【上編】

閉ざされた理想郷クローディア】は全三階層から構成される、巨大な地下都市である。

 空より降り注ぐ異形の怪物――天魔てんまから逃れる為、人類が生み出した最後の砦だ。ここで人類は天魔に怯えながら、長きに渡って生活してきた。

 当然ながら、地下空間なので場所は限りがある。必然的に店を積み木のように重ねることが常套手段となり、猥雑わいざつ混沌こんとんとした街並みができあがった。玄関口である第一層には多彩な商店が軒を連ねた商店街となっているが、その一つ下である第二層はかなり闇が深い街並みである。

 というのも、第二層は歓楽街として有名だ。怪しい飲み屋が乱立し、娼館やパブが建ち並び、子供には見せられない玩具屋があちこちにあり、甘い煙草の匂いが充満し、嬌声がぶつかり合う。この世の快楽をしこたまぶち込んだ結果、なんかとても見せられないものと化してしまったのが、この第二層である。

 ――だが、裏面は安い定食屋や飲み屋があったりするので、貧乏人にとっては重宝している階層でもあった。


「お、ここだよぉ」


 視線だけで他人を殺せそうなほどの凶悪面に連れられてやってきた場所は、第二層の特に奥まった場所にある定食屋だった。さすがにここまで人はやってこないのか、新規開店だというのに客は少ない。

 のぼりには『開店記念!! 特大オムライスあります!!』とあり、なるほど、確かに彼の言う通りチャレンジメニューも存在しているようだ。


「ほーう、まあ確かにお手頃な値段だな」


 店先に出されているメニューをめくりながら、銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルが言う。息を飲むほどの美貌はこんな安い定食屋なんかより高級な料理店の方が似合っていそうな気もするが、桜色の唇から紡がれる鈴の音の如き声がなぞる言葉は粗野で軽薄な印象を受けるものである。立ち振る舞いも男そのものであり、なんだかちぐはぐである。

 同じくメニューを覗き込む彼女の相棒たる黒髪赤眼の少年――ショウ・アズマは、やはり幟の巨大オムライスが気になるようだった。先程からちらちらと視線をやっているので、すでに彼の中ではもう頼むメニューは決まっているようだ。


「奥まったところにあるから、お客さんは誰もいないねぇ。穴場だよぉ」


 ここまで先導して歩いていた凶悪面の男――エドワード・ヴォルスラムは、その見た目とは対照的な間延びした口調で誇らしげに言う。

 その隣で毬栗を想起させる赤茶色の短髪の少年――ハーゲン・バルターが、エドワードの千切れそうなほど振り回されている尻尾を掴もうと動き回っていた。最終的に捕まえるのは諦めたのか、尻尾の部分にしゃがみ込んで、そのふさふさの尻尾に往復ビンタされて「あああああああ」と幸せそうな様子だった。


「メインは肉料理だナ♪ 飯のお代わりも自由だし、ちょーどいいヤ♪」


 この五人の中では特に異質なカボチャ頭のディーラー服野郎――アイゼルネは、戯けた口調で楽しげに笑う。

 表のメニューで大体の目星をつけたところで、ユフィーリアが定食屋の扉を開ける。カラカランと来客を知らせる鐘が店内に鳴り響き、カウンターと小さなテーブル席がいくつか並んだやや狭い店内が客を出迎える。

 鐘の音を聞きつけて、店の奥から愛想の悪い壮年の男が顔を出す。低く地を這うような声でぼそぼそと「いらっしゃい」と言い、視線だけでカウンター席を示した。どうやらそこに座れと言っているようだった。


「俺はおろし生姜の炭火焼き定食な。あ、ご飯大盛りで」

「俺ちゃんは青紫蘇と大根おろしの粗挽きハンバーグ定食ねぇ。同じくご飯大盛りでぇ」

「オレは唐揚げがいい。ご飯大盛り」

「オレ様は焼肉定食♪ もちろんご飯大盛りデ♪」

「幟にあった巨大オムライスを一つ」


 注文を取っていた愛想のよくない店主が、ショウの注文を聞き終えた時に伝票から顔を上げる。あまりよろしくない鋭い目つきでショウをじっと見つめると、やはり低い声でぼそぼそとショウに確認を取る。


「お客さん。注文を間違えてるよ」

「間違えてなどいない。俺は確かに幟にあった巨大オムライスを注文した」

「…………残したりしたら出禁だから」

「残すつもりなど毛頭ない」


 ピンと背筋を伸ばして、ショウは言い放つ。

 確かに食べきれないと思われてもおかしくないだろう。ショウの体格は細身を通り越して華奢であり、見た目も女の子のようで着飾れば変態が釣れるぐらいの美貌である。

 だが、その見た目とは裏腹に、彼自身が契約した天魔の影響でかなりの大食いである。しかも米粒一つ残さず綺麗に食べきるものだから、ユフィーリアも何度か目を疑った。しかも、下手をすればお代わりもする。これでは店が潰れてしまう。

