第7話【再結成】

(――恐ろしいほど体が


 荒れ果てた様子の神宮『斗宿ヒキツボシ』を駆け抜けながら、ショウは自分の体の軽さに驚いていた。

 ショウは軽業師のような身のこなしで舞い踊るように火葬術を使用する戦法を取っていて、その影響でショウの革靴には『重力軽石グラビティ・エア』というものが埋め込まれている。この石は非常に軽く、触れたものを軽くする力を持っている。かつてどこぞの天魔の心臓を加工したものらしいが、その情報の詳細は覚えていない。

 つまり、ショウは革靴を履いている間は重力が軽減されている状態だ。羽のように軽いと言われるのもこの為である。靴を脱げば体重に合わせた重力が全身にかかる寸法となっていて、強風で飛ばされる心配は服の重みでなんとか補っている。

 だが、今までその恩恵は当たり前のように感じていた。与えられたものだから使っていただけで、別にそれほど疑問に思うほどではなかった。

 今は違う。自分の体はこんなに身軽だっただろうかと思うほどだ。革靴に埋め込まれた重力軽石でも、ここまで軽くすることはできないだろう。だから、きっとショウが開き直ったからだ。


「――ッ!!」


 どこかで轟音と、風に乗っておぞましい呻き声が聞こえてきた。

 おおおおお、おおおおお、と深い憎しみと悲しみに満ちたその呻きは紫色と茜色が混ざり合った不思議な色合いの空に反響し、ぴしりぴしりと空にヒビを入れる。

 神宮『斗宿』は国主である八雲神やくもがみが、結界によって人里から隔離した神世の世界だ。その結界は外には感知できないほど巧妙に隠されていて、さらに強固なものだ。それなのに、呻きだけでヒビを入れるとは、それほど結界が脆くなっている証拠だ。


「――急がなくては」


 傾きかけた社の屋根を踏みつけ、ショウは不思議な色合いの空を背にして跳躍する。

 冷たい風が頬を撫で、髪を飾る赤い髪紐の鈴がちりちりと涼やかな音を奏でる。その音を聞いているだけで、体の底から熱い力が湧き上がってくるようである。

 幾度かの跳躍で瓦礫の山を越えて、氾濫はんらんした川を渡り、ショウはそこでようやく見知った背中を発見した。


「イーストエンド司令官!!」


 呼びかけると、紫色のとんぼ玉がついたかんざしで飾られた濡れ羽色の髪が揺れる。振り返った黒髪紫眼の青年――グローリア・イーストエンドは、戦線復帰を果たしたショウを見るなり、その幻想的な紫色の瞳を見開いた。

 そのすぐそばで使い魔に連続して命令を出していた補佐官のスカイ・エルクラシスは「ふぁッ!?」と分かりやすく驚き、大規模な術式の準備をしていたであろう八雲神はその動きを止めた影響で術式が無駄になってしまっていた。

 周りの心情など無視して、ショウは驚きで固まるグローリアに詰め寄る。


「え、しょ、ショウ君!? 君は術式が使えないはずじゃ――!?」

「それよりも、ユフィーリアはどこにいる!? 悪夢の繭に飲み込まれてはいないか!?」


 戦線離脱したはずのショウがまさか復帰するとは思っていなかったらしいグローリアが驚きを露わにするが、胸倉を掴まない勢いでショウは上官へと食ってかかる。普段の彼の態度からでは考えられないぐらいほどの切羽詰まった様子に、グローリアはこれ以上の言及はやめた。

 彼はふいとショウから視線を外すと、幻想的な輝きを宿す紫色の瞳を悪夢の繭へと投げる。つられてショウもそちらへ目を向けると、指先から体温がなくなっていくような錯覚に陥った。

 ぽっこりと膨れた悪夢の繭の幹に、銀色のなにかが張り付いている。それは銀髪で、煌めくその銀の髪の持ち主はショウがよく知る人物だった。

 その相手は幹から伸びた触手に腕と足を絡め取られて、悪夢の繭の中へと引きずり込まれそうになっていた。無理やり腕を引き抜こうともがいているようだが、このまま放っておけば確実に悪夢の繭の中へと飲み込まれてしまう。


「――ユフィーリアを離せ、このアバズレが!!」


 気がつけば。

 ショウは口汚く罵倒すると共に、かろうじて己の中に残った【火神ヒジン】から授けられた回転式拳銃リボルバー――綺風アヤカゼを向けていた。

 問答無用で立て続けに引き金を三度引き、銃口から三発の火球が射出される。ごうごうと燃え盛る火球は寸分の狂いもなく、遠く離れた悪夢の繭に張り付いたユフィーリアを戒める触手を焼き切った。

 支えを失ったユフィーリアは、虚空へと投げ出される。だが、彼女は難なく地面にふわりと降り立つと、遠く離れているにもかかわらずこちらへと振り返り、安堵したような表情を見せた。


「遅えよ、ショウ坊」


 そんな彼女の言葉が聞こえた気がした。


「待たせた、ユフィーリア」


 だからこそ。

 ショウも応じてやる。

 たとえ彼女に突き放されたとしても、彼女が望んでいなくても、ショウはもう二度と彼女の側から離れないと決めたのだ。自分の足で、彼女の隣に並ぶと決めたのだ。

 この日、ショウ・アズマは帰還を果たした。

 戦場に、そしてユフィーリア・エイクトベルの隣に。


 ☆


「まさか、本当に帰ってくるとは思わなかったぜ」


 奪われた【火神】を取り戻すまで、ショウは戦線復帰できないかと思っていたのだ。

 不完全なはずの相棒に救われたユフィーリアは、いつもの調子で軽口を叩きながらやっとこさ安全圏まで帰還を果たした。腕や足に違和感が残り、さらに無理をして呪符なんかも使ってしまったので、色々と痛いし正直もう休みたいところではある。

 無理をしたユフィーリアを労うように腰の辺りに頭突きしてきたエドワードを撫でてやると、ちりんと小さな鈴の音と共に見知った少年がユフィーリアの前に立つ。

 ショウ・アズマ。

 いまだ不完全な状態にもかかわらず、戦線復帰を果たした――ユフィーリアの相棒だ。


「……ユフィーリア、あの」

「もう戦えんのか」


 なにかを言いたそうにしていたショウの言葉を遮って、ユフィーリアは問いかけた。

 色鮮やかな赤い瞳を僅かに見開いたショウだが、すぐに「ああ」と迷いなく頷く。見せつけるように回転式拳銃を掲げ、彼はきっぱりと言い放つ。


「問題ない。多少は出力が落ちるけれど、支援は可能だ」

「そうかい」


 ユフィーリアはショウの肩を軽く小突き、


「だったら、俺の背中は預ける。頼んだぜ、ショウ坊」

「――――ああ、了解した」


 ほんの少しだけ間を置いて、ショウは確かに返事をした。

 これも、彼にとっては命令のうちの入るのだろうか。あのことがあってから、ユフィーリアはショウの言葉を邪推してしまう。彼の言葉が、命令によって紡がれるものかと感じてしまう。

 それでも、ユフィーリアはよかった。

 もう一度彼と戦えることに、心の底から嬉しく思ったのだ。たとえ彼が、命令という二文字で縛られた操り人形だとしても。


「よし、行くぞショウ坊。あのスカした狐っ子の面に一発お見舞いしてやろうじゃねえか」

「ああ、そうだな。狐のソテーにしてやらねば、俺の気が治らない」


 どちらからともなく拳を突き合わせ、今再び、第零遊撃隊が結成される。

 絶望を孕んだ災厄を打ち払う、その時まで。

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