第9話【白雪の太刀にて悪しきを断つ】

 そんな。

 あり得ない。

 あり得るはずがない。


(私は完璧だった。なのに、どうして。負けるはずがない負けるはずがないだってこっちには悪夢の繭があるそのはずなのに!!)


 悪夢の繭に自ら飲み込まれた黒い狐巫女――菖蒲あやめは、キュッと自分の唇を噛み締めた。

火神ヒジン】の能力は完全ではないにしろ、きちんと奪って悪夢の繭の動力源とした。他にも山岳を削り、瓦礫を食らい、神宮『斗宿ヒキツボシ』でこれでもかと暴れて力を蓄えたはずなのに。

 悪夢の繭が負けるはずがない。絶望の化身であり、災厄を孕むこの怪物が、凡百に負けるはずがないのだ。


(なのに、なんで、なんでこんなに体が熱いの!?)


【火神】から奪った力が暴走したような勢いだ。

 体の芯を焼かれるような痛みに、菖蒲は羊水の中で揺蕩たゆたいながら喘いだ。四肢を触手に絡め取られた状態なので、身動きはできない。この熱さから逃れる方法はないのだ。

 このままだと死んでしまう。

 このままでは、菖蒲は死んでしまう!


(いや、いやいやいやいやいやいや!! 死にたくない死にたくない死にたくない!!)


 菖蒲は歯を食いしばって、なんとか羊水の中から抜け出そうともがいた。

 それなのに、いまだ羊水に揺蕩い続ける災厄の化身であるなにかは、母親である菖蒲が外に出ることを拒むように暖かな水の中で暴れた。

 母親は子供に寄り添うべきだ、だからここから出て行かないで。――このもやのような、獣のようななにかは、そう言っているようだった。


(死ぬなら一人で死ねばいい!! 私を巻き込まないで!!)


 今まで可愛がってきたというのに、なんとも可哀想な仕打ちである。

 菖蒲は悪夢の繭から出ようとしたその瞬間、ごうっと目の前が真っ赤に染まった。

 思考回路が一瞬だけ止まる。なんだこれは、と自問自答する。

 それは炎だった。世界を焼くほどの激しく燃え上がる炎。羊水に身を委ねた災厄の化身も、その熱さには耐え切れずにバタバタと暴れているようだった。


(いや、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!)


 死にたくない。

 こんなところで、こんな化け物と一緒になって死にたくない。

 菖蒲は炎から逃れるように顔を逸らした。それでも頰を舐めるように触れた炎の熱さからは逃れられずに、思わず「ぎゃあああ!!」と悲鳴を上げてしまう。

 熱い。

 痛い。

 こんなことがあるなんて、聞いてない。


(まさか、まさかの――!?)


 術式の遠隔操作なんて、かなり高等過ぎて誰も手を出そうとは思わない。

 しかし、噂程度ならば聞いたことがある。

 火葬術は多様性があり、遠隔操作での使用も可能だと。そしてその技を密かに使っていたのは、かのアズマ家現当主の父親――前当主であると。


(こんな、こんなところで!!)


 がぼり、と口から大量の泡を吐き出しながら。

 菖蒲は手足を戒める触手を神通力で引き裂き、力の限り叫んだ。


「死んで――たまるかあああああああああああああッ!!!!」


 ☆


 大量の炎に抱かれた悪夢の繭は、随分と萎んでしまった様子だった。

 その様子を遠くで眺めていたユフィーリアとエドワードは、二人揃ってひゅうと不恰好な口笛を吹く。


「さすがだな、ショウ坊」

「本当だねぇ。――だから言ったでしょぉ、ショウちゃんに任せた方がいいんじゃないのって」

「あれ、そうだっけ? いやー、最近ボケてきたかな痴呆症かな?」

「それ絶対に俺ちゃんの台詞だよねぇ。そして、そうやって茶化した瞬間に俺ちゃんは殴り飛ばされるんだよねぇ!?」


 ぱしんぱしん、と狼の尻尾を振り回して怒りを露わにするエドワードに、ユフィーリアは「はいはい」と適当に応じた。「誠意が足りない!!」と叫ぶエドワードを、今度は無視する。

