第6話【天使は地に堕ちる】

 なんとも呆気ない最期だった。

 天魔の中でも『名前持ちネームド』とされる個体は、比較的強い傾向にある。ユフィーリアの【銀月鬼ギンゲツキ】やショウの【火神ヒジン】などが名前持ちネームドの個体に分類され、あの【聖教徒セイキョウト】もまた同じく名前持ちネームドだった。

 それなのに、立っていられた時間は僅か三〇秒程度。いや、それよりも短かったかもしれない。役目などろくに果たせず、あの天魔はこの世から離脱した。


「正直なところ、とてもザマァとしか思えない」

「可哀想だとか思わねえのかお前」

「天魔に同情の余地があると?」


 再び走り出した馬車の中での会話である。

 御者台ぎょしゃだいに腰かけて後ろに流れていく木々を目で追いながら、ユフィーリアは相棒の言葉に苦笑した。なかなかに辛辣である。聖なる雰囲気で気が立っているのだろうか。


「それにしても、クイーン。お前って強いんだな」

「よしてくれ、お姉様。こんな私に力を貸してくれる【豊穣乙女ホウジョウオトメ】がとても強いだけだ。私自身は目が見えないだけの、無力な女に過ぎない」


 穏やかに笑っているクイーンだが、地層操作など大変便利でありながら恐ろしい類の術式だろう。

 植物を急速に成長させる側面は、地下で暮らす人々に果物や野菜などを供給できる。そして地形を変える側面は、読んで字の如くだ。地割れを起こし、地面を隆起させて山を作り、いとも容易く世界さえも作り替えてしまう。

 そんな常識知らずの術式を、この美しい修道女シスターは意のままに操るのだ。タスマンが今まで地上の楽園と呼ばれていたことも頷けよう。


「うむうむ、そうだろう。我が愛しき妹たちは、りすぐりの天魔と契約した天魔憑てんまつきだ、姉上に勝るとも劣らない強さを有しておるぞ」


 キングが自慢げに胸を反らして言うが、珍しいことにショウはなにも言わなかった。ユフィーリアに厳しく叱られてから懲りたのだろうか。

 ――いいや、違う。馬車の荷台に正座する彼は、どこか気分が悪そうだった。馬車に乗って酔うという話は聞いたことがないが……。

 ユフィーリアは進行方向から視線を逸らし、相棒へと振り返る。


「……なんか感じるか?」

「…………」


 ショウは静かに頷く。

 音のない返答を得たユフィーリアは、静かに馬車を停めた。

 さすがにキングも外の様子には気づいたようで「むむ」と難しい顔をしていて、クイーンはショウの体調を心配している様子だった。

 周囲は陰鬱いんうつとした森が広がっているだけだが、嫌な雰囲気とやらに鈍感なユフィーリアでさえ息苦しさを感じる。御者台から降りたユフィーリアは、空から落ちてくる光の粒子に顔をしかめる。

