14. 中央棟

 単発のフォアジョルトでも、壁はベコリと凹み、職員は悲鳴と共に飛び上がった。

 ジョルターが如何に危ない存在かは、研究所に勤める者なら皆、重々と教えられている。

 彼女も例外ではなく、凶暴な毒蜂でも見付けたように、また部屋の隅へ逆戻りした。


「こいつの知り合いの女を連れて、所長は消えた。どこへ行ったかも知らないのか?」

「知りません! 私は単なる補助で――」

「あんまり第四症例者を刺激すんなよ」


 ドンッ。


「ひっ」


 端末の載る机が震動して、転がったボールペンが床に落ちる。

 手で叩くよりも弱かろうが、ジョルトへの恐怖に彼女の肩も震え出した。


「くっ……力が……」


 左手を押さえた潤が白々しい演技で苦悶し、今度は矢知が呆れる番となる。

 学芸会レベルの寸劇にも拘わらず、職員への効果は抜群だった。


「メールが! 緊急時のアドレスを聞いています」

「メールかよ……まあ、いい。それをさっさと教えろ」


 彼女は上着の内ポケットから、名刺大のカードを取り出して矢知に渡した。

 元々は部長が持っていた物で、白紙に英数字の並びだけが印字されている。一般回線を使うものではなく、研究所専用のショートメール用のアドレスだ。


 緊急閉鎖した時はそのことを伝えるように申し付けられたそうだが、専用端末を使おうが今は敵の妨害で通信できない。

 連絡するなら、敷地から出ないといけないだろう。

 カードを汚す血痕は、遺体から抜き取った際に付いたと思われた。


「そんだけビビってるくせに、カードは回収したのか」

「…………」

「そこまでして、所長の命令に従う理由は何だ?」


 矢知と潤の顔を交互に見比べていた彼女も、最後は俯き、観念して口を開く。


「印象を良くしたら、カーネルメンバーに上がれるかもしれない」

「カーネル? なんのことだ」

「上級より上の権限レベルよ。管理職じゃ、部長でも成れなかった」


 この研究所が何れ近い内に閉鎖されるという噂が、上級権限者の中で出回っていたらしい。

 ジョルターの研究拠点を東京に移し、更には世界規模で再編する予定だと言う者もいた。

 そのリスタートに参加出来るのは、今の研究所に勤める一部の人間だけだ。

 選抜作業は表立っては行われなかったが、選ばれた職員へは内密に通知があったはずだと、彼女は主張した。


「よく分からんな。そのカーネルになったら、どうだと?」

「せっかくジョルターの核心をつかめそうなのに。カーネルが分離したら、残るのは地方の雑用係よ。私だって、元は研究職なんだから」

「出世欲か。襲撃されて、目が覚めただろ」

「まさか!」


 ジョルト症例は単なる奇病ではなく、社会を根本から変革する大発見だ。これを以って、人間は次の段階に進む。

 世界が注目するのは当然であり、データを奪おうと画策されるのも予想の範疇である。ここからの研究こそが、いよいよ重要な一歩を歴史に刻むだろう。

 そんな風に熱を帯びて語る彼女へ、矢知は軽くかぶりを振ってみせた。


「演説は結構だがな、所長の思惑は奴しか知らんぞ」

「先見の明がある立派な研究者です。能力の解明まで、もう少しのところまで来てます」

「議論するつもりはない。連絡したきゃ、アドレスは控えとけ。カードは貰う」


 ペーパーレスの管理室には、クリーム色の付箋紙くらいしかメモに使えそうな物は無い。

 床のボールペンを拾った職員は、アドレスを付箋に書き込むと、潤の脇を走って逃げ出した。

 自分たちだけになったところで、潤は肩の力を抜いて矢知をなじる。


「よくやるよ。ジョルトは人に危害を加える、じゃなかったのか」

「そうだ、これと同じだな」


 矢知はベルトに銃を差し込んで固定し、上からポンと叩いて示した。


「人を殺す道具でも、使えるなら使う」

「節操の無い話だ」

「合理的と言え」

「俺の仕事って、この脅迫の手伝いか?」


 首を横に振った矢知は、天井に指を向けた。

 主目的は三階、彼らは階段へ戻り上を目指す。部屋の外で待っていた岩見津も、またその後ろに続いた。

 職員を尋問する一連の遣り取りは彼も見ており、前を行く二人にも聞こえるように感想を吐く。


「どっちもどっちだよ。無茶苦茶さは、似た者同士じゃないのか」


 一瞬振り返った二つの顔は、どちらもその意見には賛成しかねる様子だった。





 三階にも強化ガラス製のセキュリティドアは在ったが、やはり見事に砕けている。

 廊下にはメインサーバー室やデータ保管室が並び、どの部屋もロックが潰され、侵入した形跡があった。

 三人の行き先は最奥で、こちらの扉はまだ無事だ。

 潤はドアに嵌まるプレートを読み上げる。


「所長室、か。なるほどね」

「これを開けるのが仕事だ」

「じゃあ、切断すりゃいいんだな?」

「ハッシュジョルトは使うな」


 隣の家に、ロケットで移動する者はいない。

 衝撃切断は禁忌の能力で、余程の事態でない限り使用するなと念を押される。


「大体、ここで発動したら、床が抜けて落下するぞ。ジョルト球が小さければ、お前の手足がちぎれる」

「どっちにしろ、屋内では使いづらいわけか」