 あれだけ暴れ回っていた悪夢の繭が、呆気ないものだ。ユフィーリアは煙草でも吸おうかと外套の内側に手を伸ばしたが、マッチを切らしていたことを思い出してやめた。

 その時だ。

 燃やされる悪夢の繭の中心から、なにか黒いものが飛び出してくるのが見えた。弾かれたように視線で追いかけると、全身にやけどを負った菖蒲が紫色の球体を抱えながら空へと逃げているところだった。


「あいつ……まだ生きてんのぉ!?」

「そりゃ、まあ。生きてるだろうよ」


 ユフィーリアはエドワードの頭を軽く撫でると、


「じゃ、行ってくるわ」

「え、ちょ、ユーリ!?」


 ユフィーリアは走り出す。

 全身が痛いし、正直疲れたし、あとは菖蒲の処理は八雲神やくもがみにでも任せたいところだが、あのアバズレは一発ぶん殴るどころか三度ほど殺してやらなきゃ気が済まなかった。

 だからこそ。

 ユフィーリアは、奥の手を出すことにした。


「――【銀月鬼ギンゲツキ】!! !!」


 叫ぶ。

 すると、目の前に雪の結晶が落ちてきて、ユフィーリアの手のひらに集まる。純白の雪はやがて細長く変形し、そして一つの刀となった。

 ユフィーリアが使っている大太刀よりもほんの少しだけ短く、白鞘に納められた大太刀だった。手の出現したその大太刀を強く握りしめると、ユフィーリアは短く息を吐く。


「――おり空」


 全ての時を置き去りにする。

 音も、動きも、菖蒲の驚愕に染まった表情も。全てを置き去りにして、無音の境地に至ったユフィーリアは白鞘に納められた大太刀を引き抜く。

 瓦礫の山へ飛び乗り、その視線の先に菖蒲を納めてまずは一閃。煌めく刃の色は薄紅をまとっていて、赤い軌跡を残す。

 一度着地したユフィーリアは、白鞘に刀を納めてもう一度。今度は菖蒲の胴体めがけて、切断術を放つ。

 もう一度。今度は菖蒲の首を。

 もう一度。今度は菖蒲の持つ紫色の球体を。

 もう一度。今度は菖蒲の頭蓋骨を。

 もう一度。今度は菖蒲の上半身を。

 もう一度。今度は菖蒲の左腕を。

 もう一度。今度は菖蒲の右足を。

 合計、八度。


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 置き去りにしてきた時の流れが、ようやく追いついた。

 着地したユフィーリアは、抜き放った大太刀の薄紅の刀身を白鞘へとしまい込む。チン、という小さな鍔鳴つばなりのあとに、菖蒲が絞り出すような声で呪詛を吐き捨てた。


「嫌よ……だって……だって、まだ……生きた……かっ」


 菖蒲はそれだけ言い残して、バラバラに砕け散った。

 べちゃどちゃ、と鮮血と内臓が地面へと落下する。生臭さがユフィーリアの鼻孔を突き、あからさまに顔を顰めて嫌悪感を露わにする。


「生きたいって烏滸がましいだろ。裏切っておいて……お?」


 パラパラと火の粉が降ってくる。

 ふとユフィーリアが上を向くと、ユフィーリアが切断術で叩き割った紫色の球体からめらめらと燃え上がる大量の炎が出てくるところだった。

 炎はしばらく主人を探すように空中へ留まり、やがてふわふわと移動を開始する。ようやく主人を見つけたのだろう。これで、ショウが完全体となる。


「……あーあ、短い相棒関係だったな」


 やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、倦怠感の残る体を引きずって仲間のもとへと帰還した。

 遠くでは、勝利を祝う歓声が明け方の空へと響いていた。

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