第二節 シュビスタシアの酒場

三 シュビスタシアの酒場

 ティナと食事に行くようになってから1年ほどが経った。

 依然、エレーシーはこの町で計量官をしているが、この1年間で変わったことは1つある。17歳になって、アルコールを飲めるようになったことだ。(註:天政府領ミュレシアでは、17歳から飲酒が認められた。)

 エレーシーが17歳になってからは、3日おきのティナとの夕食会は、場所を大衆食堂から酒場に移し、夜な夜な潰れながら危険なトークを続けていた。


 今宵も、街から少し離れたところにある行きつけの酒場で、ティナと盃を交えていた。

「正直な話、この街は私のところのレートで景気が決まるのよ」

「そうなの?」

「そう。うちの支払所が金を渋れば、それだけティナ達漕手に入るお金が少なくなるでしょ。そうすれば、街にお金を落とさなくなるってわけ。天政府人が使うところだけ栄えてるの」

 近頃、ミュレス人の間でまことしやかに囁かれている噂があった。

 おそらく、天政府でのインフレは発生していないのではないかということである。

 つまり、シュビスタシアの天政府人があくまで私腹を肥やすためにレートを釣り上げているのではないかという噂だ。現実として、ミュレス民族の生活が苦しくなる一方、天政府人の宴会は毎日見かけるようになった。一方、最近では夜の街でミュレス民族の姿をほぼ見なくなった。

「どう? 最近、何か楽しいことあった?」

「楽しいことねえ……私はエレーシーと飲んでるときが一番楽しい」

「もう、ティナは……」


 夜も更け、そろそろおいとましようかと話し始めた時、二人は白猫族(マレトリニー)の者が酒場の様子をうかがっていたのに気づき、慌てて口を噤んだ。

「あら、白猫マレト黒猫タイトが一緒なんて、珍しいじゃない」

 態度の急変に気づいたと見え、身を固くしているエレーシーに対して馴れ馴れしく近づき、肩を叩いた。

「あ、こんばんは」

 エレーシーは縮こまりながら、よそよそしく挨拶した。ティナは何も言葉を発せず目だけ丸くしている。

「こんな外れの店に、珍しいよね?」

「べ、別に珍しくなんてないですよ。川上には黒猫族は沢山いるんですから……」

 その人は、二人の妙な空気に気がついた。

「もしかして、天政府の回し者だと思ってる?」

 二人はそれぞれ互い違いに目を泳がせた。そんな二人にお構いなく、図々しくもティナの横に座ると、店員を呼び、それほど安くない酒を注文した。

「そんなに緊張することないじゃない。ほら、この顔」

 よく見ると、その人の顔はほんのりと紅くなっていた。どうやらここに来る前にどこかで既に一杯引っ掛けてきたようだ。

「どうしたんですか? 急に……」

「どうしたもこうしたも無いものよ。私は統括府市から荷物を持ってきたんだけどね、届け先の金払いが良くなくってさ、どうにもならないの」

 彼女はそれまでの雰囲気とは一変し、蕩けた目を左へ右へ動かしながら言い放った。

「貴女も運送関係の人なんですか?」

 ティナが言葉の繋ぎにと質問した。

「別に、運送業やってるわけじゃないのよ。私は統括府教育院で学院用の教科書を作ってるんだけど、その配達まで私達がやってるわけ。今、もうちょっとで入学の時期でしょ?」

「私にはよく分からないけど……」

「天政府人の学院は、教育院の上役が同じ天政府人だから、まあ、払いもいいんだけど、私達ミュレス民族の学院はお金もないし、全然教科書代払ってくれない訳」

そう言って盃に自ら酒を注ぎ、一先ず口にしてからさらに続けた。

「そうなると、結局ミュレスの学院に納める教科書の質は落とさざるを得ない訳。だから、ますます民族の間で差が出来るのよね。金払いの事もあるんだけど、私はそれも心配で……」

 自らの言葉を肴に酒を進める来訪者に対して、エレーシーとティナはただただ黙って目を丸くしているしかない。ひたすら突然の独演会が繰り広げられた。

「な、なるほど。でも、そんな賢い役職にミュレス民族が就いてるって珍しいですね」

「そう? 統括府市じゃよく見るけど……」


 それからは3人でかわるがわる、自らの境遇の不憫さ、天政府人の傍若無人ぶり、現在の政治体制の批判など、繁華街の中の居酒屋ではおよそ話すことの出来ない話を1時間程続けた。しばらくして、店主からもうそろそろ店じまいの段取りに入りたいと言われた。

「いやあ、普段話さないようなことを話しちゃったね。これですっきりして統括府市に帰れるわ」

「いえいえ、私達も山地の向こう側のことなんてあまり聞かないし、面白い話を沢山聞かせてもらいましたよ」

「そうね」

「ここであったのも何かの縁だし、またどこかで逢いたいわね」

「そうですね。そういえばあなたの名前、聞いて無かったですけど……」

 エレーシーが今更ながら名前を聞いていない事を思い出しだ。

「私? 私は、フェルファトア・ヴァッサ・ヴァルマリア。地上統括府教育院で働いてるから、何かあったら、こっちの分院にいるティアラ・セヴィリアって子に言ってね」

「ありがとうございます。……次はいつ来るんですか?」

「次は……ああ、まだ東には配り終えてない学院があるから、その折に寄ろうかな。だから、また4日後くらいかな?」

「4日後か……それなら私もシュビスタシアにいると思うわ」

「それじゃあ、4日後にまた、この店で……」

「そうしましょうか」

 3人で店を出ると、大陸南部独特の冷たい風が通りを吹き抜けていった。しかし、3人の心はアイシアの氷柱をも溶かす程の情熱に燃えていた。

 誰もそれを口には出さなかったが、3人の意思は一つの方向に向かいつつあった。

 この隷属生活を、何とかして打破したい。

 そのためにも、天政府人が絶対であるこの社会に立ち向かわなければならない。

 僅か1時間30分の宴だったが、エレーシー達ミュレス民族にとっては、非常に貴重な宴となるのであった。

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