここで暮らす方が楽かもしれない。


「セナ、何見てるの?」

 朝食を終えて、病院の庭の芝生に寝転んで空を見上げていると、シアンが僕の横に腰を下ろした。反対側にイリが寝転がった。僕はいつも通り無愛想に上を指差す。

「空......。あぁ、今日も澄み渡った真っ青な色をしてるよ。いい天気だ」

「私は暑くて好きじゃないなあ。冬くらいが丁度いいよ」

 さらり、と。僕の言いたかった事をすぐに見抜いて彼はそう言い、彼女はくすくすと笑っている。

 僕の目では青と真っ青の違いなんて分からない。黒の濃淡の違いだけで、彼らの見ている青と真っ青の違いとは、きっと全く異なっているんだろう。

 僕が見る灰色の空には白い雲が浮いている。雲は1日1日で形を変えてくれるから嫌いじゃない。むしろ、結構好きな方。随分前にシアンが買ってくれた雲の図鑑はとても面白くて、今は毎日ここで空を眺めるのが日課になっている。

 この僕の目に色が映るようになれば、空はもっと輝くのかもしれないけど。

「...シアンの目の色は、綺麗な色なの?」

 ふと気になって、シアンの目を見て言ってみる。やっぱり僕にはただの黒にしか見えないこの目は、僕が見たいと思うものなんだろうか。それが単純に気になった。

「き、綺麗......?綺麗っていうのは人それぞれだからなぁ...。あぁ、でも俺はセナやイリの目は綺麗な色をしてると思うよ」

 シアンは首を傾げ、僕の顔を見てきた。...色が分からない僕にそう言われても分かんないし、何かイラッとしたのでとりあえず一発殴っておく。

「何で叩いたのっ!?」

「あはは、セナは面白いなぁ。...セナや先生の目、私は好きだよ?私は自分の目の色好きじゃないなあ」

「えー?夕焼けの色だよ。凄く綺麗だ。セナは森の色だね、素敵だよ」

 だから、僕にはその色が分からないんだってば。更に苛立つ。イリはそれを読み取っているのか、僕をニヤニヤ笑いながら見てくる。ムッとした僕の怒りはシアンへと向けられる。

「痛っ、痛いってセナ!」

 そんな言葉は聞いてないフリ。だってこの僕をイライラさせたんだから。

「はぁ...。さて、と。2人共、そろそろ部屋へ戻ろっか。もう少し外に出ていたいかもしれないけどね」

「うん、分かった。セナ」

「行くよ」

「聞き分けの良い子達で良かったよ」

 シアンが立ち上がって、僕へ手を差し伸べてくれる。僕はその手を取って立ち上がった。


 僕の部屋とシアンの部屋、イリの部屋は隣にある。これはこの病院の決まりだ。ここには精神の...、つまりは頭のおかしな奴が多いので、何かあったらすぐ担当者が対処出来るようになっている。朝昼晩のご飯もお風呂も(イリは女性担当者と一緒に)、部屋から出て孤島を散歩する時も、寝起きも一緒。

 けど、僕やイリは精神を病んでる訳では無いから、とシアンはある程度の自由を僕等にくれている。患者の単独行動を許している担当者なんて、恐らく彼だけではないだろうか。

 というか、シアンは僕等に甘過ぎると思う。僕がいくら馬鹿にしても冷たい態度をしても、笑って受け入れてしまう。イリのイタズラにも苦笑いで返す。彼とはここに入ってきた小さい頃から一緒にいるので、本当に兄みたいに思える人だから、ついつい僕は甘えてしまってるのかもしれない。

 でも僕は、シアンの弱音を聞けないでいる。彼は最近、自室で泣いているというのに。その理由も、何となく理解しているというのに。

 この病院には毎年、沢山の患者がやって来る。当然ここにも収容人数というものがあるし、担当者にだって限りがある。つまり、増え過ぎるとここに入らなくなるのだ。それに増やし過ぎると、何がここで起こるか分からない。でも中途半端な、僕等みたいな、一般人のなりかけのような奴等を社会へ出すわけにはいかない。そこで病院は、要らない患者を無かった事にする事にした。そう、殺人を犯した犯罪者や治る見込みの無い病人を殺す。毎年20人程度が色々な検討を経て決められる。

 ここの情報管理局の人と仲良くなった僕は先日、その殺す患者のリストの中に僕の名前がある、との情報を貰った。

 長い間ここにいる僕は、治る見込みが無いと思われたのか。それとも決める為のルールは体裁で、本当はくじ引きか何かなのかもしれない。だけど、恐らく近々、僕が殺されてしまうのは決まってしまった。そのせいで彼が泣いているのだとしたら、僕は彼の部屋へ慰めに行っても、どんな言葉をかけたらいいのかまるで分からなくて、ただただ知らないフリをするだけだった。

「普通の人間だと思うよ、それが」

 唐突にしたイリの声に僕は顔を上げる。もうとっくに消灯時間は過ぎているのに、どうやってここへ入ってきたんだろうか。

「ちょっと先生のポケットから拝借したんだよ」

 どうやらまたイタズラしていたらしい。

「明日怒られても知らないからな」

「先生が怒ったところ、見た事無いけどね」

 イリはそう言いながら、いつものポジション...、つまりベットの上へ腰掛けてきた。

「んで、いつ死ぬの?」

「.........さぁ」

「何で私は生きていられるのかなあ」

「それも知らない」

「...先生、辛そうだよね」

「僕のせいで...、だけど」

「セナの責任?違うでしょ?」

 せせら笑うような、嘲笑うようなイリの声音。

「セナを殺すように決定した、上の人間の責任でしょ。犯罪者は置いておいて、私達は他の人とは少し違うだけじゃない。それだけで淘汰されてしまう。一般人では無いからと、こんな場所に追いやられて、世界から存在を消されてしまう」

 笑いながら語っていたイリの言葉はプツリと途切れ、何処かもの悲しいような顔をした。でも本当に悲しんでいるのか分からない。暗闇が彼女の顔に影を落としているから、そう見えているのかもしれない。

「...何の為に生きてるのか、私は......分かんないんだよね」

「...そんなの」

 あいつ等も分かってないよ。

「...そうかもねぇ。...じゃ、また明日。お休み、セナ」

「お休み、また明日」

 イリはそう言って僕の部屋から出て行った。

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