52. ヒトの感情の正体に迫る! 前編

 感情を描くことは、面白い物語には欠かせません。

 紀元前からこの形を為さない「感情とは何か」について、多くの偉人・学者・芸術家が考察を幾星霜にわたって重ねてきました。


 みんな大好きフロイトさんの精神分析をはじめとして、哲学、宗教――ジャンルによって答えも様々です。

 今回このコラムではそれらの内、生理学や医学――つまりは科学的に、ヒト(霊長類などの動物)の感情はどのように発生するのか。


 ・偏桃体(と前頭葉)

 ・自律神経

 ・ホルモン(と神経伝達物質)


 この3つのカテゴリーに着目して、考えてみたいと思います。


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■ 長い文章が苦手な方向け 5行でまとめた解説 ■


・見聞きしたものを偏桃体が瞬時に、快・不快の2つに分類するよ

・前頭葉がコントロールして、感情の表出を完成させるよ

・不快の判定が出たら、自律神経の交感神経が活発に、イライラ・不安が生じるよ

・快の判定が出たら、自律神経の副交感神経が活発に、癒しが生じるよ

・オキシトシン、ドーパミン、エンドルフィンといったホルモンや神経伝達物質が、さらに感情を変化させるよ


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■エントリーNo1. 偏桃体


 ヒトに感情が生じる最初のステップ――。

 それを、大脳の内側にある左右の『偏桃体』が司っているとされています。


 偏桃体の位置は、だいたい目の高さ。

 側頭葉(大脳の側面部分)の奥にあるアーモンドの形をした、神経細胞の塊です。


 偏桃体の役割は、目にしたこと、耳にしたこと――視覚・聴覚・嗅覚といった知覚情報を即座に『快』『不快』のどちらかに振り分けることだと考えられています。


 例えば、ヒトがヒトを目撃した場合――

 約0.5秒で『快』な存在か、『不快』な存在か、第一印象を判定します。この超高速の秘密は『偏桃体』の近くにある『海馬』の存在です。


 『海馬』は記憶の出入口にあたり、この海馬を通じて『偏桃体』は脳に蓄えられた過去の記憶とアクセス。今見聞きしたものが、


 「知っている存在か?」

 「知っているとしたら安全な存在か?」

 「危険な存在か?」


 などと、瞬時に分析。『快』『不快』の印象を即決します。

 (なぜ、『快』『不快』の2パターンかは、後で説明します)


 もし、かつて「モヒカン男に乱暴された」という記憶があり、目の前に現れたのがモヒカン男だとすれば、『不快』の感情が発生。


 甘くて美味しいショートケーキを食べたことがある子供は、次にはショートケーキの写真を見ただけで『快』の感情が発生することになるでしょう。


 過去の記憶を参考にして、偏桃体が『快』か『不快』かを判断する。

 つまり感情とは、過去との比較、記憶や経験がベースであることになります。(※1)



■エントリーNo2. 前頭葉


 『偏桃体』は、記憶にアクセスして、快・不快を判定するわけですが。

 どうして、ここまで素早く対応しなければならないのでしょうか?


 それは、野生の世界を生き抜くための、動物としての生存戦略だから。

 弱肉強食の世界を生き抜くには、敵であればすぐに備える。

 エサや水場を独占するために、誰よりも先に駆けつける。


 即決で行動に移すために、『偏桃体』は快・不快というシンプルな2択で振り分けているわけです。(※3)


 が、しかし、なんでもかんでもずっと快・不快のみ判断するのも考え物。

 いくら「かつてモヒカン男に乱暴された」記憶があるからと言って、モヒカン男であれば誰彼構わず、「イヤな顔をする」「不快な相手なので臨戦態勢を取る」みたいな反応をしていれば、それこそトラブルになりかねません。

 今や人類は、野生から離れ、集団生活を営んでいるわけですからね。


 そこで登場するのが前頭葉。


 前頭葉は、いわば脳の司令官。

 その名の通り大脳の一番前方にある部位で、脳に集められた情報の統合をして、「感情」「記憶」をはじめとするあらゆる決断・判断をコントロールしています。(※4)


 偏桃体が下した快・不快の反応にも、前頭葉は関与。

 前頭葉のうち特に前頭前野が、『偏桃体』と直接アクセスし――衝動的に行動を起こさないよう監視、セーブを行っています。(※5)


