第八節 トリュラリアの宣誓

二一 初戦前夜

 地上天暦353年3月31日。

 エレーシー、ティナ、アビアン、フェルファトアと、ティナの妹であるエルルーアは、いつもの郊外の酒場に集っていた。

 机上には中に液体が入ったグラスが4つ。

 中身は酒ではない。ただの水である。

 今回ばかりは笑いの一つも出ず、ただただ強い緊張感だけが流れていった。

「……みんな、作戦は覚えてるわよね」

「もちろん」

ティナの問いかけに、3人は順々に頷いた。

「いよいよ明日……というか、夜が明けたら……」

「むやみにプレッシャーだけを高めていくのは止めて」

フェルファトアはアビアンの言葉を遮り、顔の前で手を組んだ。

しばし、4人は自分の頭の中でじっくりと、これから行う作戦のシミュレーションを行っていた。

ただただ、水の入ったグラスを前にして思案する時が続いた。


「ふう、なんとか上手く行けばいいね」

「行けばいいねじゃないわ。上手く行かせるのよ」

「姉さんの言う通り。一度手を付けてしまったら、後は殺るか、殺られるかの世界よ。もう、後には引けない」

エルルーアは、4人に現実を示した。

「確かに、エルルーアの言う通りだね」


エレーシーは大きく息を吐くと、少し間をおいてグラスを胸に構えた。

「それじゃあ、いいかな。……さて、決別の乾杯と行こうじゃないか」

4人は、エレーシーに続き、同じようにグラスを持った。

「今日までの生活に、決別を」

「そして、……今から始まる戦いの、勝利の為に……」

「勝利の為に」

5人は静かにグラスを合わせ、いつものように飲み干した。

皆、グラスを下ろしたが、アビアンはグラスを両手に持ち、唇を噛み締めた。

「大丈夫?」

エレーシーはそっと肩に手を掛けて抱き寄せた。

「……ありがとう、エレーシー。ええ、まあ。でも、大分落ち着いたから……」

アビアンは、グラスを叩きつけるように置いた。


「……星の御加護……」

ティナは自分の作った暗号文の一節を呟いた。

「あっ! そういえば、もう……」

「そうだわ! もうそろそろ星がはっきり見え始める頃だわ!」

「急いで船小屋に行かなきゃ! 誰か来てたらどうしよう……」

「あ、みんな、ちょっと待って」

5人は慌てて身支度をした。

「それじゃあ、30分後に川の港の建物の裏に集合よ。貴重品はちゃんと持ってくるのよ。もう、戻れないんだから……」

ティナの一言を聞くと、全員バラバラに走り出した。


エレーシーは自分の家に帰る道すがら、一軒の家の戸を叩いた。

「はい?」

中から出てきたのは、エレーシーと同じくらいの白猫族の子だった。

「リネリア……」

その人は、エレーシーと同じ港で働いているリネリア・ポム・イルック計量官だった。

「エレーシー……」

「……あのね、実は、港の仕事なんだけど……」

「うん……」

「あの……」

「言わなくても分かるよ。辞めるんでしょ?」

エレーシーは自分の言い出そうとしたことを見抜かれ、少し仰け反ってしまった。

「え? 何で分かったの?」

「明日から4月だもんね」

「……リネリアは、参戦しないんでしょ?」

「しないよ。だけど、私だってここの街路会の一員なの」

「……まあ、そうだよね」

「計量官の仕事は心配しないで。それよりも、私はエレーシーがいち早く、この天……虐げられ生活から引っ張り出してくれることを期待してるよ」

「ありがとう。でも、上には何ていうの?」

「何も言わないよ。どうせ、大混乱になるんだろうし」

「それもそうか」

「じゃあ、よろしくね」

「リネリアも、元気でね」

エレーシーが別れの挨拶をすると、リネリアはエレーシーを抱き寄せた。

突然のことにエレーシーは驚きを隠せなかったが、すぐに察すると、ゆっくり背中に手を掛けた。

春先のまだ冷たさの残る空気に曝されて冷えた身体が、じんわりと暖かさを取り戻していった。

「……帰ってくるよね」

「……うん、帰って……くるよ」

エレーシーとリネリアは、別れの抱擁を、後悔のないよう心いくまで続けた。

「あ、急いでるんだった。それじゃあ」

「それじゃあ」

エレーシーは、軽く別れの挨拶をして、リネリアの家を後にした。リネリアは、その姿が見えなくなるまで手を振った。

一筋の涙とともに。

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