ヒチコックは敵を追い詰める

第128話 ヒチコック、江戸の町を走る


「ヒチコックさん、その猫山って用心棒が、本当に辻斬りの下手人なんでしょうね?」

 同心の田中様は、疑わし気にヒチコックのことを見下ろす。

「間違いないですって」

 ヒチコックは強く主張するが、田中様の蟻んこみたいな顔は不機嫌なまま。


 源さんの話を聞いたヒチコックは、その足で源さんをつれて、田中様が詰めている番所へ直行した。チコは外につないである。田中様は犬が嫌いらしく、それが不機嫌の理由のひとつでもあるのだが。


「たしかにそういう風体のご浪人は、大黒屋様のお屋敷にいましたぜ」

 大人の源さんが口添えしてくれて、やっと聞く耳をもってくれる。


「黒の羽二重に黒袴。銀の髑髏の印籠。それに間違いないですか?」

 もう一度確認する田中様。

「へい。たしかに。銀の髑髏の印籠なんて、そうそうあるもんじゃねえから、間違えようがありませんよ」

 はっきり証言してくれる源さんに、そこまで聞いてからやっと田中様は懐から人相書きを取り出して見せた。辻斬りの手配書である。


「あ、そんなもんがあったんですか!」

 ヒチコックには渡されてなかった捜査資料である。

「ずっるーい」


 が、見せられた人相書きを見て、源さんの表情がこわばった。

「あ、この男です。まちがいねえや。こいつが猫山又右衛門ですよ」


 田中様は真剣な表情でうなずいた。

「よし。与力の鈴木様に連絡しよう。いまから捕り方を率いて、大黒屋の屋敷に乗り込む。ヒチコックさん、あなたもお情けで御用改めの末席に加えてあげますからね」

「えー、末席ですかー。あたしが犯人見つけたのに」

「個人プレーは禁止といったはずですよ。町方はチームワークで下手人を捕縛するんですから。今回の勝手な行動は、特別にゆるしてあげます。では、さっそく行きましょう!」

「ぶー」

 一応抗議の声はあげておいたが、辻斬りを捕まえられるなら、それで十分だ。

 ヒチコックはこっそりクエスト・ボードを確認しておく。


『江戸に巣食う妖怪どもを退治せよ』


 クエストの内容に変化はなかった。でも、これで正しい道を進んでいるはずだった。



 そこからヒチコックは、田中様について江戸の町を走ることになった。神田から走って大手門をこえ、大名小路にある南町奉行所へ。

「遠いっすね」

「仕方ないでしょ。ああ、わたしだけ馬に乗れば良かった」

「それ、あたしも一緒に乗せてもらいたかったっす」

「いや、もう、すぐそこだから」


 息を切らせて南町奉行所へ駆け込み、ヒチコックは控え小部屋で待たされる。その間に田中様が与力の鈴木様に報告し、鈴木様の判断で捕り方が編成された。その人数、じつに二十人。

 それぞれが浪人との戦闘を予想して、襷掛けに鉢巻をしめ、手には刺股さすまた袖搦そでがらみ突棒つくぼうを持っている。竹の梯子を持っている人もいた。


 与力の鈴木様は、馬に跨り、漆塗りの陣笠をかぶって、まるで合戦でもするみたいな意気込み。鞭を振るい、部下たちに命じて、大黒屋の屋敷へと進撃を開始した。

 鈴木様は馬。捕り方は駆け足。そのあとから、ヒチコックと、結局捕り方には入れてもらえない田中様も駆け足。


「また走るんすか」

「同心は下級役人ですからね。こんなもんです」

 と変なあきらめをみせる田中様。

「あとでわたしから、報奨金をヒチコックさんには出しておきますよ」

「わーい、やったー」



 捕り方集団は、表通りを走り、そのまま大店おおだなである大黒屋の正面に到着した。

 大黒屋は大きな店であるため、その一区画がすべて店。ぐるりと回ると、脇がお屋敷なのだが、それだって大名屋敷といってもいい大きさである。


 店先に整列した捕り方に驚いた店の番頭が血相変えて出てくる。そこへ居丈高に要件をつげる鈴木様。

「大黒屋はどこじゃ。おぬしどもが世間を騒がす辻斬りを匿っているということ、すでに調べがついておる。そっこく大黒屋を出せぃ」

「はっ、主人はいま屋敷の方に来客中で……」

「かまわん、案内あない致せぃ」


 番頭の案内で、馬のまま脇の屋敷の表門に回った鈴木様は、下馬せずに門内に入ると、建物のまえでやっと馬から下りる。

 そして、大きな構えの玄関から大声で大黒屋を呼ばわった。


「大黒屋、おるか! 御用改めである!」

 返事を待たずに土足で踏み込もうとする鈴木様のまえに、きらきら光るような正絹の羽織姿の男が現れた。

 ヒチコックは彼の姿を見ようと、捕り方のうしろから背伸びする。

「これはこれは、鈴木様。本日はどのような御用で」

 出てきた男、大黒屋は坊主頭の年老いた男。老人といっても良かった。

 だが、背筋は伸び、眼光は鋭い。迫力が凄くて、鈴木様が小者に見える。


「大黒屋。おぬしがこの屋敷に辻斬りを匿っていること、すでに調べがついておる。神妙にいたせ」

 鈴木様が裏返った声で必死に叫ぶが、大黒屋はどこ吹く風。

「いったい何の証拠があって、そのようなことを」

「証人がおる。おぬしが飼っておる用心棒が辻斬りであると、証言を得たのだ」

「と、申されましても。申し訳ありませんが、ただいま、来客中でございまして。その件はまた後日、改めて、ということにしてはいただけないでしょうか」

「笑止。おかみの御用改めに、後日などあろうか、神妙に──」

「どうした、大黒屋」


 玄関に置かれた屏風の向こうから、別の声がして、家紋の入った肩の尖った着物──かみしもというらしい──をきた男が出てきた。

 その男の顔を見、裃の家紋を確認した鈴木様は、とたんに黙った。そして、突然、「ははーっ!」と叫んで、その場に膝をつき、額を地面にこすりつけるようにして土下座した。

 鈴木様の背後に控えた捕り方たちも、一瞬のうちに膝をついて土下座する。


「やべえ」

 田中様がヒチコックの隣でちいさくつぶやき、ヒチコックの襟首を摑んで、その場にひれ伏す。無理やり地面に這いつくばらされたヒチコックは、田中様の隣で地面にひっくり返りながら、「どうしたんですか?」と小声でたずねる。


「ありゃあ、大目付の巫蠱神ふこがみ劍禅けんぜん様だ。あのお方は、上様の剣術指南役でもありなさる。日の本一の剣鬼。お江戸最強の剣客ですよ」


 言われて相手を盗み見たヒチコックは、背筋がぞっと寒くなった。


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