第13話【増殖する絶望】

【毒婦姫】を貫いた赤い光が、闇の中へ徐々に消えていく。

 あの赤い光は少々特殊で、貫いた対象を容赦なく爆発四散させる効果がある。ユフィーリアも戦場で幾度となく使っている装備であり、【毒婦姫】を最も的確に討伐することができるだろう武器として相棒に預けたものだ。

 銃声もなく、きちんと狙いをつければ外れることはない赤い光線に背後から貫かれた【毒婦姫】は、泣きそうな表情を浮かべてユフィーリアを見下ろしていた。空気を求めるように口をはくはくと開閉させて、絞り出すような細い声で訴える。


「……どうしてぇ……【銀月鬼】ィ……?」

「いやいや、どうしてって」


 もう偽る必要がないので、ユフィーリアはあっけらんかんと言い放つ。


「お前は気づかねえのか? ここにいる俺は確かに【銀月鬼】だけど、正確には【銀月鬼】じゃねえ。見た目だってそんなに似てねえだろ?」


 契約を結んで【銀月鬼】の姿に準じたものにはなったが、ユフィーリアは【銀月鬼】とは違う。【銀月鬼】だったら必ずあるはずの鬼の角がないし、服装だって違うのだ。これだけの違いを残しておいてなおも【銀月鬼】と間違えるのは、彼女はどこまで盲目なのか。

 やれやれとばかりに肩を竦めるユフィーリアは、


「じゃあな、【毒婦姫】。いつか冥府の底で会おうぜ」


 めりめりと貫かれた胸の中心から裂け目が生じて、泣きそうな顔の【毒婦姫】は例外に漏れることなく爆発四散した。パンッ!! と空気を入れすぎた風船が破裂するかのように女体の部分が弾け、鮮血と肉片を撒き散らす。

 花の香りが途端に消え失せて、ユフィーリアはようやく息を吐いた。これで命を削られる心配はなくなる。


「…………終わったのか?」

「うおおあッ!? お前いきなり出てくんなよびっくりするなァ!!」

「? すまない」


 虚空から突然現れたショウに、野太い絶叫を上げて驚くユフィーリア。仕草が完璧に美女のすることではないのだが、残念ながらユフィーリアの心は男性なので気にした様子は微塵もない。

 なんの抵抗もなく着地したショウは、粉微塵になってパレスレジーナ城の前庭に広がる【毒婦姫】の残骸を見下ろして、眉一つ変えずに言う。


「これで終わりなのだろうか」

「さあな。これだけ粉々になってりゃ、再生なんざできねえはずだぜ」


 天魔が驚異的な生命力を持っているのは知っているが、切断されても爆破されても再生するほどの機能は持ち合わせていないような気がする。ユフィーリアは煙草の箱を外套の内側から取り出して、しかし奥底にある違和感が拭えずにいた。

 胸の奥がざわめいている。言葉では表すことができない気持ち悪さがあって、ユフィーリアは「確実に死んだ」と断定することができなかった。咥えた煙草を器用に口の端で揺らすが、本当に【毒婦姫】は死んだのか否かと考えているのに夢中で火を灯すことをすっかり忘れていた。

 一方でショウは、ユフィーリアの言葉を鵜呑みにしてしまったようだった。すでに銃弾を失い無用の長物と化したマスケット銃をくるりと回転させて、銃口をぐちゃぐちゃになった【毒婦姫】の残骸へ向けた。葬儀屋一族アンダーテイカーの火葬を司る天魔【火神】と契約をしたからか、どのような形であれ、死んだ天魔は火葬してやらなければ気が済まないのだろう。彼は特にユフィーリアへ許可を求めることなく、マスケット銃の引き金を引こうとして。


【ユフィーリア、ショウ君!! 今すぐそこから逃げて!!】


 その時、静寂を切り裂くようにしてグローリアの絶叫が耳をつんざいた。

 ショウはふと声の方向を見やり、そしてユフィーリアはほぼ反射的にショウの首根っこを掴むと転がるようにしてパレスレジーナ城の敷地内から飛び出す。

 壊れかけた鉄柵を潜り抜けた瞬間、神経を逆撫でするような悍ましい声が背後から聞こえてきた。


「【銀月鬼】ィ……どうして「こんな」痛いことをするの……?」


 にちゃ、べきゅ、という得体の知れない音が這い寄ってくる。

 縋るような、それでいて黒々とした憎悪を孕んだ女の声は確かに【毒婦姫】のもの。だが彼女は一人だけだったのに対して、何故幾重にもなって声が聞こえてくるのか?


