第12話【死神からの接吻を】

 痛い。

 体中が痛い。

 特に、あの少女に刺された腹が痛い。

 腹部を刺され、無理やりこのノワーリアまで引きずってこられたユフィーリアとキングは、木の柱にはりつけにされていた。体は頑丈な鉄鎖てっさで巻かれて身動きが取れず、腹部を刺された際に流れ出た鮮血はなおも止まらない。


(……畜生、意識がかすんで……)


 判断が鈍くなる、おそらく失血の影響か。

 霞む視界に舌打ちをしたユフィーリアは、なんとか鉄鎖てっさを外せないかと身を捩る。それでも思いの外、その鉄鎖てっさは頑丈に結ばれていて体を動かしただけではガチャガチャと耳障りな金属音を奏でるだけだ。

 腕も足も、動かす気力がもうない。指先にだって力が入らず、冷たくなっていく。


「あね……うぇ……」

「キング、お前……!!」

「ええ……つい、先程。この状況は、一体何でしょうかね……」


 同じように木の柱にはりつけにされたキングは、苦悶の表情で前を見据えた。

 ユフィーリアも彼にならって、霞む視界でなんとか目の前の光景を認識しようとする。

 それは、大勢の人だった。小さな家があり、店があり、そしてこの小さな町には似つかわしくない荘厳な教会があり、それらの規模にはとても釣り合わない大勢の人がとある聖女にかしずいていた。

 紺色の修道服を纏ったその姿は禁欲的な修道女シスターの一人とも思えるだろうが、背後からでも感じる神々しさは否定できない。背中を流れる豊かな金髪は、自ら発光しているようにも見える。彼女は両腕を緩やかに広げ、そして鈴の音のような美しい声をノワーリア全体に響かせる。


「この者たちは、私を害そうとしました。――神に仇を成す異端者です」


 ユフィーリアは失笑する。


「天魔がカルト宗教の教祖様か……おかしな世の中になったモンだな……」

「おや、目覚めましたか」


 修道女シスターがゆっくりと振り返る。

 まさしく女神の如き美貌だった。腹の傷が深くなければ、軽口を交えて称賛したものだろうが、彼女こそがユフィーリアに重傷を負わせた元凶だろう。

 穏やかな海のような藍色の瞳を細め、修道女を装った天魔はゆっくりとユフィーリアに手を伸ばしてくる。ひたりと頬に触れてきた彼女の手は、氷のように冷たかった。


「ご気分の程は如何いかがでしょう? もっとも、顔色は果てしなく悪いようですが」

「だったらこの鎖から外してほしいモンだがな……どうせそんな殊勝なことはしてくれねえんだろ」

「あら、よく分かっていらっしゃる」


 そう言うと、天魔の女はあろうことかユフィーリアの腹の傷に、ほっそりとした指先を捻じ込んできた。

 ぐじ、ぶちゅ、と肉を掻き分けて体内に侵入してくる指の感触がユフィーリアに激痛を与えてきて、絶叫を飲み込む代わりに口から血を吐き出す。


「ぅえ、げ、ごほッ。ず、いぶん……過激な遊びがお好きなようだ、なァ? 俺の腹ん中は、そんなに、づ、ぃッ」

「あらあら、よくもまあ拘束された身でありながら口が回りますこと」


 腹の傷を抉る指は、二本に増えた。傷口を広げるようにして天魔の女は恍惚と微笑みながら、ユフィーリアを凌辱してくる。

 漏れる苦悶の悲鳴にうっとりと耳を傾ける彼女は、指先にべっとりと付着した赤い液体を舐め取る。ユフィーリアが吐き出した血で顔面を赤く汚してもなお、彼女の神々しさは霞む様子すらない。逆に蠱惑的こわくてきな印象すらも与えてしまう。


