浮遊する感情
村良 咲
第一章
第1話 なにかいる
「せんせ、きてきて……ほら、ふわふわさん」
「えーー?どこー?」
「そこだよ、そこ」
そうやって大也が指さしたのは、太陽の光がガラスごしに降り注ぐ、体育館の2階とでもいうのか、通路になっている辺りで、そこにはただ入ってくる明かりに反射して光る塵だけが私の目には映った。
「んーーっ、大也さん、キラキラ光って綺麗なふわふわさんだねー」
「えー?せんせい、ふわふわさんはひかってないよー」
大也は先日も廊下でふわふわさんがどうとか言っていた。そこは昇降口前の階段を上がって右手に折れたところにある空き教室の前で、その先にある音楽室に行くときだった。あの時も、今日と同じで大也は目線を上げ、空を見つめていた。
「大也さん、ふわふわさんはこの前2階にいたふわふわさん?」
「そうだよ、ふわふわさんはいろんなところにふわふわしていくんだよ」
「大ちゃーん、きょうしつにいくよー」
体育館の出口から大きな声で大也に声をかけてきたのは、同じクラスの優太だ。
「あ、ゆうちゃーん、まってまってーー」
大也はそう言って、優太を追いかけて体育館を出て行った。2人は家が近く、小さい頃からとても仲良しなんだと2人の母親が口々に言っていた。
3人兄弟の末っ子でいつも兄弟のどちらかにくっついている大也は、自分の兄弟が近くにいないときには、まるでその代わりのように優太のそばにいて、長男で面倒見のいい優太は、そんな大也をいつも気にかけていた。そしてそんな優太を、大也の兄たちは大也と同じように弟のように可愛がっているのだ。
「せんせ、はやくいこうよ。きゅうしょくのしたく」
いつの間にか沙絵のすぐ横にきていた美咲がそう呟いた。美咲はなかなか友達に馴染めないでいて、私にくっついていることが多い。
結衣を探してみると、結衣は結美と並んで体育館を出て行くところだった。人見知りの美咲に結衣が声をかけたことで、美咲は結衣とは話せるようになったが、結衣が他の子と仲良くしているところには入って行けない。そんな結衣は、名前の漢字が一文字違いで意気投合したらしく、ここのところは結美とばかり一緒にいる。その姿を目にして視線を美咲に戻すと、美咲も結衣たちの後ろ姿を追うように見送っていた。
4時間目の体育が終わると、職員室に戻る暇もなく給食の準備の指導がある。まだ1年生になってひと月ほどしか経っておらず、やっと始まった給食で、番号順でやっている給食当番も、ようやく最後のグループがやり始めたばかりだ。私もまだこの小学校には移動してきたばかりで、前任校と似たり寄ったりの校舎だが、細かいところでの違いにまだ慣れないでいた。
「はいはい、急ぎましょう」
横に来ていた美咲は、私のジャージの端を摑んでいた。そんな美咲と並んで歩きはじめると、美咲は私の手に自分の手を滑り込ませてきた。その小さく暖かい手からは、『寂しい』という声が聞こえてくるかのように、力なく沙絵の手を掴んだ。
「美咲さん、ちょっとずつでいいからみんなと話をしてみようね」
「ゆいちゃんならはなせる」
「結衣さんと仲良くしている結美さんも優しいよ。今度結美さんとも話してみようか」
「ゆみちゃんはしらないこだもん」
「知らなくないでしょ?おんなじクラスの友達だよ」
「しらないもん」
「そっか、じゃあさ、結美さんとも友達になってみようよ。先生が一緒に話してあげる」
「いい」
「結衣さんが結美さんと仲良しだから、美咲さんもそこで仲良くできたら、きっと楽しいよ」
「……いい」
美咲は少し考えるように目を泳がせたが、きっぱりと言い放った。
教室の入り口付近まで行くと、白衣を着た給食当番の子たちがぞろぞろと出てきた。
「みんな手を洗ったのー?」
「あらったー」
口々にそう言って、給食室に向かって行った。
給食室は教室と同じ1階で、職員室とは真逆にある廊下正面の図工室の手前、教室とは廊下を隔てた反対側にあり、1-3のうちのクラスとは教室1つ離れただけの、すぐそこだ。
教室に白衣姿の子がまだ残っていないか確かめると、沙絵も給食室へと向かった。すると、給食室から白衣を着た大也が慌てて飛び出してきた。
「大也さん、どうしたの?」
「せんせ、せんせ、たいへんだよ、ふわふわさんのなかにゆみちゃんがいる」
ふわふわさんの中に結美ちゃん?どういうことだろうと覗いてみると、結美が咲弥と翔とパン缶を持って出てくるところだった。
「だいやくん、ちゃんともってよ、おもいよ」
結美の声に弾かれるように、大也は身体をビクンとさせ私を見た。
「大也さん、みんなとパン缶持ってあげないと、重くて落としちゃうと大変だ」
その言葉で、大也はパン缶に近寄ると、翔が両手で持っている把手の片方を持ち、目をキョロキョロさせながら歩き始めた。
それにしても、ふわふわさんの中に結美ちゃんって、どういうことだろう?私には、結美ちゃんに特に変わった様子があるようには見えない。大也は相変わらずキョロキョロしていて、その様子を見ていると、すぐ前を歩く結美に目を向けないようにしているように見えた。
教室で配膳をしていると、大也がふとドアの外に目をやったのがわかった。そしてその顔を私に向け、また廊下に目をやった。
『せんせ、ふわふわさんがでていったよ』
その視線からは、そう言ったのが聞こえてくるかのようだった。
「麻衣さん、変なこと聞きますけど、『ふわふわさん』って、何のことかわかります?」
昼休み、職員室に戻ると、麻衣にそう声をかけた。
「え?なんですって?」
「ふわふわさん」
「なにそれ、初めて聞いたわ」
「そうですよね、わかりませんよね」
沙絵はそう答えると、事のあらましを麻衣に話して聞かせた。
麻衣は大也の真ん中の兄、哲也の担任で、もしかしたら哲也から何か聞いていないかと思い聞いてみたが、全く心当たりがないようだ。
「ふわふわ?」
「ああ、杉田先生、『ふわふわさん』って、何かわかりますか?」
麻衣の隣の席の杉田にも話が聞こえたらしく、麻衣が同じ話を繰り返してくれている。杉田は5年生を受け持つ学年主任で、ベテラン先生だ。
「子供って、勘が鋭いっていうか、何か見えたりすることがあるのかもしれないね。そういう話、たまに聞くよね?」
「そうですね、言葉がようやく話せるようになった子が、ママのお腹にいるときに……なんて話をしたなんてこと、聞いたことがありました」
「あのさ……」
沙絵の顔を見ながら杉田がそう言ったかと思うと、一瞬口ごもると顔を下げ、その視線を彷徨わせて見えない何かを見ていたかと思うと、
「あのさ……」
「もう、さっきからなんですかーー?気になるじゃないですかー」
半分笑ったような麻衣のその言葉に被せるように、沙絵も杉田を見て頷いた。
「私、この学校に赴任するの2度目なんだけど、なんかね、見える人には見えるらしいのよ」
「えっ?見えるって、何が?」
「だから、その、ふわふわさん」
杉田のその言葉に、背筋が一瞬、ぞわっとした。
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