「ユフィーリア、あれは……」

「黙ってろショウ坊、舌噛むぞ!!」


 抱えられているからか背後を振り向く余裕があったショウは、絶望に満ちた声音でユフィーリアの名を呼んだ。振り返る余裕のないユフィーリアはショウの言葉を途中でぶった切って、パレスレジーナ城から距離を取る為に走り続ける。

 本能が告げている――安全地帯に到達するまで振り返ることは許されないと、振り返れば確実に死ぬと。



「ねえ【銀月鬼】ィ……「どう」してェ……こ「んな痛いこと」をするの……?」



「こっちだよぉ、ユーリ!!」

「助かるエド!!」


 真っ直ぐに伸びる石畳を突っ走っていたユフィーリアは、路地裏からひょっこりと顔を出したエドワードの導きによって細い道に飛び込んだ。安全地帯とは言い難いが、それでも背後から聞こえてくる【毒婦姫】の視界から消えたことは収穫と言えようか。

 担いでいたショウを地面に下ろしてやり、ユフィーリアはようやく背後を振り返った。路地裏からほんの少しだけ顔を出して、パレスレジーナ城が聳え立つ方面へと視線をやる。

 白亜の王宮を目の当たりにして、ユフィーリアは咥えていた煙草を落としそうになった。それほど目の前の光景は衝撃を与えるものであり、絶望を押しつけるものでもあった。


「ねえ【銀月鬼】」


 幾重にもなって、声が聞こえた理由が分かった。

 にちゃ、べきゅ、という得体の知れない音の原因も理解した。


「「「「「――――私のこと、嫌いになっちゃったの?」」」」」

 ――討伐したはずの【毒婦姫】が、


 夜風に靡く紫色の蓬髪。虚ろな様子の紫眼に血の気の失せた白磁の肌。髪を振り乱して「【銀月鬼】」と連呼するその姿は、愛する者を亡くしてしまったが為におかしくなった女のようだ。――多分、実際に【毒婦姫】は【銀月鬼】のことを愛してさえいたのだから、表現的には間違っていない。

 五人の【毒婦姫】は口々に奇声を上げながら、王都中に視線を巡らせる。【銀月鬼】であるユフィーリアを探しているのだろうが、その巨躯が仇となってパレスレジーナ城の敷地内から出られないようだ。もう少し小さな体になっていれば、きっと王都全体を駆けずり回ってでもユフィーリアのことを見つけようとするに違いない。

 恐ろしいことに、ぺきゅにちゃという生々しい音は鳴り止まない。飛び散った肉片がもぞもぞと蠢き、急成長を遂げて、膨張して、蛇の体を持つ女の姿へと変貌を遂げる。どういう仕組みで増殖しているのか。


「ちょっとユーリ、あれは一体どういうことなんだよぉ!? ちゃんと仕留めたんじゃなかったのぉ!?」

「仕留めたに決まってんだろ!! お前だって見てただろうが、ショウ坊の放った赤い光があいつの心臓を貫くところ!!」


 詰め寄ってくるエドワードに、ユフィーリアは噛みつくようにして返した。

 確かに死んだと思ったのだ。確かに仕留めたはずだったのだ。そこらの天魔はあんな風に増殖したり分裂したりしないし、ユフィーリアの装備であるマスケット銃の赤い光を食らって無事でいる天魔はいなかった。

 それなのに、あれはなんだ。

 


「ねえ【銀月鬼】ィ!! 答えてよォ!!」「嫌いにならないで」「悪いところは直すから」「もっとお話しましょう」「【銀月鬼】」「【銀月鬼】」「【銀月鬼】」「【銀月鬼】」「【銀月鬼】」「【銀月鬼】」


 何度も何度も繰り返して【銀月鬼】と叫ぶ【毒婦姫】は、さながら母親に置き去りにされた子供のようだ。虚ろな瞳は隠れたユフィーリアを探そうと必死で、金切り声を夜空に響かせる。

 最悪を想定しろとは考えた。

 それでも、この『最悪』は想定の範囲外だ。

 ユフィーリアは咥えた煙草の端をきつく噛む。じわりと舌先に広がっていく苦味がユフィーリアに現実を突きつけてきて、どう打開するべきかと頭を回転させる。だが、この状況を打破する為の戦術が、ユフィーリアの中にはない。