「貴女にはまだまだ楽しませていただきます、【銀月鬼ギンゲツキ】。それだけ痛めつけて、なおも心が折れないとはさすが気高い魂を持つだけあります」

「は……お前……あとで、覚えとけ……」


 激痛と失血によって意識が朦朧としてきて、ユフィーリアはいつもの軽口すら億劫になってきた。

 指先から冷たくなっていく感覚が、さらに強くなる。死がすぐそこまで迫ってきていることを強く実感した。


「姉上……!! 姉上、お気を確かに!!」

「キング……今は頭に響くから少し黙れ……」

「すみません無理です!! 姉上の身の危険に、黙っていられることなどできましょうか!!」


 キングが隣で鎖をガチャガチャと喧しく鳴らしながら叫ぶが、元々肉体派ではない彼がいくら騒いだところで無意味である。頑丈に巻かれた鎖は、外れる様子すら見せない。

 すると、どこからか石が飛んできた。ひゅ、と空を切って飛んできた石は、ちょうど縛りつけられたキングの額に当たる。


「ぐぅッ」

「キング……!!」


 キングが痛みに呻く。

 石をぶつけられた額から、血が滲んでいた。ツゥ、と重力に従って赤い雫が垂れ落ちる。

 誰が石を投げたのか、とユフィーリアが石が投擲とうてきされた方向へ振り返ると、


「殺せ」

「殺せ」

「殺してしまえ」

「【大聖女ダイセイジョ】様に楯突たてついた罪だ」


 それぞれ大きさの違う石を装備して、ぶつぶつと呪いのような言葉を吐き続ける奪還軍の同胞たちが、虚ろな瞳をこちらに向けていた。

 その悍ましい光景に、ユフィーリアの背筋に寒気が走る。

 話には聞いていた【大聖女ダイセイジョ】の信仰操作――それが、これほど恐ろしいものだとは思わなかった。正気を失った味方に攻撃されるとは、身体的にも精神的にも衝撃が大きすぎて耐えられるかどうか。


「ふふ、これだけの同胞を前にして、泣き叫ばないのですね」


 美しい修道女シスター――【大聖女ダイセイジョ】はたおやかに微笑みながらコテンと首を傾げる。


「どうすれば、貴女の心を壊すことができるでしょうか?」

「う、るせ……誰が」

「お下品な言葉を使うのはよくありませんよ」


大聖女ダイセイジョ】がそう言うと、再び石が投げつけられた。

 綺麗な放物線を描いて飛んできた石は、ユフィーリアの最大の武器であり欠点でもある眼球にぶち当たる。的確に左目を打ち据えた石が足元に転がり、痛みで目が開けられない。

 頭を突き抜けていった痛みと衝撃に、少しだけ頭の中にかかっていたもやが取れたような気がした。別の意味で意識が吹き飛びそうだったが。


「殺そう」

「異端者は殺そう」

「だって異端者だから」

「ほら気持ち悪いだろう」


 虚ろな瞳でじっと罪人として磔刑たっけいに処されたユフィーリアとキングを見据える彼らは、二人のことをついに『異端者』と罵るようになった。

 それは、かつて【閉ざされた理想郷クローディア】でも同じことを言われた。

 生き残る為に、戦う為に、敵であるはずの天魔の手を取った。天魔の手を取らざるを得なかった者も、奪還軍にはいるだろう。

 永遠に怪物と罵られ、怯えられ、指を差されて、それでも彼らは生きることを選んだ。例えその身を怪物に落としたとしても、人の心と矜持だけは失わなかった。

 ――まさかその悪しき差別の言葉を、同胞から浴びせられるとは思わなかったが。


「ふはッ」


 口の端から血を流したユフィーリアは、小さく噴き出した。

 それに気づいた【大聖女ダイセイジョ】は、その藍色の瞳を音もなく眇める。


「何がおかしいのです?」

「お前は……わざわざ、同胞まで使って、俺らの心を壊しにきてるが……ンなことされただけじゃ、少なくとも俺の、心は折れねえよ」


 ユフィーリアは神様を信じていない。

 そもそも自分がカルト宗教の御神体として勝手に祀られそうになったことがきっかけで、宗教にすらいい印象を持っていない。神様を相手にさえ唾を吐きかけるような師匠の背中を追いかけてきたので、神様に縋るような真似も決してしない。

