第4話【旅立ちの前に】

 一服してから大衆食堂に戻ると、キングの臣民を救出する為の作戦会議が行われているところだった。

 自室から引っ張り出されたらしい最高総司令補佐官――スカイ・エルクラシスが、本当に気怠けだるそうに机に突っ伏したまま動く様子がない。グローリアとキングは臣民の数と自分の妹たちの情報を話し合っていて、クイーンは何故か野郎どもに囲まれて笑顔を振り撒いていた。多分、クイーンは訳も分からず囲まれているので笑うしかできないのだろう。

 戻ってきたユフィーリアは、大衆食堂の隅にある席で待機する相棒の存在に気づいた。最近ではユフィーリアやエドワードたちと一緒の席に座るようになったが、今は事情があるらしい。


「嫌な雰囲気はまだ抜けそうにないか?」

「……そうだな。鼻がひん曲がりそうだ」


 仏頂面で遠目からキングを睨みつけながら、ショウが吐き捨てるように言う。その視線には嫌悪の他にも別の感情が浮かんでいるようだったが、ユフィーリアはあえて触れないでおいた。

 すると、机に突っ伏した状態だったスカイが唐突に跳ね起きた。鳥の巣のようにもじゃもじゃとした赤い髪を掻きむしり、狂ったように「うがぁああああ!!」と叫び出す。


「頭がおかしくなりそーッス!! これ嫌い、大嫌い!! グローリア、ボク部屋に戻っていーッスか!?」

「ダメだよ、スカイ。せっかく陛下がいらしてるんだから」

「無理無理無理無理ッス、もー限界!! 胸がかゆくなる、あとものすごく頭が痛くなるッス!!」


 ガリガリとジャージの上から胸を掻き毟ったスカイは、グローリアの「ダメだ」という言葉を跳ね除けて自室に戻ろうと席を立つ。


「スカイ!!」

「やだッス!! 前に会った時はよかったけど、今はキング君の顔を見てるだけでダメッス!! 拒否、禁断症状、殴りかからないだけマシだと思ってほしーッスよぉ!!」

「む、いつからそんな最高総司令補佐官は野蛮な性格になった?」


 スカイの心境を全く理解できないらしいグローリアはなおも引き止めようとして、元凶であるキングは不満げな表情でスカイを睨みつけている。おそらくショウと同じものを感じているのか。

 クイーンや大衆食堂で待機していた同胞たちは、スカイの悲鳴に「なんだ?」「ついに頭がおかしくなったか?」などと首を傾げている。ユフィーリアも特にキングやクイーンから嫌な雰囲気を感じ取ることができないので、ショウやスカイがおかしくなったとしか思えない。

 唯一、スカイの訴えに共感できるショウが、グローリアに腰を掴まれて自室に戻ることを阻止されているスカイを救出した。グローリアの腕を無理やり引き剥がすと、上官の背中を押し出す。


「エルクラシス補佐官。無理せず距離を取るといい。支障をきたす」

「……え、まさかショウ君もッスか?」

「ああ。今まさに同じ気分だ」


 二人にしか分からない感覚を共有しあって、スカイは「じゃ、すんませんッス」と会釈をして競歩で大衆食堂から飛び出していく。

 その背中を見送ったショウは、忌々しげな視線をキングにやった。またも喧嘩を売るつもりかとグローリアや他の同胞たちが身構える中、相棒が放った言葉は意味が色々と足りていない罵倒だった。