 となると、扉を吹き飛ばすには相当に強い衝撃が必要だ。

 第四症例者なのだから、バックジョルトは最早簡単だろうと矢知は言う。

 ドアの前に潤を残して、彼と岩見津は廊下を半ばまで後退し、膝を突いてジョルトに備えた。


 これまで潤が自分の意思で発動したのは、フォアジョルトとハッシュジョルトの二種類。

 実のところ、自動発動以外でのバックジョルトは未経験である。

 粘着液に絡め取られた時、敵のジョルトに晒された時、二度あった機会を思い返す。


 ――大ピンチが発動条件、なのかな。


 矢知が軽く考えたバックジョルトの使用に、潤は意外と手間取った。

 力を篭めれば衝撃波が出る。更に力を高めると、ハッシュジョルトに成長した。

 バックジョルトは、その中間なのだろうが、どうも方向性が違うように感じられる。

 ドアに右手を添えた彼は、その姿勢で自分が危機に陥ったと仮定してみた。


 ――体は拘束されて動けず、敵は武器を向けている。絶体絶命の状況だ。さあ、どうする?


 優先するのは攻撃ではなく、逃げ出すこと。ジョルトで窮地を吹き飛ばすことである。

 敵を、今の場合なら眼前の扉を凹ませても、根本的な解決には遠い。

 自分を包む全ての事物へ、漏れなく干渉する。

 身を縛る鎖から自分を切り離す・・・・、この意識の変化がバックジョルトへの第一歩だった。

 手を下ろした潤はまぶたを閉じて、己が内在する力へ改めて向き合う。


 ――力の中心は自分。……ああ、分かった。放つんじゃない、俺自身がジョルトだ。


 連続する二重の衝撃波が、彼の周囲の壁をえぐり、天井に亀裂を入れ、タイルの破片を矢知たちの居る場所にまで飛ばした。

 正にミサイルでも撃ち込んだような劇甚な爆発で、所長室の扉も中程でくの次に折れ曲がる。

 予想を超えた威力に、潤が振り向いて呼ぶまで、矢知は待機姿勢のまま動かなかった。

 ジョルトを至近で浴びたくなければ、当然の警戒だろう。

 所長室まで近付いた彼の口からは、潤へのねぎらいより先に不安が滲み出た。


「やっぱり拘束するべきか、悩みどころだな」

「そりゃないぜ。言われた通りやっただけじゃん」

「重火器でも対抗できんだろ、これじゃ」


 いくら促進剤を打ったからと言って、この段階でも平然と喋れるなんて――これは岩見津の呟きだ。

 彼は矢知の後ろに張り付き、コバンザメと化して移動している。

 よっぽど適性が高いのだろうと感心するのには、矢知も同意して頷いた。


「何か理由があるのかもな。単なる強運かもしれんが」

「運はまあ、いい方だったよ。この街に来るまではね」


 会話はこれくらいにして、矢知が曲がったドアを蹴り込むと、フレームから外れて内側へ倒れた。

 中に入った三人は、彼の指示で家捜しに取り掛かる。


 机に置かれたコンピューターは本来なら機密の塊なのだろうが、荻坂が情報を残したままにしておくとも思えなかった。

 何れにせよ、パスワードも知らずに調べられる代物ではなく、彼らは引き出しや書類棚の中を引っ掻き回す。


 紙の書類は処分されてしまったのか、それとも最初からそんな物は存在しないのか、プリント一枚たりとも見当たらない。

 在るのは医学、理化学系の研究書や、近年の論文が載る専門誌、機器の操作法の記されたマニュアルといったところだ。


「パーキングチケット、伝票、何だっていい、所長と繋がる場所の手掛かりを探せ。ごみ箱も見ろよ、買い物したレシートとか無いか?」

「空っぽだね。電話の通話記録とかは?」


 ごみ箱をひっくり返しつつ、机の端に在る固定電話を潤が指した。

 矢知は受話器を取り、リダイヤルを押してみたものの、単調な電子音が返って来る。


「しっかりしてやがる、履歴は消去済みだ」


 荻坂が座っていたであろう席に腰掛け、矢知はデスクの引き出しを順に開けていった。

 こちらもほぼからで、筆記具と白紙のメモ帳くらいしか入っていない。

 メモ帳に顔を近付けた矢知は、一番上の紙に凹凸が無いかを確かめる。

 表面は新品同様に平滑で、有意な痕跡は皆無だった。


 最下段の深い引き出しには、大量のクリアファイルが入っており、矢知が束で掴み上げて机に広げる。

 透明のファイルには、やはり中身が無く、彼は苛立ち紛れに床へ払い退けた。


「研究所から撤収するのは、とっくに規定路線だったみたいだな。スッカラカンじゃねえか」


 バラ撒かれたファイルの一つを岩見津が拾い上げ、無地の表裏を確認する。

 彼へ向かって、矢知が文句を続けた。


「クリアファイルには、何か挟んでたはずだろ。捨てたのは今朝じゃねえ、もっと前に――」

「クリアファイルじゃないです」

「ああ?」

「カルテケースです、カルテを挟むために使う。ほら、色タブが付いてるでしょ」

「何だって一緒だろ」


 カルテケースには、その縁に小さなタブが突き出ている。マジックで色付けされており、元はここも透明だったようだ。

 ケースを拾い集めた岩見津は、タブの向きを揃えて机の上に重ね始めた。

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