第10話【隣室の正体】
熱い湯を頭から被り、ユフィーリアは乱暴に銀髪をガシガシと洗っていく。しゃああああああ、というシャワーの音に掻き消されてしまうが、鼻歌交じりにユフィーリアは髪を洗う。
誰しも感じることだが、風呂はやはり素晴らしい。海の上に浮かんでいるアクティエラでも熱い湯を浴びることができるとは、かつてこの鋼鉄の浮島を作った偉人は銅像でも建てて後世にまで称賛されてもおかしくない功績を残したと言ってもいいだろう。
艶かしい体の上を泡が伝い落ちていき、排水口に流れていく。性別が男であろうと女であろうと心は男で体は女になろうと、体が綺麗になれば気分も晴れやかになるというもので。
「ふぃーっと」
キュッとシャワーの栓を捻って頭から雨の如く降り注ぐ湯を止めると、ぐっしょりと濡れた銀髪を掻き上げる。寝癖が目立つぼさぼさの銀髪は今や大人しくなり、丁寧に髪の毛を乾かせばきっと質のいい美髪になるだろうが、精神状態が男であるユフィーリアに美髪などという概念はなくただ将来的に禿げなければいいと考えている程度だ。
ふと顔を正面にやると、濡れた鏡が壁にかけられていた。やや曇っているもののきちんと姿を確認することができ、ユフィーリアは濡れた指先で銀色の表面を伝う水滴を拭った。
鏡に映っているのは、銀髪碧眼の自分の顔。――契約した天魔【
「…………あーあ、完全に女だよなァ」
少し寂しそうに呟くユフィーリア。
確かに見た目こそは女であるものの、中身は完全に男の状態なのだ。性的嗜好も女性が対象であるし、エッチなことだって考えてしまうし、なんなら野郎連中と性的嗜好について酒を飲みながら語り合ってしまうし、女性らしさのかけらもない。
男の時の生活を、女の姿のままなぞるという矛盾。誰しもがユフィーリアの外見に騙されて、「詐欺だ」と叫ぶ輩も少なくない。
「いっそ女らしく振る舞った方がいいんかなァ……」
そう言ってユフィーリアは、己の豊かな胸を揉んだ。
【銀月鬼】と契約をした時にもこの馬鹿な行動はやったのだが、指先に力を込めるたびにぐにぐにと弾力のある脂肪の塊が形を変えるのが面白い。あとついでに神経も通っているものだから、多少は変な感じがする。
男なら誰もが一度は通る道をひたすら爆進するユフィーリアは、
「うーん、自分で自分の乳触っても別になんも感じねえ」
そんな阿呆な感想を述べた。
しかしまあ、我ながらかなりの美人であるとは思っている。一〇〇人中一〇〇人は振り返って二度見しそうな、浮世離れした美人だった。ただ口を開けばひたすら軽薄さと屑さを足して
美貌のみならず、体型まで完璧だった。異性はおろか同性すらも
鏡で改めて自分の顔と女の体を繁々と観察していると、唐突に浴室の扉がバーンッ!! と開け放たれた。ちょっと他人に知られたらドン引きされるようなことをしていたので、心臓が口から飛び出そうになった。
「へろー!! へーい、アネゴ!! お背中お流ししやすぜ!!」
「うおーい、随分と情緒もクソもねえ裸の付き合いだな」
そもそも浴槽には湯船すら張っていないのに、狭くてガラス張りの浴室で背中を流すとはこれ如何に。乱入してきたシズクは一体なにを考えているのか。
というか、彼女は気づいているのだろうか。――ユフィーリアが元々は男であるという事実に。
タオル一枚巻きつけることなく同性なのだから開放的で行けとでも思っているらしいシズクは、見事なまでにすっぽんぽんだった。もう色々と見えてはいけないような部分までばっちり見えてしまっているので、エロスのかけらすら感じられない。恥じらいを持てば多少は興奮できるだろうが、恥じらいのはの字すらなかった。
相手はなに一つ悪いことをしていないのだが正座させて小一時間ぐらい説教してやりたい気分に駆られたユフィーリアだが、シズクの刺すような視線に違和感を覚えた。彼女の深海色の瞳はそれこそ刃のような鋭さを宿し、ユフィーリアの一点――豊かに盛り上がった胸部をじっと観察していた。
思わず胸元を隠すユフィーリアだが、腕の防壁を掻い潜ってシズクの手のひらがぐわしッ!! と乳房を鷲掴みにしてくる。果実かなにかのようにもぎ取ろうとしてくる容赦ない手つきに、ユフィーリアは堪らず悲鳴を上げた。
「痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え!! なにシズク、ちょ、やめ、ほんとマジで取れる!! もげる!!」
