第26話 二重の約束



「ん……」


 再びエースが目を開けた時。


 そこは、夢の中で見た夢──すなわち現実と全く同じ森の中だった。辺りはまだ暗闇に染まったままであり、ぼんやりと目を開けても何も分からない状況。夢にくっきりと見たはずの情報が、何故か曖昧になっているようだ。


「フォンバレンくん!!」


 そんな何も分からないエースのことを、フローラが勢いよく抱きしめた。そのものの感触は柔らかで軽くとも、受け止めると不思議な重みがあった。


「スプリンコートさん……?」


「よかった……本当によかった……」


 フローラは、エースを抱きしめながら泣いているだけだった。身体に少しの違和感が残っていることにも、現状が全く理解できていないことにも理解の及ばないエースは、ただただ彼女を抱きしめ返すことしか出来なかった。


「えーと……」


 そんな現状を打破すべく、戸惑いを隠せないまま開いた口から出て来た言葉は、困惑を示すのには分かりやすく短かった。


「人をあれだけ泣かせておいて、出て来た言葉はそれだけなのね」


 声が聞こえて来た方向を向くと、そこにはセレシアがやや呆れ気味な態度でいた。もちろん、エースには全く事情が呑み込めていないので、その言葉をすべて理解できるわけがなく半自動的に聞き返す。


「泣いてたって……プラントリナさんが?」


「違う。フローラが。泣いたり血を吐いたりしながらあなたを治療したんだからね。傷も、魔力も、全部フローラのおかげ。感謝しなさいよね」


 そう言われてみれば、先ほどよりもやや身体が軽いような感覚をエースは感じていた。同じように先ほどまで存在していた、魔力が空に近いときの変な倦怠感もない。


 それらをキチンと認識した後で、セレシアの言葉をようやく理解した。思い出した、と言い換えてもいいかもしれない。


 身体に鞭打ってこの場所までたどり着いたこと、ここでフォーティスと一戦交えたこと、自分が一方的にやられていたのを見かねたのかフローラが飛び出してきたこと、そのフローラをかばうために反射の如く動いた自分が攻撃を受けたこと。


 だからこうして自分は意識を失くしていたことを、エースは今更ながら思い出した。


 そして同時に、ある事実に気づいた。


 それは、魔力の譲渡はある特別な条件がある場合を除き、基本的には口移しでしか出来ない、ということだ。つまり、自分の意識がない間に、フローラの唇と自分の唇が触れた、ということになる。


 その事実を認識した途端、エースは頬を少し赤くした。もしかしたらファーストキスを、どうしようもない自分のために使わせてしまったかもしれない。仮にそれを差し出そうとしていた相手が同じ自分だったとしても、意識のある時の方がよかったな、と思ってしまう。未だ自分を抱きしめたまま泣いているフローラには申し訳ないような、そんな考えだった。


 だが、それも含めてこの現状を構成するすべての原因が自分にある。責めるのならば、その対象は自分にない。


 自分があの時きちんと頭の中を整理出来ていれば、セレシアやミストに戦わせることも、今のようにフローラが泣くことも、全員が傷つくこともなかったのだ。


 世界を流れる時の中から切り取った少しの時間。その中に詰め込まれた自分の無力さが起こしたすべてを、エースは今ここで再び痛感させられていた。


「全部、俺なんだな」


 そうしてこぼれ出ただけの独り言は、周りが静かすぎて独り言にならなかった。


「今起きてることは、全部俺のせい。全部、俺のミスから起きたんだ」


「フォンバレンくん……?」


 腕の中から一度離れ、同じ高さの目線を向けるフローラには一切視線を向けずに、エースは自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。先ほど違うのは、今度は自らを奮い立たせるための言葉だという点だ。償いという欲と、自分が助けたいという欲が、頭の中を回り始める。


「この過ちを償わないといけない。だからもう1回だけ、俺は戦いに行かなくちゃいけないんだ。ダメかな」


 ここで仮に引き留められても、エースは行くつもりだった。それでも最後に聞いたのは、助けてもらいながらまた死に近づこうとする自分に、フローラがどう反応するのかが知りたかったからだ。



 ところが、そこで反応したのは、フローラではなくセレシアだった。


 エースの方に近づいてくるなり、右手でエースの頬を叩く。ぴしゃりと甲高い音が、少しだけ余韻を残す。


「セレシア!?」


「君ね、人が命賭けて助けたのに、それでもまだ死にに行くつもりなの!? ふざけないで!」


 いつものセレシアからは考えられないほど真剣な目でまくしたてられ、エースは思わずたじろいでしまう。驚きで声を挙げたフローラはセレシアに向けて何か言いたそうだが、ここまで怒りに満ちた姉の姿に対してはまごつくことしか出来ないようであった。


「大切な人がまた遠くに行っちゃうかもしれない不安は、フォンバレンくんが一番分かってるはずよ!? なんでそんなに簡単に行こうと出来るの!? そんなことするなら、フローラが命賭けた意味がなくなるじゃない!」


 エースにもセレシアの言い分は理解できる。傷の治癒以前の魔力の譲渡だけで、フローラはほとんどの魔力を使い果たしているはずだ。その状態で重傷であった自分の治療を施したということは、もうすでに限界を超えているのだろう。そこまで頑張って自分を現世まで呼び戻したのに、それでもまた戦場に赴こうとするエースの行いは、怒られて当然だ。


