第15話【愛しき愚妹と完全なる遊戯を】

 ――誰も知らない話をしよう。


 かつて、とある王国は天魔の手によって滅ぼされた。愛すべき民も、愛すべき兵士も、そして愛すべき家族すらも何もかも。

 最後に残ったのは、とある王国を統治していた国王陛下だった。彼は自らをかばって死に絶えた女王陛下の亡骸を掻き抱き、玉座を寄越せとのたまった天魔に向かって契約を申し入れた。天魔はその契約を笑い飛ばし、そして受け入れた。

 ただし、


「目覚めた我が愛しき家族は、変わってしまった」


 酷なことに、さながらそれは操り人形の如く。

 世界中の何よりも愛しい家族は、国王陛下が天魔と結んだ契約の暁に得た異能力によって操られる傀儡くぐつと成り果てた。虚ろな瞳を投げかけて、空虚な笑みを向けて、冷たい手で国王陛下を撫でた。


「違う、違う、違う。こんなの家族ではない。こんなこと、我輩は望まない」


 でも異能力を途切れさせてしまえば、家族はそれまでだ。

 自我のない愛しき妻を、愛しき娘を前にして、絶望に打ちひしがれた国王陛下は思いつく。

 それは最悪の選択かもしれない。常識的な人間が聞けば、まず間違いなく頭の中身を疑われるような。

 それでも、異能力を手に入れた国王陛下は家族に生きていてほしかった。生きることができるのであれば、たとえ記憶を失ったとしても。


「【豊穣乙女ホウジョウオトメ】【雷帝ライテイ】【屋敷守ヤシキモリ】【鍛冶神カジシン】【自己天使ジコテンシ】」


 粒揃いの天魔を従えて、群衆操作で操るままに妻と娘たちに契約させた。

 まっさらな状態で生まれたままの彼女たちを前に、国王陛下は泣きたくなる感情をこらえて言い放つ。


「我が名はキング・チェイズ、我が愛すべき臣民を擁する楽園『タスマン』を統治する国王である。我が愛しき愚妹ども、我が国を守るべく尽力してくれまいか」


 今までの操り人形である彼女たちは、もういない。

 これからの彼女たちは、形こそ崩れてしまったがキング・チェイズと自らを偽った国王陛下の妹たちである。


「ああ、分かったぞ。お兄様」


 ――【豊穣乙女ホウジョウオトメ】クイーン・チェイズは兄妹の長女であり、妻だった。


「分かりましたの、兄様」


 ――【雷帝ライテイ】ビショップ・チェイズは兄妹の次女であり、一番上の娘だった。


「…………」


 ――【屋敷守ヤシキモリ】ルーク・チェイズは兄妹の三女であり、二番目の娘だった。


「あはッ!! りょーかいです、にーちゃん!!」


 ――【鍛冶神カジシン】ナイト・チェイズは兄妹の四女であり、三番目の娘だった。


「はーい、わかりましたぁ。キングにーさま」


 ――【自己天使ジコテンシ】ポーン・チェイズば兄妹の末妹であり、末の娘であった。

 キングが妹たちを何よりも大切にしている理由は、かつて彼女たちが本物の家族だったからだ。

 彼女たちは、決して生き返った訳ではない。キングの群衆操作によって操られ、さらに各々の天魔の契約によって偽りの自我を植え付けられた人形に過ぎない。

 それでもキングは、彼女たちの生存を望んだ。

 姿形も、役割も、人間の輪から外しても、家族である妹たちに生きていてほしかった。


 ☆


「――そんな」


 唖然と呟く【大聖女ダイセイジョ】の前には、奪還軍の同胞に加えて、強力な洗脳状態にあった妹たちまで起き上がっていた。


「有り得ない……私の洗脳は完璧だったはずです!! それがどうして、いきなり途切れるようなことが!!」

「我輩の群衆操作の方が出力が上だった、という事実が証明されたな。ふははは、なんともお粗末な結果だな」


 キングの腕からもまた、クイーンがさながら操り人形の如く不自然な体勢で立ち上がる。

 ゆらりと金色の髪を垂らし、しかし彼女の瞳に光は宿っていない。そんな女王たる彼女の背後に立ち、キングは【大聖女ダイセイジョ】を笑い飛ばした。


「さあ、愚かな宗教団体の教祖よ。御前は王たる我輩の逆鱗に触れた、その身をもってあがなうがいい」


 どこからともなく薔薇のモチーフが特徴的な長杖ロッドを取り出して、キングは長杖ロッドを天高く掲げた。


「言っただろう、尊厳のある死など我輩は認めないとな」


 次の瞬間。

大聖女ダイセイジョ】と相対していたクイーンが、力強く大地を踏みつけた。


世界震動雄大曲グランディオーソ


 美しい桜色の唇は、静かに言葉を紡ぐ。

 地層を操る彼女の言葉に応じて、大地が怒りに震える。ガタガタと大きな地震が起きて、ユフィーリアやショウ、グローリアやアイゼルネの正気を残した四人は仲良く悲鳴を上げた。