 店主は怪しむようにショウを睨みつけ、彼の意思が確かであることを認識すると、なにも言わずに厨房へと引っ込んでいった。


「……こういう確認作業は、やはり必須事項なのだろうか」

「そもそもお前の場合は食べきれねえんじゃねえかって疑われてるんだろうよ。どこに収納してんだよ、食ったモンは」

「【火神ヒジン】にほとんどが持っていかれる」


 ショウが契約した天魔である【火神】は、かなりの体力を使う。術式一つとってもその消費エネルギーはかなりのものであり、それを補う為に大量の食事が必要不可欠ということだ。ちなみに空腹状態になると、術式すら使えなくなってしまう。

 大食いでありながら華奢な体躯を維持するショウには、そんな羨ましいカラクリが存在するのだった。


「でも、まともな料理が出てくんのかよ。あのおっさん、愛想悪くね?」

「聞こえてるよぉ、ハーゲン。もう少し小さな声で言いなよぉ」


 セルフサービスのお冷を注ぎながら、ハーゲンが割と大きな声でそんな失礼なことを言ってのけるので、エドワードが彼の脳天に拳を叩き込みながら注意した。

 厨房の奥からカンカンとか金属を叩く音を聞きながら注文した料理が出てくるのを待っていると、


「――――うわああああああああああッ!?!!」


 誰かの悲鳴と共に、店の奥からどんがらがっしゃーんッ!! とものすごい音が聞こえてきた。

 轟音が聞こえた方へ振り返ると、そこには『便所』と札が下がった扉があった。どこからどう見ても便所である。

 五人は静かに互いの顔を見合わせると、


「先客がいた場合で推測。俺は足を滑らせたに一票」

「害虫でもいたんじゃないのぉ?」

「もしくは上からなんか落ちてきた。紙とか」

「便器にケツが抜けなくなって、暴れたら便器が壊れタ♪」

「イーストエンド司令官よろしく『空間歪曲ムーブメント』に類似するなにかで転移した結果、厠へ繋がって落ちた」

「「「「いやいやまさか(カ♪)」」」」


 推測できる事象を並べ立てるが、最後のショウの予想だけは全員して否定した。

 上官であるグローリア・イーストエンドが使う術式である『空間歪曲』は、高等技術を要する神業だ。それと類似する術式などなく、ましてや人間が異能力を使えるとは思えない。

 ――そう思っていたはずなのに。


「うわあああああ!? なんか知らない便所にいるんだけどここどこ!?」


 扉を思い切り開いてやってきたのは、黒髪で青い瞳を持つ少年だった。恐怖によるものか混乱によるものか、彼の瞳は涙が滲んでいる。着古したシャツを着て濃紺と緑の横縞のネクタイを締めているが、服装がなんかこの世界のものっぽくない。第三層の貴族階級が好みそうな身なりである。

 そんな彼の涙に濡れた青い瞳と、ユフィーリアたちの目線が交錯した。明らかに相手は助けを求めている表情だったが、こちらは注文した飯がまだきてないのである。


「無視だな」

「聞こえない聞こえないっとぉ」

「なーなー、飯まだー?」

「行儀悪いぞハーゲン♪」

「…………確かに面倒なことには首を突っ込まない方がいいな」

「なんで助けてくんないの!? 異世界って冷血な人間ばっかなの!?」


 うわーん!! と号泣しだす少年の声を徹底的に聞こえないふりを決め込んだ五人は、ひたすら厨房にいるおっさんが料理を提供してくれることを待っていた。


 ☆


「はい、ニジョー・ソークー君ね。お前さ、せめて空気読めよおい。こっちは昼飯まだなんだよ。――あ、これ醤油かけたらさらに美味え」

「異世界転移に空気を読むという話はついぞ聞いたことがないのだが、それは空気を読んで転移できるものなのか?」

「ノリと気合と根性さえありゃできるんだよ。あとショウ坊、お前いつのまにあの巨大なオムライスを食い終わったんだ? 注文が届いてまだ五分も経ってねえぞ?」


 ショウは綺麗になった大皿を一瞥して、不思議そうに首を傾げた。かつて、バケツを容器とする巨大なパフェを複数個平らげた実力は健在のようである。

 出てきたオムライスも割と大きなものだったのだが、ショウにとって量は関係ないのだろうか。大きなオムライスを平らげて、彼も満足そうである。

 さて。

 便所から異世界転移してきたとかいう少年は、自らを二条蒼空にじょうそうくうと名乗った。ご丁寧にも身分証らしきものを見せてきたのだが、ユフィーリアはもちろん、きちんとした教養を受けたはずのショウですら読めない文字が羅列していたので、もう音で判断するしかなかった。

