第19話
家に着くなり、サクラは部屋に直行し、カバンを床に放り投げてベッドに倒れこんだ。普段は部屋着に着替えてからじゃないとベッドに乗ることはないのだが、化粧で布団が汚れようが、そんなことはどうでも良いくらいに、メンタルは氷の刃でズタズタに切り裂かれていた。
こんなはずじゃなかった。
こんな風に喧嘩してバラバラになるなんて、そんなことするために集まったんじゃなかったのに。
日も殆ど落ちかけて、明かりをつけない部屋は薄暗い。そんな暗く重たい部屋の空気に押し潰されてしまいそうだった。
ふいにカバンの中のスマホから通知音が響く。ドキリと心臓が跳ねる。もしかして、モモカやリツだったらなんて言われるだろう、もし今後関わる気がないならブロックなり、着信拒否なりするだろう。だけどメッセージが届くなら前向きに考えてもいいんじゃないだろうか……──なんて考えながら慌てて起き上がり、スマホを引っ張り出してた。
ダサい達磨アイコンに落胆する。名前はカナやんとなっている。ユキトだった。
──リツさんの協力は得られそう?
正直なところ、ユキトと話をする気になんてなれなかったが、最近ろくに連絡も取っていなかったのだ。せめて報告だけはしないといけない。サクラはトロトロと親指を動かして「無理でした」と送り、デスクチェアに座った。それからものの数秒、ユキトから着信がある。
「無理ってどう言うことだよ」
挨拶もままならずに、ユキトは馬鹿みたいに驚いている。電話の奥もざわつき、どうやら外出先らしい。時間的には帰宅途中だろうか。サクラはため息混じりに答えた。
「言葉のまんま。協力得られずってこと。改めて言わせないで」
リツの怖い顔やモモカの泣きそうな顔が勝手に脳裏に浮かんできて、苦虫を噛み潰したように気分も悪くなる。
「えー? ……どうすんの、お前」
「あと、その……モモカともちょっと……喧嘩、というか……その……」
アホ面のユキトを思い浮かべては苛立ちつつも、サクラは喋りたくない口を無理やり動かして話した。
「何してんだよ、サクラ。喧嘩してる場合じゃないだろうがよ……」
「んなこと、わかっとるし!!」
「大きい声出すなって!! 耳痛かったぞ」
電話奥のユキトは困ったように声を張り上げた。サクラはどうにも冷静になれなくて、小さく唸ることしかできなかった。
「ともかくよぅ、早く仲直りしてこいって。オレとお前だけで解決できねえから、モモカちゃんやリツさんを頼ることにしただら?」
ユキトの呆れるほどの正論に、サクラは更にイライラとした。誰が好き好んで喧嘩なんかするものか。
「そんな簡単に言わんでよ。何も知らないくせに」
「どんな喧嘩したんだよ、お前ら」
「なんで、あんたにそんなこと話さなきゃなんないのよ!?」
「んな、お前が知らんくせにとか言うから……」
反射的に声を上げるサクラに、ユキトは電話越しにもごもごと話す。
冷静になってみれば、めちゃくちゃなことを言っているのはサクラ自身だ。いつもなら、怒るのも、非効率なことも、無駄なエネルギーを使うことは嫌いだ。それなのに、今は好き放題に感情的になっている。
「と、とにかくよ……このままじゃ何にもならねーじゃん……」
「……いいよ、どうせモモカもリツも大した情報持ってなさそうだし……」
「いや、情報持ってるか持ってないかじゃねーだろ? オレらが欲しいのは情報じゃなくて、協力者だろ」
やる気のないリツに、就活生でそれどころじゃないモモカを協力者にするなんて、今更無理だ。今日はそれを嫌という程叩き込まれたというのに、何も知らないユキトは無責任に感じる。
サクラは怒りで身体中に力が入り、石像にでもなってしまったように感じた。
「うるさいなぁ……そもそもあんた大して動かないじゃん!! あんたのことやってんのに、なんでわたしがこんな目に合うわけ!?」
噛みつくみたいに叫びながら、冷静な自分が隙間から呟く。最低だ。これはただの八つ当たりだ。ユキトだって忙しい最中、アプラスやブラントのことを調べている。そのくらいわかっているのだけれど、実際に店を探して、リツやモモカに直接会いに行った自分と比べてしまう。サクラにしか出来ないことだから自ずとそうなったのだし、そもそも比べること自体が間違っているというのに。
「オレだって調べとるし!! 現にアプラスのことも……いや、そもそもオレがリツさんやモモカちゃんに頼んだところで上手くいくわけねえだら!! お前でさえ玉砕してんのによ」
「そういうデリカシーないとこ本当ムカつく!!」
「あっ……だから……その、それは……悪かったよ……」
ユキトの声が弱くなる。簡単に出てくる安い謝罪の言葉なんか意味を持たない。ただただサクラの怒りを煽るだけだった。
「もういいよ!! あんたも世界も全部滅べよ!! どうせ、未来なんか腐り切ってんだからさ!!」
呼吸するのに精一杯な中、サクラはユキトを殴り倒す勢いで叫んだ。スマホを耳から離すと、電話の向こうの喧騒だけが僅かに聞こえる。それをボタン一つで切ってやった。ひび割れたホーム画面にはチワワのペロが笑ったような顔をして写っている。
サクラは椅子に座ってスマホを布団に投げ飛ばした。額にじっとりと汗をかいている。
しんと静かになった暗い部屋にはサクラの荒々しい呼吸音だけが虚しく響いていた。そうやって、動けずにいると小さく、気配がノックもなしに入り込む。ドアを数センチ開けて、顔だけ覗かせているのはコハルだった。好奇と不安が入り混じって、神妙な表情をしている。
「おねえ……? どうしたの?」
あまりに大きなサクラの怒声に、流石のコハルも遠慮がちに聞く。いつものマシンガンはどこかに置いてきてしまったみたいだ。
サクラは糸が切れたみたいに疲れ切ってしまって、「あんたことじゃない」と力なく吐き捨てた。それを聞いたコハルは子供っぽく頰を膨らませ、ドアを全開にした。
「心配してやってんのに、おねえ冷たぁい!!」
「あんたの心配なんかいらんし……」
「そんなだからおねえは腐り切ってんだよ、ばーか!!」
心配しに来たはずのコハルは小学生並みの捨て台詞を残して、ドアを強く締めた。慰めに来たというよりもただ単に好奇心だけだったみたいだ。
再び、自室内には静けさが訪れる。かすかにコハルが母に姉の文句を言う声が聞こえてきた。ふいにスマホの通知が鳴り響くが、ユキトでもリツでもモモカでも、その他の水野や広告だろうともう見る気が起きなかった。
サクラは、机に伏せて目を閉じた。
腐り切ったなんて言葉は、何も上手くいかなくて、他人に八つ当たる自分によく似合う。腐り切っているのは世界でも未来でもなくて、サクラ自身なのだ。
「その通りよ、リツ。わたしは、もう一度何者かになりたいんだよ……それが魔法少女だったわけ……」
呟いた言葉は、晩春の生ぬるい空気に溶けて消えた。
リツの言う通り、世界はきっと滅んだりなんかしないで、生きづらいままに続いていく。そんな世界の魔法少女は、結局、過去の夢に過ぎない。夢は現実になんてならないのだから。
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