 グローリアのことは信頼しているが、信仰の対象とは見ていない。いつだって彼女は仲間を対等に、平等に、公平に、身分だって関係なく接する。――信仰操作は、元から信仰心を持たない相手には通用しない。


「残念だったな、ブス」

「…………あらあら、本当によく回る口ですこと」


 明らかに【大聖女ダイセイジョ】のたおやかな笑みに、怒りの色が滲んだ。べっとりと鮮血がこびりついた長い指先をユフィーリアの腹の傷に伸ばし、さらにその傷口を抉って、広げて、中の肉を揉み込んでくる。


「ぎ、ィ、あぐッ」

「ほら、もっとお鳴きなさい。無様に涙を流して、懇願なさい。『助けて、神様』と泣き叫びなさい!!」

「あぎ、あ、が、あああッ」


 ぶちゅり、と抉るだけではなく、深く深くに指先を突き入れられた。おそらく彼女の指先には、内臓の柔らかさや血液の温かさまで伝わっていることだろう。

 激痛に耐えかねて、とうとうユフィーリアの口から絶叫が迸る。痛くて痛くて堪らない、だがそれ以上に神様とやらに泣いて縋るのだけは矜持が許さない。

 だから、

 だから、ユフィーリアは。


「ぉ、」

「お? お願いします、ですか?」


 腹の傷から内部を凌辱する美しき聖女に、ユフィーリアは血混じりの唾を吐きかけて嘲った。


「ぉ、ごど、わり、だ。ぶー、す」

「最後の最後まで、悪態は尽きないものですね」


 ずる、と体内から指先が引き摺り出されて、痛みは少しだけ和らいだ。だが、これだけ出血していれば天魔憑きとて死ぬのも時間の問題である。

 痛みで息が荒くなるユフィーリアから視線を外し、【大聖女ダイセイジョ】は信者となった奪還軍の同胞たちへ振り返る。彼女は大仰に手を広げると、異端者だ殺せとぶつぶつ繰り返していた同胞たちを黙らせた。


「時はきました、異端者を火刑に処しましょう」


 わっと同胞たちが歓声を上げる。

 火刑、という単語を聞いて、ユフィーリアは瞳を見開いた。

 火刑と言えば、出てくるのはおそらく――。


「運よくこの場には火葬術を使う天魔憑てんまつきがいらっしゃるようですし、彼に刑を執行してもらいましょう」


大聖女ダイセイジョ】の言葉を受けて、同胞たちの壁が左右に割れて一本の花道を作り出す。

 その道に立たされたのは、黒髪赤眼の少年だ。真っ直ぐに磔刑たっけいにされたユフィーリアとキングを見据え、視線を逸らすことはない。すぐ側には最高総司令官やカボチャ頭、そしてなにが起きたのか分からずにおろおろと狼狽える金髪の修道女が控えていた。


「さあ、ショウ・アズマ。彼らに制裁を」


大聖女ダイセイジョ】が手招きをする。

 彼にとって、目の前の天魔は唾棄すべき存在だ。決して従うはずがない。

 そう思っていたのだが、



 ショウは淡々と、彼女の命令を受け入れる。そして同胞たちが作り出した花道を、堂々とした足取りで突き進んできたのだ。


「お、御前!! よもや、姉上の相棒だろうに!!」


 キングが磔にされながらもショウを罵倒するが、彼は一切そちらを見なかった。

 淀みのない足取りで花道を突き進み、【大聖女ダイセイジョ】の横を通り過ぎて、彼はユフィーリアの前に立った。「おい、御前!! もやし!! 返事をしろ!!」などとキングの罵倒が続くが、ショウには届いていない様子である。

 口元を覆い隠す黒い布を外し、ショウの美貌が露わになる。薄い唇に、細い顎の線。確かに【大聖女ダイセイジョ】は美人だが、ショウには劣るとユフィーリアは思う。


「ショウ、ぼぅ」

「静かに」


 そっとユフィーリアの頬に手を添えたショウは、


「必ず助ける」


 小さく囁くと同時に、

 少年は、ユフィーリアの唇を己のそれで塞いだ。

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