秘密の姫は男装王子になりたくない

青峰輝楽

第一部

第1話・冗談じゃないわ

「は?! 冗談じゃないわ。お帰り下さい!」




 きっぱりと言い放った言葉に、目の前に跪いた騎士さまは、聞き間違いか、というような表情を浮かべた。親切丁寧に、隣国の標準語で言って差し上げたにも関わらず、だ。




「あの……わたくしの話を、疑っていらっしゃるのでしょうか?」


「べつに。あなたのようなご立派な騎士さまが、私のような小間使いをわざわざ騙しにいらっしゃる理由なんて思い当たりませんもの。きっと真実なのでしょうね」


「え、では、先ほどのお言葉は、わたくしの聞き間違えでしたでしょうか?」


「……。いいえ、では、もう一度言って差し上げますわ。『は?! 冗談じゃないわ。お帰り下さい!』」




 私は苛々して、この物わかりの悪い騎士さまを見下ろす。貴族のような身なりだけど、腰にレイピアではなく大剣を下げているので騎士さまと思われる。物腰や身なりから、位の高い立派な騎士さまだと察せられるけれど、迷惑極まりない。ああ、容姿も整ってらっしゃるから、こんな小間使い娘から拒絶の言葉なんか受けた事がないのかも知れない。


 でも、それがなんだって言うの。私には関係ない。誰かに見つかりでもしたら、私まで、間諜か何かと疑われてしまうかも知れないじゃないの。私は何の陰謀にも関わりたくなんかない。お城暮らしのお務めはそれなりに大変だけど、小さい時から身に付いた生活に、何の不満もなく生きている。いきなり、いないと思ってた父親が隣国の王だなんて言われたって、ああそうですか、もしそれが本当なら、やっぱり今後も会う事はないのでしょう、としか思えない。大体、条件があり得なさ過ぎでしょう。


 とにかく、早く帰って下さい!




―――




 私はリエラ・マース、16歳。トゥルース王国のお城の、大勢の小間使いのうちのひとりに過ぎません。


 周囲の人と違っている所と言えば、この国では珍しい銀の髪。私は赤ん坊の時に、同じ小間使いである養母が金銭と共に何者かに養育を委ねられた、いわば捨て子。隣国では時折貴族なんかがこの色の髪をしているという事から、私はきっと、隣国の貴族が愛人に生ませた子で、行き場もなく誰かに委ねられてこんな所へ放り込まれたのだろう、なんて噂されている。当然、周囲からあまりよく思われてはいない。育ての母さんから愛情を感じた事もない。


 でも、私は好きでこんな風に生まれた訳じゃない。だから、私に嫌がらせをする連中は、前向きにぶっ飛ばしながら生きて来ました。今では、私を遠巻きにしてこそこそ悪口言うだけしか能のない馬鹿どもと、少数の理解者に恵まれて、何も困る事はありません。




 なのに、この、突然夜に私が一人になるのを見計らって登場した、知らない人な騎士さまは、事情さえ話せば、私が大喜びでほいほいついていくとでも思っていたみたい。知らない人についていってはいけない、と習わなかったのだろうか。


 ジークリートと名乗ったこの騎士さまは、水桶を運んでいた私に、突然木陰から姿を現して近づき跪いたので、私はものすごくびっくりして、もう少しで水桶を取り落としてしまうところだった。




「お初にお目にかかります、アークリエラ王女殿下……。わたくしは、ジークリート・ヘルメスと申す者……決して怪しい者ではございません。何もご存知なくお育ちになった貴女さまには俄かに信じ難き事やも知れませんが、どうかわたくしがこれから申す事を、お耳に入れては頂けませんか」




 怪しい者が自分で怪しい者だと言う訳がない。悪いけど、何もかもが滅茶滅茶怪しいです。




「……すみませんが、私はそんな名前ではありません。王女さまがこんな厨房裏にいらっしゃる筈がないではありませんか。申し訳ないけど、人違いされているようですね」


「小間使いのリエラと呼ばれておられるのでしたね。高貴な生まれの御方が何とおいたわしい……」




 どうやら人違いされている訳ではないらしいと悟った私は眉をしかめた。とても面倒くさい事に巻き込まれそうな予感が物凄くしたからだ。この騎士さまのお腰の立派な大剣に刻まれた紋章は、このトゥルース王国のものではない。そして、正規な手続きも踏まずに、身を隠しながら私に近づいて来た……はい、どう考えてもろくな話ではなさそうです。




「あの、私忙しいんです。この桶を厨房に運ばないといけないので。お話をお聞きする事が出来なくて申し訳ありません。では、失礼します」




 少し離れた所に厨房の勝手口があって、まだ何人もの人が出入りしている。面倒くさいので、怪しい人がいますと叫ぼうかなとも思ったけれど、この人は名指しで私に会いに来ているので、私まで色々と事情を聞かれて、場合によっては何かの疑いをかけられる事になるかも知れない。やはり、諦めてさっさと立ち去って頂くのが一番望ましい。




