第14話 ほんとのきもち、です

 音楽にあまり詳しくない私ですが、テレビで何度も目にする名前や、耳にする曲というものはいくつかあります。


 例えば、年末の歌番組に登場する往年の演歌歌手。

 例えば、歌唱力を高く評価され歌姫と呼ばれているアイドル。

 例えば、映画のラストシーンを飾る壮大なテーマソングを歌う世界の歌手。

 聞く人の心を一発で虜にし、広く世の中で愛され続け、歌の技術も専門用語も何ひとつ知らない私のような人間の記憶にだって残り続ける、圧倒的な存在感。


 きっと、空の果てまでだって届く歌声。

 そう感じたのが、スピカちゃんの歌でした。


「うますぎ……」

「え? プロじゃん?」

「お、お手並み拝見とか言っちゃったの恥ずいんですけど」

「すごいノ! かっこいいノ!」


 歌い終わったスピカちゃんに、みんなの称賛の声が浴びせかけられます。

 私はといえば、ただ言葉を失って、ポケーと口を開けたまま指先で小さく拍手するのが精一杯でした。きっと、私がどんな言葉を並べてもこの衝撃は伝えきれません。


 ――私は、本気で音楽をやっていきたいから。


 これが、スピカちゃんの「本気」なんだ。


「えー、見た目超絶美人の? たたずまいも清楚で? 勉強もそこそこにできて? 性格もとっつきやすくて? 笑顔もめっちゃステキで? とどめに歌もガンうまって? どんだけ完璧美少女なん、スピカちゃんはさぁ」