 昼間に見たものと同じ銀色の粒子だ。それだけで、相手が誰か予想できてしまった。


「出てこいよ、頭の中がお花畑な天使様よォ」

「……頭の中がお花畑な、という不名誉な称号を今すぐ撤回してください」


 陰鬱いんうつな森の中に一筋の光が差し、金色の髪の天使が空から舞い降りてくる。一般人であれば、あまりの神々しさに卒倒してしまうだろう。

 ユフィーリアは舞い降りてきた天使を見上げて、


「ご機嫌よう、麗しの天使様。進路の邪魔をするなら殺してでも退いてもらおうか。出血特別大サービスで、命乞いぐらいは聞いてやるぜ」

「それはこちらの台詞です。邪悪なる貴方がたの懺悔ざんげを聞いてあげるのですから、まだ良心的だと思ってください」


 随分と態度が大きな天使である。傲慢の罪で堕天しないのが不思議だ。

 物理的にも態度的にも上から目線な天使の少女に抜刀しかけたユフィーリアは、冷静になれと自分に言い聞かせる。

 相手は天使だ。なにをしでかしてくるか分かったものではない。まずは相手の出方から観察するべきでは――、


「まあ、野蛮そうな貴方では私の崇高な使命など理解できないと思いますけど」

「…………」


 と。

 ユフィーリアの頭の中で、なにかが音を立てて切れた。


「おり空――」


 腰を落として、足に力を込める。大太刀の鯉口こいぐちを切り、そして、


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 時間を置き去りにする。

 時間の流れが遅くなり、ユフィーリアには目の前の天使が止まって見えた。本人はユフィーリアから逃げようとしたようだが、すでに遅い。

 枝葉が生い茂った樹木を連続で蹴飛ばし、虚空を高々と舞うユフィーリア。黒い外套の裾を翻した彼女は、重力に従い落下する。視線はしっかりと天使に固定したまま、彼女は時間を置き去りにした世界で抜刀する。


 ――ザン、と天使が頭頂部から真っ二つに裂けた。


 着地を果たしたユフィーリアに、ようやく世界の時間の流れが追いついてくる。どっと押し寄せてくる倦怠感けんたいかんに、ユフィーリアは聞こえるように舌打ちをした。

 こんなところで切り札の『おり空・絶刀空閃ぜっとうくうせん』を使ってしまう羽目になるとは、想定外である。いくらか冷静にいるはずだったが、少しばかり冷静さを欠いたか。

 しかし、


「ふふ、ふふふ」

「まだまだですよ」

「天使はたくさんいますから」

「我々【聖天使セイテンシ】は俗世の武器では絶対に倒れませんよ」


 わらわらわらわら、と。

 身の毛もよだつほどの大量の天使が、空から次々と舞い降りてきた。

 そのあまりの多さに、ユフィーリアはショウが「虫が目の前を這いずっているようなものだ」という例え話を思い出す。確かにあれは天使というよりも、虫か別の生物だと認識した方がいいかもしれない。

 ――いや、というより【聖天使セイテンシ】と言わなかったか?


(【銀月鬼ギンゲツキ】さん、聞こえておりますかい?)

(おや、何か用かい? 久々に話しかけてきたと思ったら、珍しい状況になっているじゃないか)


 頭の中に凛とした百合の花を想起させる女の声が響く。


(目の前の天使ってさ、なに、天魔なのか?)

(そうだね。厳密に言うと答えは『イエス』――【聖天使セイテンシ】は【大聖女ダイセイジョ】の使い走りみたいな天魔さ)

(俺にお迎えがきたとかではなく?)

天魔憑てんまつきが病気になるなどあり得ない。そりゃあ、天魔と契約をすることによって障害を請け負うこともあるだろう。しかし、基本的に天魔憑きは寿命を超越した存在だから、外的要因がない限りは永遠に生きるぞ)

(事故死とか、戦死とか?)

(そうだな。天魔憑てんまつきは体組織がすでに人間とは異なる故に、人間がかかるような病気にならんしな)

(……そっかー、分かった。あとめちゃくちゃ気持ち悪いぐらいに増えた天使をどうにかしてぶっ殺したいんだけど)

(羽をもぎ取って考えつく限りの拷問をし、その死骸を馬車に吊るせ。そうすれば天使は寄ってこない)


 さすが「全ての天魔を殺せ」と呪いを託してきただけはある。清々しい笑顔でえげつないことを宣う姿がまぶたの裏に浮かぶ。

 本当にそんなことをすれば天使はどこかに消えるのか、とユフィーリアは遠い目になる。【銀月鬼ギンゲツキ】の言葉は信じていない訳ではないが、今ばかりは半信半疑だった。

 その時、


「――うがああああああああああああああああッッ!!」


 蒼天に轟く怒声。

 馬車から「どうしたもやしッ!?」とキングが驚愕する声が聞こえてきたと思ったら、ほろをバサリと跳ね上げてショウが転がり出てくる。どうやら大量の天使の気配に我慢ならなかったようで、いつもの冷静さなど皆無だった。