「なんと、王女殿下ともあろう御方がそんな重い水桶を……代わりに持って差し上げたいが、人目に付く訳にもいかず……」


「中身をあなたさまにぶっかけたら軽くなりますわ」




 そしたら、また井戸まで水を汲みにいかないといけないから、出来るだけやりたくはないけど……とは言わなかった。




「……やはり怪しまれているようですね」


「そりゃあそうでしょう。どう見ても怪しすぎます。話を聞いて欲しいなら、せめて使用人の変装でもして来られればよろしかったのに」


「王女殿下をお迎えにあがるというのに、そんな失礼は出来ません」


「だから、私は小間使いであって王女さまではありません! 本当に、この水をぶっかけたら、正気に戻って去って頂けるかしら?」


「わたくしは正気です。そして、大変重要なお話なのです。どうか、少しだけお時間を下さい。悪い話ではありません。ここで押し問答しているよりもその方が早いと思います」




 この時、厨房の方から誰かが、




「リエラー!! なにさぼってんだい! さっさと戻ってきな!」




 と叫んで来た。


 私は溜息をついて、




「ごめんなさーい、転んで桶を落としちゃった! もう一回井戸へ行ってきます!」




 と叫び返す。


 水桶を地面に置き、木陰へ向かう。確かにこの人は、水をぶっかけた位では黙って帰ってくれそうにない、と諦めたのだ。




「あ、ありがとうございます!」




 と騎士さまは嬉しそう。見た目は堂々としているのに、何故だかわんこを連想してしまう。




「貴女さまは確かに、隣国レイアークの第一王女、アークリエラ殿下に間違い御座いません。と申すのは、まずはそのお姿、お声、双子の兄上のアークリオン王太子殿下と、誰もが見まごう生き写し……」




 そう言いかけて、何故か声を詰まらせる。なんなんだ?


 話の真偽はともかく、16歳にもなって、兄と、姿と声が生き写し、と言われるのも何だかとても微妙な気分です。




「そしてその額の聖印……それは、レイアークの王族にしか顕れないものです」


「聖印?! この痣が??」


「痣のように見えますが、貴女さまの真のご身分が知れぬよう、御父君が封印なさっているからです。レイアークに戻れば、封印は解いて頂けます」




 戻れば……って、私は何処にも行くつもりはないんだけど。




「はあ。それで、私が王女さまだとしたら、なんで私はよその国の小間使いとして生きているんです? 私は小間使いの宿舎で、小間使いの養母と二人でずっと暮らしてきて、4~5歳の頃にはもう使い走りをさせられていたのですけど」




 レイアークの出身だと言われる事には、大きな疑念はなかった。だってこの銀の髪から、レイアークの淫らな貴族の(汚らわしい)落胤(母親は貪欲な娼婦設定)だと、散々言われて来たから。別に私はそれでも良かった。私は私だし、殺さずに捨ててくれたおかげで、生きて来られたんだから。


 でも、私が王太子さまの妹だなんて、話がおかし過ぎるでしょう。王太子さまと双子なら、同じ正妃腹の筈なのに、何がどうなったら、隣国の小間使いになるんです?




「事情は話せば長くなりますので道中で。ご両親は、信頼する方に貴女さまをお預けなさったのですが、大切に育てたにも関わらず、幼少の折に病に罹って亡くなったと聞かされておられたのです。しかし、最近になって、この国へ大使として訪問した者が、王太子殿下に瓜二つの貴女さまを見かけた、と言い……色々調べさせて頂きました。何故手違いが起きたのかは不明ですが、貴女さまのご身分に間違いはない……」


「そうですか。私の素性をわざわざこそこそ調べて下さり、危険を冒して伝えに来て下さってありがとうございます。ご用はそれだけですか? ならもう行かないと」




 私は踵を返そうとする。平静なふりをしてたけど、やっぱりすごく混乱してた。


 迎えに来た、と言った。その手をとれば、私は王女さまの暮らしが出来るのか……という誘惑はとても捨てがたいものではある。だけど、私には私の、16年培ってきた人生がある。それを簡単に捨てられはしない。小間使いとして生きて来たのに、いきなり雲の上の存在みたいな王女さまになったって、周囲に馴染んで幸せになれるとはとても思えない。もしも後から、やっぱり間違いだったから帰れ、なんて言われたら、私の人生は異国の地で行き倒れて終わりになってしまう。


 ……それに何より、勝手な事情で捨てておいて、生きてたなら帰って来い、という実の両親の勝手さに頭に来ていた。やっぱり王さまなんて、自分の気分次第で、何でも動かせると思っているのね。でも私は王さまの駒じゃない。一応、育ての母さんだけが私の親だと思って生きて来たのだもの。


 捨て子としての幼い頃の私は、幸せではなかった。蔑む目にいつも怯えていた。それが変わったのは……私の世界が変わって、前向きで楽しいものになったのは、この国の第三王子、エルーゼクス殿下……ゼクスと出会ったから。


 王子さまと小間使い。誰かが聞いても鼻で笑うだろうけれど、私たちは秘密の幼馴染。そして互い同士しか理解者がいない。

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