「ぎゃああ!? こ、こんな不安定な場所で地震を起こす奴がいるかァ!?」

「やはり殺す気か、キング・チェイズめ!! 本性を現したか!!」

「いやああああ!! まだ死にたくないんだけど、これって『空間歪曲ムーブメント』で逃げてもいい奴なのかなぁ!?」

「うわオ♪ 修羅場修羅場♪」


 一人だけ状況を楽しんでいるカボチャ頭は置いておき、容赦なく襲いかかってくる大地震に無事でいられる訳がなかった。

 ユフィーリアたちはもとより、あの【大聖女ダイセイジョ】すらまともに立っていることができない。屈辱の表情で地面に這いつくばり、高みから自らを見下ろすキングを忌々しげに睨みつけている。


「無様だな、聖女よ。地に這いつくばることしかできんか」


 コンコン、と薔薇の杖で足元を叩いたキングは、薄らと笑いながら言う。

 彼のすぐ側に絢爛豪華な玉座がどこからともなく出現し、キングはそれに腰かける。小さな都市のはずが、何故か玉座の間の幻影が見えてしまった。その側には修道服を着た美しき女王が自然の暴虐を振るい、さらに自我をなくした状態の奪還軍の同胞たちが【大聖女ダイセイジョ】へ襲いかかる。

 手駒がいなければ【大聖女ダイセイジョ】とてただの女――いや、天魔である。腕や足には奪還軍の同胞たちが組みつき、それらに混じるようにして桃色の髪の少女が六人も組みついている。


「はははは、愉快な姿だなぁ。教祖よ」

「くぅッ――――!!」


 屈辱だと言わんばかりに唇を噛みしめる【大聖女ダイセイジョ】は、唾を飛ばしながらキングに噛みついた。


「なにを、なにをッ、偉そうに!! 貴方とて、私と同類でしょうッ!! 手駒がいなければ戦えもしない、傀儡くぐつの王よ!! 私の洗脳を上回ったぐらいでッ、なにを偉そうにッ!!」

「口を慎め、教祖よ。不敬であるぞ」


 玉座に寄りかかるキングは冷たく吐き捨てると、空いた左手を横に振った。

 すると、檸檬レモン色の髪の少女が前に進み出る。今まで巨大な戦斧せんぷを縦横無尽に振り回していた狂乱の騎士だが、彼女が右手を掲げると光の粒と共に長剣が出現する。

鍛冶神カジシン】と契約した騎士――ナイト・チェイズは、自在に様々な武器を作り出すことができる異能力を手にした。巨大な戦斧も、なんの変哲もない長剣も、好きなように好きなだけ作り出すことができるのだ。

 真っ直ぐに伸びた刃まで真っ黄色に染まった異常な長剣を掲げ、ナイトは勿体ぶるように【大聖女ダイセイジョ】の腹へその長剣を突き入れた。ずぶずぶと肉に沈んでいく刃の痛みに、甲高い悲鳴が上がる。


「あが、ぎ、ああああああッ」

「ははははは。痛いか、痛いだろう? そうか、痛いか!!」


 玉座に腰かけて腹を抱えて笑うキングは、声だけは笑っているけれど赤と黒の両方で色の違う瞳は全く笑っていなかった。


「そうらナイト、ゆっくりとひねってやれ。丁寧に、愛情を持ってな」

「うん、にーちゃん」


 舌ったらずな言葉で頷いた彼女は、兄に言われた通りに【大聖女ダイセイジョ】の腹へ突き入れた長剣をゆっくりと捻ってやる。みちみち、ぶちぶちと肉が裂けていく生々しい音が落ちる。