 焦燥に駆られるユフィーリアは、ガラガラとなにかが崩れる音を聞いた。音はパレスレジーナ城の方から聞こえ、もうもうと立ち込める砂埃に本能が警鐘を鳴らす。


「【銀月鬼】どこ?」「探さなきゃ」「見つけなきゃ」「話したい」「だってまだなにも知らないもの」「【銀月鬼】待ってて」「すぐに見つけてあげる」「【銀月鬼】を探さなきゃ」「どこにいるの?」「ねえ」「ねえ」「ねえ」「ねえ」


 パレスレジーナ城を囲む鉄柵を力任せに引き裂いて、ついに一〇体まで増殖を果たした【毒婦姫】がパレスレジーナ城の敷地内から飛び出してくる。一〇体はそれぞれ別の方向へと蛇の体を這わせて進んでいき、王都に隠れるユフィーリアの捜索に乗り出る。パレスレジーナ城から程近い距離の路地裏に身を潜めるユフィーリアたち三人が見つかるのも、時間の問題だ。

 いっそ、囮になるべきか。幸か不幸か、相手が求めている存在は【銀月鬼】であるユフィーリアただ一人だ。せめてエドワードとショウの二人を逃がすことができれば、あとはどうとでもなるか。

 路地裏から飛び出そうとしたユフィーリアだが、それを阻止するかのようにエドワードの大きな手のひらが進行方向を塞いでくる。


「待ちなよユーリ、お前さんの考えは読めてんだよぉ」

「だったら行かせろ、エド。奴さんのご指名は俺だ。俺が出ていきゃ万事解決するだろうが」

「焦ってんのか知らないけど、らしくないねぇ。いいかい、ユーリ。あれは爆破したら増えたんだよぉ? ?」


 ユフィーリアは息を飲んだ。

 エドワードに指摘された通りだ。言われてから気づくとは情けない話だが、【毒婦姫】が増殖した原因は爆破によって粉々にされたからだ。ユフィーリアが行使する切断術は相手を切断して殺すしかできず、増殖する原因をさらに作ってしまうことになる。

 焦燥に駆られていた影響か、自分の術式にすら気がつかなかった。最強の名乗る兵士として、敵前逃亡より恥ずべきことだ。

 すると、遠くの方からときの声が夜空に轟いた。白銀の星々が瞬く空を見上げると、黒い影のようなものが大量に飛んでいる。先ほどから【銀月鬼】を探し回っていた【毒婦姫】は、口々に「なによ!!」「邪魔しないで!!」と叫んでいる。


【こんなところにいたんだ。よかった、無事で。――あと、ユフィーリアが自分勝手な行動に出なかったのも運がよかったかな】


 耳を劈く金切り声と怒号が幾重にもなって王都中に響き渡る中、足元から冷静沈着でありながら穏やかな青年の声が聞こえてくる。見れば細長い蛇の体に余すところなく人間の眼球が埋め込まれた恐ろしい化け物が、ユフィーリアたち三人の足元を這っていた。

 エドワードは「ぎゃあああッ気持ち悪い!!」と叫び、ショウは叫ぶエドワードの口を塞いで黙らせていた。鎌首をもたげる蛇の怪物は、全身に埋め込まれた眼球をぎょろりと一斉にユフィーリアへと向ける。

 平素だったら確実に鳥肌が立っているところだが、今はそんな余裕すらないのか「キモッ!!」と罵ることさえしなかった。


【一応、君の行動を予測した上で言っておく。君が悔いることはないんだよ。作戦に失敗は付き物で、その上でいくつもの策を練っておくのが基本だよ】

「…………励ましになってねえな。成功したようで現に失敗してるしよォ」

【外に連れ出してくれただけでも上出来だよ。ここから先は司令官である僕のお仕事だ。あの程度の天魔を仕留めるのなんて、奪還軍の全員の力をもってすれば簡単だよ】


 彼は励ますつもりで言ったのではなく、それが当たり前なのだと教えてくれようとしていた。事実、作戦通りにコトが運ぶとは思っていない。だからこそ、グローリアは第二第三の策を立てて、臨機応変に対応するのだ。――それはひとえに、天才と呼ばれる彼だからこそなせる技なのだろうが。


