二七 黒猫族の女
大陸南部の主要街道沿いにある宿場町エルプネレベデアの町は、昼を過ぎてゆったりとした時間が流れていた。
一人の黒猫族の女が西の関所から街に入り、街道の大通りをひたすら東へ東へと歩いていた。
「お姉さん、お姉さん」
すると、どこからか女を呼ぶ声が街道沿いの店から聞こえてきた。女は声の主を探すために耳を動かした。
「お姉さん、お姉さん」
耳のなびく方へ目をやると、白猫族の女が商店を背にして手招きしていた。
「これから東の方へ行くの?」
白猫族の女は、背中に担いでいた荷物に視線を移しながら話しかけた。
「ええ、まあ」
「行商は大変だね。今日はこの町で休んでいったら?」
「そうしたいのは山々なんですけど……」
「夜はまだ寒いよ。ほらほら」
あまりにも優しい手招きに、黒猫族の女は引き寄せられた。宿に入り、一晩分の宿泊料を支払うと、金と交換に出されたお茶に嗜みつつ、カウンター越しに話をし始めた。
「部屋はもう埋まったんですか?」
宿の主は振り向いて答えた。
「うーん、いつもならこの時間はまあまあ埋まるんだけど、今日に限ってそんなでもないよ」
「そうですか……何故でしょう?」
黒猫族の女は。僅かに微笑みを浮かべながら主に問いかけた。
「どうしてだろうかねえ……そういえば……」
主は顎に手を当てて何かを思い出した。それに興味を持った女は、身を乗り出して聞き始めた。
「なんです?」
「トリュラリアの町で、ミュレス人の反乱があったって聞いたけど……その関係で、西から人が来なくなったのかなぁ」
「反乱ですか?」
「らしいよ」
主の言葉に、黒猫族の女はふと外の通りに目をやり、また主の方を向き直した。
「その一団、西に行きましたかねぇ」
「うーん、どうだろうね……天政府人が話していたのを聞いただけだから……」
その言葉に黒猫族の女は少し表情を曇らせたが、再び微笑みを浮かべた。
「きっと、すぐに来ますよ」
黒猫族の女は、主に一言残しつつ手のひらを見せた。
「あ、ああ、はいはい。お部屋は12号室ね」
宿の主は、慌てて部屋の鍵を取り出して手渡した。黒猫族の女は、それを受け取ると颯爽とカウンターから離れ、部屋に直行した。
エルプネレベデアの酒場は、大通りに面しているにも関わらず、中には空席も目立ち、とてもひっそりとしていた。白猫族と黒猫族が半々ぐらいいるが、意外と天政府人の姿は見当たらなかった。
「今日は人、少ないね」
白猫族の3人組は、小さなテーブルを囲みながら酒ではなく、果実ジュースを飲みながら語り合っていた。
「大通りも人があんまり通らないよね」
「ね。そういえば、昨日も静かだったよ」
「おかしいよね。芽生えの日の前後って結構賑やかなのに……」
すると、そのうちの一人が話を切り出した。
「そういえば、トリュラリアで一悶着あったらしいよ」
「一悶着?」
2人は、その話に飛びついた。
「通りを歩いてた天政府人が話してたよ。トリュラリアの町役場がミュレス人に乗っ取られたんだって」
それを聞いてただただ顔を見合わせながら狼狽えるしかなかった。
「え? それ、本当?」
「本当じゃない? 天政府人が言ってたんだし」
すると、3人とも腕を組んで考え込んでしまった。
「うーん……私達にも影響してくるのかな?」
「きっとするよ。この町だって、天政府人の支配下にあるんだから」
「もっと締め付けが強くなるのは嫌だよね」
「そうだね……」
3人が話をしているところへ、会計を終えた黒猫族の女が通りかかった。
「すぐに良くなるよ」
後ろから突然に話しかけられ、3人は一斉にその女の方に顔を向けた。
「なぜ?」
「トリュラリアの一団が、じきに来るでしょうから」
そう言い残すと、黒猫族の女はさっさと酒場を後にしていった。
日が完全に落ち、夜も更けた頃には、小さなエルプネレベデアでは謎の黒猫族の女の話で持ちきりだった。そして、その女の話した「トリュラリア襲撃の一団がエルプネレベデアにやってくる」という噂も一緒になって広まり、ミュレス人の間に警戒の空気が広まっていった。
この噂を耳にしたのは、ミュレス人のみではなかった。エルプネレベデアの町長も噂を聞きつけ、治安管理員の緊急配備を言い渡し、さらにミュレス人には当分の外出禁止を言い渡した。いつもは寝静まる夜中のエルプネレベデア町内は一転、誰も眠れない異様な空気に包まれた。
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