大聖女ダイセイジョ】は口から鮮血を吐き出すと共に、断末魔をノワーリア全体に響かせる。腹は真っ赤に染まり、鉄錆の臭いが充満し始めた。

 目を血走らせ、それでも【大聖女ダイセイジョ】はキングから目を背けない。呪い殺さんとばかりに暴虐の王を睨みつけ、しかし両腕や両足は決して彼には届かない。


「なんだ、これでは足りんか。仕方あるまいな――ビショップ」

「はい、兄様」


 次いで進み出たのは、新緑の瞳を持つ美女――ビショップだ。

 彼女はスッと右手を掲げると【大聖女ダイセイジョ】の頬に触れた。【雷帝ライテイ】と契約したビショップは、電流を自在に操作する異能力を手に入れた。小さな電流から雷まで自在に操り、触れれば感電死は免れない。

 例外に漏れず、彼女の異能力は発動する。バチィ、と紫電が虚空に弾けて【大聖女ダイセイジョ】が白目を剥く。


「あ、ぁ、が……ッ」


 感電した影響で【大聖女ダイセイジョ】はガクガクと痙攣する。つい数分前までの神々しさはすでになく、目を逸らしたいほど痛々しく傷つけられた姿が晒される。

 キングは「おや、これでも死なないとは。天魔とは丈夫なものよな」と感心したように呟くと、


「ならば仕方がない。罪人を処刑するには、これが一番適しているだろうな」


 キングは玉座越しに教会を振り返り、


「ルーク、おいで」

「…………」


 教会から進み出てきた黒髪の少女が、キングのすぐ側まで寄ってくる。垂れがちな翡翠色の瞳を【大聖女ダイセイジョ】へと向けると、彼女はモゴモゴとマフラーに隠された口を動かす。

 その言葉は、決して音には乗らない。【屋敷守ヤシキモリ】と契約をした影響で、ルークという少女は声を奪われてしまったのだ。声を奪われてしまった代わりに、彼女は自在に建物を生み出す異能力を手に入れた。その範囲は建物だけに留まらず、家具や置物にまで影響する。

 ジト目で傷ついた【大聖女ダイセイジョ】を見下ろしたルークは、右手をかざした。さながらグローリアの扱う『空間歪曲ムーブメント』のような空間の歪みが生じ、そこからとある置物が生成される。


「――――ギロチン」


 掠れた声で、ショウが生み出された置物の名称を呟く。

 頭がちょうど通せるほどの穴の開いた板に、その上には鈍色に輝く刃が糸によって吊り下げられている。その糸を離せば、重力に従って刃が落ちて、穴の開いた板に通した首をすっぱりと断ち切ることができる。

 幾度となく罪人の首を断ってきた、処刑道具。教祖の命を断つには、おあつらえ向きだろう。


「ゃ、いや……嫌……!!」


 最後の抵抗だとばかりに首を振って目の前に出現したギロチンを拒否する【大聖女ダイセイジョ】だが、王の冷たい視線を前に息を飲む。


「ああ、そう言えば。御前は我輩の名を知らなかったな」


 胡乱げに言うキングは、自らの左手を【大聖女ダイセイジョ】の眼前にかざす。

 彼の異能力は群衆操作――自分が覚えておらず、また他人に覚えられていない第三者を意のままに操る恐るべき洗脳の魔法である。


「我輩は御前の名前を知っている。本来であれば、御前を操ることなど不可能だが――」


 キングは笑った。

 それはとても美しく、凶悪さの欠片もない穏やかな微笑を浮かべる。


「人間の記憶とは面白いものでな。都合よく忘れることなど、造作もないことよ」


大聖女ダイセイジョ】の眼前にかざした左手を、僅かに振る。

 すると、彼女の瞳から光がプツリと消えた。


「――忘却操作イリーガルムーブ


大聖女ダイセイジョ】が身動ぎをすると、彼女の両腕と両足を拘束していた同胞たちが離れていく。

 自由の身となった【大聖女ダイセイジョ】は逃げることすらせず、腹からぼたぼたと大量の血液を流しながら、ギロチンに首を通した。


「刎ねよ」


 キングの一言によって、処刑は執行される。

 ギロチンの刃を吊り下げていた糸が解放されて、重力に従って刃は落ちる。

 首を通した【大聖女ダイセイジョ】は逃げることなく、その落ちてくる刃を受け入れた。

 ――ザン、と。

 あまりにも、あまりにも呆気なく【大聖女ダイセイジョ】の首はその胴体から断ち切られる。ゴロゴロと転がった首は穏やかに瞳を閉じていて、それまでの神々しさをほんの少しだけ取り戻したような気がした。


「ふむ、結局は尊厳のある死になってしまったようだな」


 玉座にゆったりと腰かける暴虐の王は鼻をフンと鳴らすと、


「つまらん」

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