「ちょっ……、あ、あんまりベタ褒めしないで。恥ずかしいじゃない」

「おまけに恥ずかしがってる顔まで可愛い、と」

「奈緒っ! もう……」


 スピカちゃんは顔を赤くしていますが、奈緒ちゃんが列挙した彼女の完璧美少女要素は全て事実です。

 流石は、星のお姫様。持っているものの数が違い過ぎます。


「ほ、ほら次。次の曲、誰も入れてないわよ」


 顔を赤らめたスピカちゃんが、マイクをテーブルの上にそっと置きました。


「しえら、あなたまだ歌ってないんじゃないの?」

「ふぇっ」


 ピンチです。矛先がこちらに向いてしまいました。


「そーそー。順番順番」

「シエラタンの歌も聞きたいノ!」


 あ、あわわわ。どうしよう。


「だ、だめっ、私、その、すごくへたっぴだから!」

「なーに言ってんの、今の聞いた後だったらみんなヘタだって」

「気にしない気にしない」


 どんどん逃げ場が塞がれてしまいます。

 こうなってしまっては、逃げも隠れもできません。

 頭に熱がこもっていくのを感じながら、おっきいリモコンに唯一知ってる歌手の名前を入力していきます。


「だ、大丈夫? しえら。無理だったら……」


 心配してくれる奈緒ちゃんにかろうじて頷き返し、私はリモコンの送信ボタンをタッチしました。


「あ、あの……き、きき緊張しちゃうから、みんなこっち見ないでください。画面の方見てて、ください」


 ほどなくして、流れ出す曲。

 きっと誰もが聞いたことのある、何世代にもわたって色んな人が歌ってきた、いわゆる名曲というやつです。

 お姉ちゃんが大ファンで、私も小さな頃からよく聞いていました。


「おおう。ポーラ以上にレトロだよ……」

「ヘタしたらうちらのパパママも生まれてないぞ、これ」

「ポーラ知ってるノ! SUKIYAKIなノー!」

「……何それ?」


 私に気を遣ってなのか、みんなは画面を見ながら談笑してくれています。その調子。

 あんなに上手だったスピカちゃんの直後に歌うことになるなんて、大ピンチですけど、これなら何とかやり過ごせるかもしれません。

 どうか、何事もなく終わって。

 そう祈りながら私が歌い始めた瞬間、明らかに空気が凍るのがわかりました。



 拷問のような四分弱の時間を終えて、私は無言でマイクを置きました。

 何も言わないみんなが思ってるであろうことが、エスパーのようにはっきりわかります。


「そノ……」

「ユニークだったね」

「個性的だよね」

「味があったよ」

「お願いだからハッキリ下手だったって言ってくださいーっ!」


 ヤケになって叫びながら、メロンソーダを吸い上げます。ずごごごご。もう氷しか残ってません。


「うう……だから、すごくへたっぴだって言ったのに……」

「その、ごめんなさい。私が仕向けたせいよね」


 微妙に目を合わせないまま、スピカちゃんが申し訳なさそうに謝ります。


「あっ、でも、ほら。声はかわいかったわよ!」


 そして、思いついたようにフォローしてくれました。


「むぅ……。ナンパしないで」

「し、してないわよっ⁉」



 空になったグラスを手に、私は半泣きでそそくさと部屋を出ました。


「……やっぱり、私に音楽とか向いてないよ……」


 ネガティブに加速する思考。

 先輩たちやスピカちゃんのように音楽に真剣な「本気」の子たちの中でなんて、ますますやっていける気がしません。


「はぁ……」

「そーんな溜め息ついてるとぉ、幸せが逃げちゃうぞ~?」

「えっ」


 振り返ろうとした私の両肩に、がばーっと体重がかけられます。


「きゃああ⁉」

「にっははーっ、捕まえたーっ!」

「な、奈緒ちゃん⁉ ちょ、ちょっと、こぼれちゃうよっ」


 じゃれるネコちゃんのような奈緒ちゃんアタックから何とか逃れます。

 どうやら、奈緒ちゃんもドリンクを取りに来たみたい。手にしたグラスに残った小さな氷たちが、さらり、どこか寂しそうな音を奏でます。


「……ねー、しえら」

「なに? 奈緒ちゃん」

「今日、無理して連れてきちゃって、ごめんね」


 ……え?

 顔を上げます。奈緒ちゃんは、申し訳なさそうに苦笑いしていました。


「ずーっと緊張して難しい顔してたじゃん? こういうとこ苦手なのに、無理させちゃったかなって……」

「そ、そんなこと!」


 ない、とは言い切れません。歌も、カラオケも、苦手なことは確かだから。


「アタシ、バカだから……自分のことばっかで、しえらの気持ち全然考えてなくって。嫌な思いさせちゃったかな……」

「そんなことないよっ!」


 こっちは、本当。

 奈緒ちゃんのせいで嫌な思いなんて、これっぽっちもしていません。

 でも、どうしたらそれをうまく伝えられるのか、それがわかりませんでした。


「わ、私……友達、本当に少なかったから。今日みたいに、みんなで帰ったり、寄り道したり、ワイワイ遊んだりするの、ずっと憧れてて。だから、嫌なんかじゃないよ。本当に、嬉しかったよ。これは、ほんとのきもち」

「しえら……」

「歌がへたっぴなのは、わ、私のせいだし。カラオケも、苦手だけど、嫌じゃないから」


 必死に言葉を絞り出し終えると、奈緒ちゃんは「……そっか」と小さく呟いてから、がくーっと前のめりに肩を落としました。


「~~~っ、よかったぁ~……」

「えっ、えっ? な、奈緒ちゃん?」


 肩の荷を下ろす、という言葉を全身でオーバーに表現したらこんな動きになるかもしれません。そんな動作のあと、奈緒ちゃんはすいっと顔を上げて、また笑いました。


「こーいうことがきっかけで、音楽、嫌いになっちゃったらどうしようって。不安だったから」

「嫌いになんて、ならないよ?」

「……うん。でもやっぱアタシ、バカだから。こうやって言葉にしてもらわないと、わかんなかったみたい。にはは」


 それは、私の方もです。ちゃんと言葉にしないまま、怖い顔ばっかりしてたから。奈緒ちゃんを不安にさせちゃったんだ。

 言いたいことは、ちゃんと。

 言葉にして伝えなきゃ。


「……あのね、奈緒ちゃん」

「ん? なぁに、しえら」

「私……天音部、入るよ」


 きょとん、とした顔の奈緒ちゃん。

 私はゆっくり言葉を続けます。


「天文だけじゃなくて、軽音の方の活動も毎回見学する。今日みたいに、奈緒ちゃんたちと一緒の時間を過ごしたいから。みんなで星を見たいし、みんなの音楽を聴いていたい。私自身は、歌もへたっぴだし、音楽のセンスもないけど……奈緒ちゃんやスピカちゃん、先輩たちみたいに、音楽が好きで、本気の人たちを、見上げていたい」


 本気で好きなものを見つけて、精一杯キラキラ輝いてる人たち。

 手を伸ばすことにさえも途方に暮れるような遠くから、それでも私はそんな輝きを見つめていたい。


「みんなの本気を、応援したい。センスがなくて音楽がへたっぴでも、そういう形でなら私も音楽を好きになれるかもしれないって、思ったの」


 そう、それはきっと、私にとって。

 星空を見上げることと、同じなんだ。


「……そっか」


 それを聞いた奈緒ちゃんは、嬉しいような寂しいような、そんな複雑な表情を浮かべてから、最後には笑ってくれました。


「それじゃ、明日から改めてよろしくだね、しえら」

「うんっ」


 私も、笑いました。

 よかった。心から笑える。この気持ちは、やっぱりほんとのきもちだ。

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