「フローラの想いを聞いたんじゃなかったの!? 受け取ったんじゃなかったの!? フォンバレンくんは、今はあなたが抱えているものをちゃんと理解してるの!?」


 喉元に突きつけられた切っ先のように鋭利な、セレシアの最後の一言。夢の中でも痛感していた自らの自分への無知を、ここで再確認させられる。


 そして再び湧き上がる後悔。自分の喉元まで急激に来たそれを、あふれださないようにと、エースは少しずつ言葉にしていく。


「本当に理解してたなら、こうなることはなかったんだ」


 エースの静かで重みを増した言葉に、一方的にヒートアップしていたセレシアの表情から熱が消え、フローラもその言葉に耳を傾ける。言葉に引きずられて静かになった空間で、エースが自分の想いを口にする。


「本音に触れれば心が苦しくなるから、本音を嘘で塗り固めて心を守ってた。でもそうやって臆病であり続けたことで、一度は最悪の結末すら迎えそうになった。俺の臆病さが他人を巻き込んで、傷つけた」


 他人に伝えるよりもどちらかと自分に言い聞かせるために、エースは偽りのない言葉を口にする。夢の中で作った傷跡を抉るような行為ではあるが、もうそんなことはエースにとってどうでもよかった。


「この命が救われたものだってことは十分分かってる。けど、これ以上臆病になって、そのせいで大切な何かを失うことはもうしたくないし、しちゃいけない」


 エースが見たいのは、自分の持っているものを何一つ失うことなく迎えた、素敵な未来。そのためには、今も戦っているミストも、最初に追いかけてボロボロになったセレシアも、傷の治療で限界を迎えたフローラも、失ってはいけない。


 何か1つ失った瞬間に、エースにとってのこの世界の価値が欠落していくのだから。


「頼む。大切なもの全部を守るために、行かせてくれ」


 真剣な目と言葉で、セレシアに訴えかけるエース。言葉には、夢の中で語った思いが凝縮されていた。


 両者の視線は数秒間ぶつかりあったままだったが、やがてセレシアが視線を逸らすと、ため息を吐いた後にこう言った。


「そこまで言うんだったら、行けばいい。行って、全部終わらせてくればいい」


「プラントリナさん……」


「でもその代わり、絶対に帰って来て。フローラのために生きて帰って来て。もし死んだら、あの世で震えて待ってなさい。恨みつらみをずっと聞かせてやるわ」


「分かったよ」


 短い了承の言葉で、セレシアの重い言葉を受け止める。平謝りしてもしきれないような大きな恩を買わされた気がしたが、やむを得ないだろう。それだけのことを、セレシアからもしてもらった自覚はある。


「フローラも何か言いたいことはある?」


「ない……って言いたかったんだけど、1つだけ出来ちゃった」


 むしろセレシアの問いかけに答えたフローラのその言葉で、エースの背筋は伸びた。普段は怒る姿を絶対に見られない分だけ、余計にその口から放たれる言葉が怖い。


「フォンバレンくん、多分私には君を止める権利はないんだと思う。だからってわけじゃないんだけど……私と約束してほしいな」


 フローラは怒ることはせず、真剣な眼差しを自分に向けてきた。至近距離からのそれに、エースは思わず固唾を飲み込む。


 すると、フローラが自身のトレードマークでもあるリボン付きのカチューシャを外し、さらにそのリボンを片方解いて目の前に差し出した。エースはその意味を問うように、リボンに向いた視線をフローラへと戻した。


「このリボンをお守りの代わりにフォンバレンくんに貸してあげる。だから必ず、こうやって手渡しで私に返しに来てね」


 フローラから受け取ったリボンは、とても重たかった。


 その理由は、エースも分かっていた。このリボンがついていたカチューシャはセレシアからの贈り物であり、フローラが非常に大事にしていることをエースも知っているからだ。


 そのカチューシャのリボンを外してお守り代わりに自分に渡すということが、どれだけ重みのある行為なのか。


 それを手渡しで返す、という願いが何を意味するのか。


 今のエースは、十分に分かっていた。


 だが分かっていても、エースの中には一抹の不安が過り、そして消えない。吐き出した後悔の残り香が、自分の持つ臆病さのせいでまた居座ろうとする。


 だからエースは、振り払うための勇気を言葉に乗せ始めた。


「今の流れでこんなことを言うのは、変かもしれない。だけど、もう後悔したくないから、言わせてほしい」


 夢の中では言えたのに、まだ現実では伝えていなかったあの言葉。二度と後悔しないために、残り一歩分の距離に込めて吐き出す。


「フローラ、大好きだよ」


 始めて呼んだ名前も、伝えたかった一言も、言った自分が驚くほどすんなりと口に出来た。


 自分と違って驚きを顔に出しているフローラを見たままで、エースは自分の願いを言葉にする。


「俺はこの先、何度だってこの言葉を言いたいから」


 命の終焉を迎えようとしたエースに、心からの願いを伝える機会を、この先の未来を与えてくれた少女。


 彼女に対してエースが今、出来るのは──


「約束する。必ず、君のところに戻るって」


「うん、待ってる」


 涙を見せながらも微笑むフローラの返事を聞いた後、エースは立ち上がって森の中へと走り出した。


 背中に向けられる視線には、どんな意味が込められているのか……そのすべてを理解したつもりではいるが、あくまでもつもりだ。本当のところは、もちろんエースには分からない。分からなくとも、やるべきことは変わらない。


 心にしっかりと刻まれた、世界に疎まれても叶えたい願いと、互いに交わした確かな約束。それらを叶え、果たした未来を迎えるために。


 エースは三度、戦場へと戻っていく。



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