「もげろォ!! もげてしまえこんな駄肉!! こんなのなくても生きていけるから、むしろ体重軽くなるから痩せて見られるから!! だからこの駄肉をウチに寄越せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「クッソ引き剥がせねえ!? 一体どこからンな力が出てくるんだよ痛えんだから離せっての!! いいことねえぞ、走り回るたびに揺れて痛えし足元見えづらいし自分で揉んだって気持ちよくねえし!? だからやめとけ思い直せ他人からもぎ取れば自分のおっぱいがでかくなる訳じゃねえんだぞ!?」
本気でもぎ取ろうとしているのか、シズクの握力は凄まじくユフィーリアの乳房を掴んだまま離さない。目は血走って呼吸も荒々しく、他人の話を聞かない興奮状態に陥っている為かなにを言っても無駄だった。
いっそぶん殴ってやれば離れるだろうかとユフィーリアは痛みに悲鳴を上げながらも拳を握ると、開けっ放しにされていた扉からマスケット銃を装備した黒髪の少年が颯爽と飛び込んでくる。
「おのれシズク・ルナーティア!! ユフィーリアに乱暴を働くとは何事だ!!」
「黙らっしゃい!! キミも仲間なら分かるでしょ!? 同じつるぺたならこれぐらいのボインになりたいって思うでしょうがよおおおおおおおッッ!!」
「俺は男故に貴様の主張などなに一つ理解できんがその
「ショウ坊、それ俺の台詞な。まあいいけど」
キイイイーッ!! と金切り声を上げたシズクは、鷲掴みにしていたユフィーリアの乳房を卑猥な手つきで揉みしだく。それ以前にもぎ取られない勢いで掴まれていた痛みが勝ったので、なんかもう揉まれたところで気持ちよくもなんともないのだが。
女同士のこういった行動は、青少年には少々刺激が強かったようだった。ショウは顔を赤く染め、目元を手で隠して叫ぶ。そういえばこいつ、平然と浴室に入ってきたのだが常識とかどこに行ったんだろうか。
そろそろ収集がつかなくなったこの場を収める為に、ユフィーリアは多少暴力的な手段に出ることにした。
すなわち、
「いい加減に揉むのをやめろ」
「ふぎゃッ」
シズクの脳天に割と力を込めた拳骨を叩き落とすと、軽い
自分もまた濡れた体を拭く為にタオルを頭から被り、濡れた銀髪をガシガシと乱暴に掻いて水気を取り払う。そして顔を覆ったままあたふたと立ち尽くすショウに、
「おう、もういいぞ」
「すまないユフィーリア、なにも役に立たず――」
彼もまた初日のユフィーリアと同じく、善意で助けに入ってくれただけのようだ。ユフィーリアの言葉を信じたショウが顔を覆っていた手を取り払い、謝罪の言葉を途中まで述べたところで彼は目にしてしまう。
そう、全裸のユフィーリアを。
まだ着替えすら完了させていない状態のユフィーリアは、水滴がまとわりつく体を拭きながらあらかじめ棚に用意しておいた男性用下着に手を伸ばす。それから凍りついたショウを見て首を傾げ、
「おーい、ショウ坊。どうした? 俺の後ろになんかいる?」
ユフィーリアは試しに背後へ振り返ってみるが、洗面台に設置された鏡に映る自分と目が合ったぐらいだった。ユフィーリアには見えないなにかがいるのか。
ショウはくるりと身を翻すと、脱兎の如く浴室から飛び出した。まるで恐ろしいものから逃げるような反応に、ユフィーリアは「ああ!?」と声を上げる。
「おい、ショウ坊!! 逃げなくてもいいだろうがよ!!」
「出てくるな!!」
「ンな見苦しい格好してねえぞコラ!!」
「服を着ろ!!」
「風呂上がりは暑いから着たくねえ!!」
「痴女か!?」
下着一枚を身につけた状態でバタバタと狭い室内を逃げ回るショウを追いかけるユフィーリアは、自分の格好を完全に棚上げにしていた。というか、そもそもショウのウブな反応が面白いからわざとのような気も思えてきた。
それから騒がしいことで苦情がくるまでの約三分ほど、ユフィーリアとショウはたっぷりと追いかけっこをして遊んでいた。生き生きとした表情のユフィーリアに対して、ショウはなにやら疲れ切ったような雰囲気を醸し出していた。
☆
意識の外で、キィ、バタンという扉が開いて閉まる音を聞いた。
「――――――――?」
基本的に眠りが浅いユフィーリアは、即座に反応して目が覚めてしまう。窓から差し込む月明かりがぼんやりと室内を青白く照らしていて、規則正しいショウの寝息にシズクが寝言で「うーん、そっちの天魔は……食べられない」と合いの手を入れる。
確かに閉ざされた扉の向こうで、誰かが動く気配がする。ゆっくりと、誰にも見つからないようにしているのか極力足音を立てないで移動しているようだ。
「……………………」