 彼は両手に赤い回転式拳銃リボルバーを出現させると、あははうふふと優雅に笑ってぷかぷかと浮かんでいる天使――いや【聖天使セイテンシ】の群れを睨みつける。


「殺してやる……貴様らなど全て灰燼かいじんして殺してやる……!!」

「ショウ坊、お前バーサク状態になってるけど大丈夫か?」

「悪寒と頭痛が止まらない!! 聖なる天使だか性的な天使だか知らんが、とにかく全員ぶちのめす!!!!」

「ダメだこいつ、思考回路が完全にバグってやがる」


 こうなってしまっては無理やり押さえ込むのも野暮だというものだろう。

 ユフィーリアはやれやれと肩を竦めると、気怠けだるい体を引きずりながら馬車に戻る。それから怒れる相棒に振り返ると、


「じゃあ先に行って、すぐそこの川辺で休んでるからな。あとから追いかけてこいよ。場所が分かんなかったら、スカイの使い魔に連絡してくれ」

「了解した!!」


 うがあああああ、とショウらしくない奇声を発しながら、相棒は天使の群れへと単身で突撃をかました。

 燃え盛る炎を巧みに操るショウを横目に、ユフィーリアは馬車を走らせ始める。天使たちが馬車を追いかけようとするが、たがが外れた状態でも正確無比な射撃の腕前は変わらないようで、次々と撃墜された。

 ユフィーリアは自分の体を嗅ぎながら、


「水浴びしといた方がいいかな。ショウ坊に殴られたくないし」

「姉上がそう判断するのであれば、我輩は文句は言いませぬ。見張りは任されよ」

「お姉様、介助なら任せてほしいぞ」


 キングとクイーンは意見もクソもないので、ユフィーリアはとりあえず水浴びをすることを決めた。

 ちなみに余談であるが、この時【銀月鬼ギンゲツキ】からも「あの【火神ヒジン】の小僧に殴られたくなければ水浴びと着替えはしておいた方がいいだろうな」という言葉を貰ったので、水浴びと着替えは避けられない事象となった。


 ☆


「置いていかれてしまいました」

「可哀想」

「でも、この子の方が邪悪な気配を感じます。とても邪悪な気配がする」


 吐き気がする。

 寒気もする。

 誰彼構わず殴りたくなるほど、苛立ちが収まらない。


(――鬱陶しい)


 ショウは舌打ちをする。

 こんなに冷静さを欠くなんて初めてだった。ユフィーリアにも情けない姿を見せてしまった。本当に面目ないと思う。こんな些細なことで苛立つなど、彼女の相棒として失格だ。

 赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめ、ショウは目の前を飛び交う天使どもを睨みつける。


「でも大丈夫」

「この【聖天使セイテンシ】が、貴方を浄化してあげましょう」

「さあ、我々に身を委ねて……」

「触るな、このアバズレども」


 手を伸ばしてきた天使の少女に炎を浴びせてやると、面白いぐらいに燃えた。全身を火だるまにして地面に落ちると、彼女はバタバタと暴れながら息絶えた。

 これだけの仕打ちをしておきながら、あの【聖天使セイテンシ】と名乗った天魔はいまだにショウを浄化だのなんだのと言ってくる。本当に頭は大丈夫なのだろうか。ユフィーリアの言う通り、脳内が花畑にでもなっているのだろう。

 死の象徴たる葬儀屋一族アンダーテイカー――その筆頭の一人であるショウとは、真逆の存在。だからこそショウは天敵のように扱うし、彼女たちの言うことが理解できない。


「貴様らと会話していると阿呆になりそうだ。――俺の為にさっさと消えろ!!」


 赤い回転式拳銃リボルバーに祈りを捧げたショウは、全ての天使を焼き払う為に奥の手を使うことにした。

 陰鬱いんうつとした森の中に紅蓮の嵐が吹き荒れて、断末魔が幾重にもなって響き渡る。世界の終わりかと勘違いしてしまうほどの勢いがある炎は、天使を残らず火葬してしまった。

 渦巻く炎の中に立つ少年は、きっと後悔も反省もしていないだろう。

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