「キング・チェイズ、風呂に入ってこい」

「なんと!? お、御前、我輩が臭うとのたまうか!! 不敬であるぞ、首をねてやろうか!!」

「不敬もなにも、事実なのだから仕方がないだろう。あと喋るな、殴りたくなる」

「ッ!? 最高総司令補佐官といい、御前といい、不敬な輩が多すぎんか!?」


 キングは椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、暴言を吐いたショウに掴みかかろうとする。


「やめてやれ、キング。ショウ坊も、色々と言葉が足りてねえだろうが。理由を言ってやらなきゃ相手だって納得しねえぞ」


 キングがショウに向かって伸ばした腕を押さえ込み、ユフィーリアは相棒の暴言を叱責しっせきする。さすがに「風呂へ入ってこい」は暴言だろう。


「理由を言うより先に事実が先行した。その点に関しては謝罪する」


 ショウも素直に謝罪するが、仏頂面は変わらない。スカイでさえ発狂するような雰囲気だ、表情に出るだけであればまだマシなのだろう。

 ユフィーリアに掴みかかろうとした腕を押さえ込まれたキングは、ただならぬ事情が自分にあるとようやく察したらしい。不承不承とばかりに腕を引っ込めると、


「我輩が納得できる理由をく話せ。さすれば先程の暴言の件は、我輩の靴を舐める程度の罰で許してやろう」

「ユフィーリア、理由もクソもないが殴っていいか?」

「落ち着けショウ坊。嫌な雰囲気にあてられて気分が悪いのは察するが、短気になりすぎだろ。冷静になれ」


 いつでもどこでもどんな時でも冷静さを欠かない相棒が珍しいものである。

 静かに拳を握り込んだショウは、ユフィーリアの言葉に従って喧嘩腰をやめる。それから踏ん反り返るキングを一瞥して、ぷいとそっぽを向いた。理由を説明するのも億劫らしい。

 ユフィーリアは銀髪をガシガシと掻くと、


「あー、だな、要するにショウ坊とスカイがキングを毛嫌いしてるのは、キングから神聖な気配を感じるんだとよ」

「む。我輩が高貴だからか」


 キングの言葉を無視して、ユフィーリアは続けた。


「キングとクイーンから、聖なる気みたいなのが発されているらしい。聖なる気はショウ坊と真逆の性質を持つ。こいつのせいで、ショウ坊は少しばかり情緒不安定になってるようだ」

「その程度で精神状態に異常をきたすとは情けない。もっと精神面を鍛え直すといい」


 ふん、と偉そうに言うキングをジロリと睨みつけたショウは、


「……俺の今の状態は、例えるなら目の前に気持ち悪い動きで迫ってくる虫がいるようなものだぞ。視界に入れただけで虫唾が走る」

「……む、それは確かに殴りかかりたくなる気持ちも分からんでもない」


 例え話を想像して、キングはようやく納得したようだった。誰しも嫌悪するものが目の前をうろついていれば、殴りたい衝動も湧き上がってくるものである。

 ショウの例え話に同意するかのように、ユフィーリアの足元へ白猫がすり寄ってきた。頭を軍靴に擦り付けて、甘えたように「にゃあん」と鳴く猫は、軽々と跳躍して大衆食堂のテーブルに乗るとお行儀よく座る。


【そーッスよ。そんで、キング君らの臣民が監禁されてるノワーリアは、虫の宝庫って言ってもいーぐれーッスよ】


 白い猫を介して聞こえてきたスカイの声は、ようやく落ち着ける場所に戻ってきたとばかりに安堵に満ちていた。さらに虫の例えを出されて、さすがのキングも「もうよい」と頭を振る。


「要するに、風呂に入れば問題なかろう。湯屋はどこだ」

「二層に行けばたくさんあるぞ」

「おい、それは風俗だろう。王たる我輩に風俗を勧めるとは何事だ、このもやしめ」

「下々の生活には馴染めそうにないな、この愚王ぐおう


 静かに紫電を散らす二人の間にユフィーリアが割って入り、喧嘩を無理やり終了させた。何故この二人は争わずにはいられないのか。

 すると、黙って事の成り行きを見守っていたクイーンが「それは素晴らしいな」とポンと手を叩く。


「東の言葉には『裸の付き合い』というものがあると聞く。お兄様、ショウ様と是非お風呂を共にしてはどうだろうか?」

「むう、何故我輩が此奴こやつと共に」

「ショウ様はお姉様の相棒だ。仲良くしなければお姉様を悲しませることになるだろう? それに、年長者が年下相手にムキになるだなんて大人げないぞ」

「むう……」


 クイーンにぐうの音も出ないほど言われてしまい、キングは不承不承と言わんばかりに「分かった」と頷いた。ユフィーリアもショウを見やると、やはり彼も心底嫌そうに「……了解した」と応じる。