完全に覚醒したユフィーリアは、素早く己の格好を確認する。いつも寝る時は黒い肌着と男性用下着のみという防御力の低い格好なのだが、宿泊初日でショウにぶん殴られてやめさせられた為に、今の格好はいつも着ているシャツと軍用ズボンというものだった。ショウとシズクに気取られないようにユフィーリアは軍用ブーツを履くと、抱きしめて眠っていた大太刀と布団代わりにしていた外套を抱えて、ユフィーリアは抜き足差し足で部屋を出た。
廊下に出ると、ガラス筒の中に収まった小さな
そしてその輝光石が柔らかな光を落とし続ける廊下を、静かにゆっくりと進む人影が一つ。中肉中背で、明るい茶色の髪が特徴の若い少年だった。
「へえ、こんな夜中にお出かけか?」
冷やかすように言ってやると、少年はあからさまにビクリと驚いて足を止めた。恐る恐るといった様子で振り返った少年は、
少年は困ったように微笑んで、
「えーと、まあ」
「悪い奴だな。それとも、悪い奴とつるんでんのか?」
「悪い人じゃないですよ」
最初の質問に対しては曖昧に答えたのに、二つ目の質問にはきっぱりとした口調で少年は否定する。その声に戸惑いや嘘は見られないことから、ユフィーリアは「ふーん?」と流すことにした。
その言動を続きを促すものだと判断したのか、少年は出かける理由を口にした。
「久しぶりなんです。姉ちゃん、いつも忙しくて会えないから。夜中でも会えるなら会いたくて」
「随分と遅い時間まで働いてるな、お前の姉貴は。親御さんに心配されるんじゃねえの?」
「おれ、親がいないから分かんないです。姉ちゃんに育ててもらったようなものなので」
「そいつァ難儀だな。俺も似たようなモンだから他人のことをとやかく言うこたァねえけど」
そう言って、ユフィーリアは外套を羽織った。羽織っただけで別になにをする訳でもないが、抱えたままだと煙草の箱すら出せない。
「まあでも、こんな夜更けだ。悪い輩に姉貴共々襲われそうになったら『助けて』って叫べよ。聞こえてたら助けてやる」
ユフィーリア・エイクトベルは「助けて」という言葉に忠実だ。誰であろうとその言葉を唱えれば、自分の全てを賭して助けてやらなければと思ってしまう。
冗談のような本気の言葉に、少年は一瞬だけ驚いたような表情を見せ、それから確かめるようにユフィーリアの顔を覗き込んでくる。
「…………本当?」
おずおずと「本当に助けてくれるか?」と問いかけてくる少年に、ユフィーリアは快活な笑みでもって応じた。
「もちろんだ」
「…………うん。そっか。じゃあ、襲われそうになったら大声で叫ぶようにします。これでも大声には自信があるんで」
「おっと、寝てる時にも聞こえてきそうだなァおい」
ユフィーリアの冗談に気が緩んだのか、少年は小さく笑った。彼は「じゃあ、行ってきます」と頭を下げて明かりが落とされた一階へと降りていった。
まさか、昼間に気にしていた隣人があんなに年若い少年一人きりだとは思わなかった。宿泊しているというより、住んでいるといっても過言ではないだろう。昼間に部屋の様子を窺った時の気配は一つだけだったし、姉とやらの姿は宿泊中に見たことがない。実質、彼一人が隣の部屋に住んでいる状態か。
腰に
「宿屋に住んでなにがしたいんだ……?」
「…………どうかしたのか?」
唐突に部屋の扉が開き、隙間から黒髪の少女――いや少年が顔を覗かせる。長い艶髪を結ばずそのまま流していたし口布もしていなかったので、一瞬だけ本当に女の子のようにも見えてしまった。
寝ぼけ眼を擦りながら部屋を出てきたショウは、ユフィーリアの完全武装した格好を頭のてっぺんからつま先まで眺めて、それからムッとほんの少しだけ唇を尖らせた。
「また一人で敵陣に突撃するのか」
「敵陣ってどこだよ。場所が分からねえところに突撃なんざしても意味ねえだろ」
「貴様には前科がある」
「終わった話をいつまでもネチネチと引きずると女の子にモテねえぞ、ショウ坊」
煙草の箱を外套から取り出したユフィーリアは、ふとショウの格好を確認する。
寝ている時は黒い着流しのようなものを身につけていたはずだが、今は見慣れた黒ずくめの格好と拘束具を想起させる全身ベルトを装備している。ユフィーリアがまた敵陣に一人で突撃してしまうと勘違いして、慌てて準備したのだろう。睡眠を妨げるような真似をして申し訳なかったと思う。
ガシガシと寝癖がついた銀髪を掻くユフィーリアは、
「ショウ坊、お目目は冴えちまったか?」
「…………まあ、このまま二度寝しようにも難しいだろうが」
完全に覚醒してしまったらしいショウは、長い髪をポニーテールにまとめながら言う。薄い唇を黒い口布で覆い隠して準備を完了させた彼に、ユフィーリアは悪い笑みと共に提案した。
「夜遊びに興味ねえか?」
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