【とはいえ、お相手が求めているのはユフィーリアだからね。陽動が見事に空回りしてるよ。なるべく認識を逸らすから、君たちは急いでディアンテ広場にまで戻ってきて】


 以上、とグローリアは乱雑に通信を終了させた。全身に眼球を埋め込んだ蛇の怪物はにょろにょろと身をくねらせて石畳の上を這い進み、暗闇の中に消えていった。

 時間は待ってくれないのだ。こうして呆然としているうちに、同僚の天魔憑きたちは前線で【毒婦姫】と相対を果たしている。いつまでも後悔を引きずっていても仕方がない。

 ユフィーリアは頭の中を切り替える為に外套の内側からマッチを取り出して、ずっと咥えたままの煙草にようやく火を灯した。「ちょっとぉ、人がいるってのにぃ」とエドワードが苦言を呈してくるが、知ったことかとばかりに毒性を孕む紫煙をくゆらせる。

 目が覚めるような苦味が口の中全体に広がっていき、ユフィーリアは思考回路を切り替える。作戦を立てるのは性に合わない、自分はこうして戦場を駆けずり回っている方がお似合いなのだ。


「ッし、まずはディアンテ広場に戻るぞ」

「全くぅ、ようやく吹っ切れたって感じぃ? らしくないことをするから変な空気になるんだよぉ」

「気にすんな。俺は一〇秒前のことは振り返らないって決めてんだ」

「さっきまで五分以上前のことを引きずってたくせにねぇ」


 茶化してくるエドワードのすねを蹴飛ばしてやり、ユフィーリアは指定されたディアンテ広場を目指す為に路地の奥へと足を向けた。

 一歩、二歩と進んでから、ユフィーリアは背後を振り返った。


「おい、ショウ坊。なにしてんだ」

「……………………」


 相棒である黒髪赤眼の少年は、紺碧の空を見上げたまま石像のように動かなかった。その視線は美しい夜空でも眺めているのかと思ったが、方角的に【毒婦姫】が暴れている方から視線を外すことはない。

 すでに弾丸を打ち切って無用の長物と化したマスケット銃を両手で抱えたショウは、ユフィーリアの声に反応して視線を戻す。暗闇の中にポツリと浮かぶ赤い瞳は真っ直ぐにユフィーリアの碧眼を見据えていて、彼は数秒の間隔を置いて口を開く。


「ユフィーリア、頼みがある」


 僅かばかりの硬さを持って紡がれた言葉は、どこか緊張感に満ちていた。

 言い澱むように、されどそれしかないとばかりにショウは二の句を告げる。


「俺を、


 青い瞳を瞬かせる。

 ユフィーリアは薬品の匂いのする紫煙をゆっくりと吐き出して、視線だけで助けてほしい理由を言うように促す。果たして彼にユフィーリアの真意は伝わり、ショウは言葉を選ぶようにゆっくりと理由を口にする。


「【毒婦姫】に対抗できる策はある。だが、実行するには時間が必要だ。最低でも一分は要する。その間、俺に【毒婦姫】を近づけさせないでくれないか」

「一〇体にまで増えてるってのに、お前さんはあれを倒せるって?」


 怪訝な表情を浮かべるエドワードを片手で制して、ユフィーリアは少しだけ考える。

 なるほど、そうか。ショウの火葬術は、生きとし生けるもの全てを焼き尽くす。使いすぎると空腹になってしまうという制限はついて回るものの、逆に言えば空腹になっていなければ無尽蔵に暴力的な劫火を操ることができる。

 切り離したり爆破すれば飛び散った肉片から新たな分身を生み出すのであれば、肉片すら残さずに燃やし尽くしてしまえばいい。――要はスライムを相手にするのと同じだ。

 ユフィーリアはニィと口の端を吊り上げる。確かに奪還軍の戦力を考えれば、増え続ける【毒婦姫】を倒せることができるのはショウ以外にいないだろう。

 いや、それよりも。


「ショウ坊、いいことを教えてやろう」


 彼は確かに告げたのだ。

 ユフィーリアを動かす為の、あの言葉を。


「お前が『命令』という言葉に弱いのと同じように、俺もに弱いんだ」


 腕を伸ばして、ショウの頭をわっしわっしと乱暴に撫でてやる。

 あの言葉たすけてに応じるように。


「――――ああ、任せろ」

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