 そんな彼は、理不尽にも正座させられていた。「助けてください」と少年はユフィーリアに泣きついたのだが、屑と称賛される彼女は助けを求めてきた少年を振り払って「飯を食わせろ」と一喝したのだった。なんというか、あまりにも理不尽である。


「でもねぇ、いきなり異世界からやってきましたーなんて言われてもねぇ。俺ちゃん的には『はいそうですか』って訳よ。お前さんなにしてくれんの? 俺ちゃんたちの代わりに、地上を支配した天魔とやり合ってくれる?」

「え、てん、なんだって?」


 蒼空はエドワードの言葉を初耳だとばかりに反応するが、まあ当たり前の答えである。いきなりそんな大役を任されても、誰もができると思ったら大間違いだ。

 いまいち状況が読めていない蒼空に対して、ユフィーリアは相棒のショウへと視線を投げる。一応、目線で「この世界のことを説明してやれ」と言ったのだが、ショウはこくりと頷くと正座する蒼空の対面に同じく正座しだす。


「この世界の地上は、空から降ってきた異形の怪物によって支配された。人間は地上を追放され、現在は地下に巨大な都市を作って生活している。それがここ――【閉ざされた理想郷】だ」

「え、それなら大変じゃん!! 地上を取り戻さなきゃ!!」

「それを担っているのが俺たち奪還軍だ。いまだ芳しい成果は出ていないが、天魔の殲滅を仕事としている」

「お、おう。そうか。じゃあ戦ったりするってことか!? 俺ももしかして戦ったりできちゃう!?」

「貴様がこの世界に来訪した拍子に異能力を獲得していれば奪還軍の上官にかけ合ってもよかったのだが、現状では貴様にそのような兆候は見られない。大人しく元の世界に帰ることを推奨する」


 うん、うまくまとめられた上に「さっさと元の世界へ帰れ」とど直球で言いやがった。確かにこの少年が異能力に目覚めていれば、ユフィーリアも仕事が楽できるかもしれないとグローリアにかけ合おうと思ったのだが、そんな様子は一切ないのだ。期待外れである。

 いち早く食べ終わったハーゲンが、元気一杯に「ごちそーさんでした!!」と言い終わると、ショウの隣にしゃがみ込むや、蒼空のことを威嚇しだした。いきなりちんちくりんな少年に睨みつけられて、蒼空もどうしていいか分からないようで、居心地悪そうにもぞもぞと身じろぎしていた。


「つーかよ、帰すって言ってもどうやって帰すんだよ?」

「殺せばよくネ♪」


 ハーゲンの素朴な疑問に考えることも面倒だったらしいアイゼルネが、戯けた口調で物騒なことを言う。カボチャの被り物の隙間から器用に焼肉をねじ込んでいくという不思議な食べ方をしているが、意地でも被り物は外さないらしい。

 殺す、という単語を聞いた蒼空は、ビクリと全身を強張らせる。対抗できる力があれば切り抜けられるだろうが、無力な少年ができることなど命乞いの他にない。


「ていうかさぁ、お前さんはどうやってここにきたのぉ? お便所に出てくるなんて早々ないよぉ?」

「えっと、あの……」


 蒼空は思い出すようなそぶりを見せて、


「友達と追いかけっこしてて……それでトイレに逃げ込んで……そしたらトイレの女神様に異世界へ行けって言われて……」

「ショウ坊、殴ってやれ。そいつ夢でも見てんだろ」

「ユフィーリア、ハーゲン・バルターがその役目を果たしたのだが、俺も追撃するべきか?」


 ふざけたことを抜かす蒼空に我慢ができなくなったらしいハーゲンが、彼の胸倉を掴んでガックンガックンと揺さぶる。殴るというより揺すって起こそうとしているようだが、残念ながら聞こえるのは蒼空の「あはばばばばばばばば」という悲鳴だけで、彼の姿は消えるどころか透明になることすらなかった。

 ともあれ、元の世界に帰さなければならないことは分かる。このままこの世界に居座っていても、彼にいいことなどないだろう。知り合いが誰もいない空間に一人で放り込まれるのは、さすがに堪える。

 昼食を食べ終えたユフィーリアは、「よし」と振り返る。


「じゃあ、いっちょ帰る方法を探しますか」

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