「それではお姉様、私の風呂の介助をお願いします」

「介助?」


 まさしく青天の霹靂へきれきの申し出に、ユフィーリアは首を傾げた。

 クイーンは聖女の如きたおやかな笑顔を浮かべながら、


「私、全盲ぜんもうですので。一人でお風呂は少し怖いのです」


 ☆


 という訳で。

閉ざされた理想郷クローディア】第三層にある貴族御用達の銭湯――名称『幸の湯』までやってきたユフィーリアは、まさかの事態に頭を抱えた。


「うふふッ。お姉様と一緒にお風呂だなんて、夢のようです」

「……そ、そッスか」


 撥水性はっすいせいのある小さな椅子に座るクイーンの綺麗な金髪を洗いながら、ユフィーリアは無心を心がけた。ひたすら無心で、周りの景色を見ないようにして、目の前の洗髪に意識を集中させる。

 だってそうだろう。

 いくら【銀月鬼ギンゲツキ】と契約をしたとはいえ、中身は二八歳の男である。こんなあっさりと性別の壁を越えることができるだなんて、ユフィーリアとて想像していなかったのだ。

 そこはもう、まさに桃源郷とも呼べる世界だった。

 存在しているのは全てだけ、それも年齢層も広く子供から老人まで様々だ。キャッキャと甲高い子供の声が浴室に反響し、それを母親らしき人物が叱り付けている。


「お姉様はとても優しい手つきです。妹たちがいなくなってからは、一人で水浴びをすることが多かったので……」

「キングを頼らなかったのか? 全盲だから危ねえだろ」

「危ないのは承知なのですが、お兄様はどうしても介助をしてくれなくて。――全く、妹が困っているのですから助けてくれてもいいですのに」


 クイーンは不満げに唇を尖らせて言う。

 見えているように振る舞っているものの、クイーン・チェイズは全盲だ。目が全く見えず、彼女の瞳には光すら差さない。それでも普通に生活できるのは、彼女の視覚を除いた他の五感が研ぎ澄まされているからだろう。

 泡でモコモコになったクイーンの金髪にお湯をかけて洗い、ユフィーリアは「まあ、キングにも思うところがあるんだろ」と答える。


「お姉様も髪を洗いますか? 私が洗いますよ?」

「いや、俺はいい。お前の介助で一緒に入っただけだし」

「洗わせてくださいな」


 ニコニコとクイーンは凄みのある笑みを浮かべて、その柔らかな手のひらに洗髪用の液状石鹸シャンプーを落とす。すでに両手を泡塗れにして準備万端なので、ユフィーリアは観念したようにクイーンと位置取りを交代した。

 背後に回り込んだクイーンが、ユフィーリアの銀髪を洗い始める。壊れ物でも扱うかのような手つきにこそばゆく感じたが、最強なので我慢した。


「ふふッ。お加減は如何いかがですか?」

「おう、ちょうどいいぞ」

「それはよかったです」

「――なあ、クイーン」

「なんです?」

「なんで俺にだけ敬語なんだ?」


 ふと、ユフィーリアは訊いてみた。

 キングもそうだが、クイーンもユフィーリアに対しては敬語なのだ。兄であるキングには敬語ではないのに、ユフィーリアにだけは何故か敬語で話してくる。

 クイーンは丁寧にユフィーリアの銀髪を洗いながら、


「お姉様は命の恩人ですから。私たちの国を、民を、助けてくれた恩義があります」

「じゃあその命の恩人の頼みも聞けるよな? 敬語はやめろ、背中がかゆくなる」


 誰に対しても敬語であれば受け入れられるが、ユフィーリアは敬語を使われるような性格ではないのだ。成り行きで助けただけなのに、ここまで崇拝されると対応にも困ってしまう。

 クイーンは泡塗れになったユフィーリアの銀髪をお湯で洗い流し、


「じゃあ、そうさせてもらおう。――ふふッ、お姉様と距離が近くなったようで嬉しいぞ」

「そうかい、そいつはよかったな」


 どこか嬉しそうなクイーンに、ユフィーリアも微笑で応じるのだった。



 一方、男湯の方だが。


「……おい、下々」

「うるさい」

「我輩の髪でなにをしている」

「トゲトゲ」

「遊んでいるな御前!? 我輩にもやらせろ!!」

「貴様などに俺の髪を触らせる訳にはいかん」


 ショウが真剣な目つきでキングの髪の毛を濡らして針山よろしくトゲを次々と作っていくので、焦れたキングが暴れるという事件が発生した。

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