●前頭葉は性格を司っている


 このように偏桃体の保護者的な役割をしている、前頭葉ですが。

 その役割はもっと広く、ヒトの人格面そのものを形作っていると類推されています。


 交通事故などで前頭葉が大きなダメージを受けると、ヒトの性格が変容したり、感情の抑制が効かなったりすることがその証拠です。


 また認知症患者の25人に1人が患うという「前頭側頭葉型」認知症。

 この認知症は、脳の前頭葉の萎縮から始まるのが特徴なのですが、物忘れはさほど激しくないものの、「人格の変容」がとみに発生。

 脱抑制、感情失禁(泣いたり怒ったりしてはいけない場面で、感情が爆発してしまうこと)といった症状も目立ちます。(※6)


 感情の最初の一歩を作るのは『偏桃体』ですが。

 しかし、最終形を形作るリーダーは、『前頭葉』なわけです。


 そのほか、前頭葉の機能が低下すると、注意力や記憶力、遂行機能(※7)といった人間らしい高度な能力が、障害されます。

 前頭葉はまさに、ヒトがヒトらしく考えるための脳のリーダーなのです。


●なぜ暗い人、明るい人がいるのか?


 感情といえば、常にはつらつとして楽観的な「明るい人」。

 あるいは反対に、気落ちしやすい「暗い人」がいます。

 なぜ、同じ人間なのに差が生まれるのでしょうか?


 色々な原因はあるとは思いますが。

 その一因に、今回ご紹介した、前頭葉と偏桃体がキーである可能性があります。


 ここからは医学の定説ではなく、そういう論文が幾つかあるよ~という信憑性で見てほしいのですが。


 ・偏桃体-前頭葉の神経回路には「可塑性」があるらしい

 ・快の刺激を受けた時と、不快の刺激を受けたときで反応する部位が違うらしい


 ということが影響しているのです。


 はて、可塑性とはなんぞ?


 可塑性については、このコラムの第38回

『38. 人間の感覚小全集 - いわゆる触覚とは? -』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888998169/episodes/16816452219481293169


 で、触れましたが。

 脳を含む神経には学習能力があります。


 指先を毎日使うような仕事をしていると、どんどん指先の感覚が研ぎ澄まされ、細かな作業ができるようになりますよね?


 このように神経は、刺激されれば刺激するほど、その刺激に対して敏感になる。

 小さな刺激にも反応するようになります。


 この神経の性質を、感作もしくは可塑性と呼びます。(※8)


 この可塑性はなにも触覚だけなく、脳細胞同士の情報伝達にも生じます。

 つまり、『偏桃体』が不快の刺激ばかりを受け取っていると、不快に対する感度が上がってしまう。不快感をおぼえやすくなるわけです。


 すぐ、不安がり、憤りの感情がわきやすくなる。


 また、快の判定を行った時と、不快の判定を行った時とで。

 反応する脳神経の部位が、前頭葉内でも微妙に異なるらしいのです。


 すなわち、快刺激を受け取れば、快刺激を司る部位が。

 不快な刺激を受け取れば、不快さを司る部位が。別々に感作を起こす。

 快と不快は、別の区分で敏感になる。


 脳が『快』を感じやすくなった人。

 脳が『不快』を感じやすくなった人。

 どっちの刺激にも敏感な人。

 その逆の人。


 色々な脳の学習を行ったヒトが生まれる可能性があるわけですね。



(※1)

 言い換えれば、事前に見聞きしていた情報(例:●●さんは女性関係にだらしがない)によって、その人の第一印象すら変わってしまう場合があります。

 このように先に得ていた情報が、後に受ける情報の印象に影響することを、プライミング効果といいます。(※2)


(※2)

 だから、それが真実かどうかは関係なく、安易に他人のネガティブな噂を流しちゃいけないのよ。


(※3)

 快・不快はもっとも原始的な感情であり、生まれたばかりの赤ちゃんに最初に芽生える感情も、快・不快の2種類であるとされています。


(※4)

 言い換えれば、前頭葉は衝動をセーブする「理性」を司っていると考えられます。


(※5)

 特に、前頭前野の中でも眼窩前頭皮質あたりが関与しているという研究があります。


(※6)

 認知症でなくとも、年を取ると感情のコントロールが難しくなるといいます。

 これも、前頭葉の機能の低下が原因。偏桃体から生じた元々の感情がセーブできなくなるということで、「人格の先鋭化」と呼ばれます。

 人が変わったように見えるけど、前頭葉の働きでこれまで隠されていた、原始的な気質が表に現れやすくなっただけという形ですね。


(※7) 遂行機能

 物事を効率よく進めるために計画をする能力のこと。


(※8) 感作、可塑性

 厳密にいうと、「刺激を受けた後、同じ刺激に反応しやすくなる」のが感作。

 ↑の性質の変化が神経に記憶され、長期間保持されることを、神経の可塑性といいます。

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