第三十九幕 トランキア大戦(Ⅴ) ~死守

 西側のヨハニス街道で両軍の主力同士がぶつかり合っている時、東側のダンチラ街道沿いに建つハルファル側の砦でも、現在激しい攻城戦の真っ最中であった。


 ドラメレク率いるガレス軍3000が次々と砦前に押し寄せ、門を打ち破らんと攻撃を仕掛けてくる。既に砦前に張り巡らせてあった堀には、敵軍が持ち込んだ巨大な即席橋が掛けられており、堀としての役割は殆ど果たしていなかった。


「また衝車が来るぞ! 門に近付けさせるな! 弩砲用意!」


 敵陣の後方から何人もの兵士に押された衝車が現れ城門目掛けて突進してくる。それを見て取った城壁上のアーデルハイドは麾下の兵士に指示し、城壁に備え付けてある弩砲で衝車を押している兵士達を狙う。だが敵も周りに防備の兵士を置いて、頑丈な大楯で矢を防いでくる。それでも強力な弩砲によって何人かの楯兵が吹き飛ぶが、衝車を破壊するには至らない。その間に城門との距離を詰める衝車。


「くそ! 弓を渡せ!」


 アーデルハイドは歯噛みすると近くの弓兵から弓矢を拝借して、自ら敵に狙いを定める。フェイルノート流破弓術の免許皆伝である彼女の矢は、狙い過たず大楯の僅かな隙間をすり抜けて、次々と衝車を押す兵士達を射殺していく。


 一時的に衝車の動きが止まるが、すぐに周りの兵士が代わりに押し始める。やはり衝車自体を破壊しなければ焼け石に水だ。


 城壁の下ではガレス軍の兵士達が次々と取り付いて梯子を掛けては登ろうとしてくる。その度に城壁の上から矢を射かけたり岩や熱湯などを落として妨害する。


 城壁の前はかなり混沌とした様相を呈していた。しかも敵軍は砦の側面にまで回り込んで梯子を掛けようとしてくる。正面の敵はアーデルハイドが受け持っており、両側面にはそれぞれミリアムとファティマが担当して防衛戦を指揮していた。


 因みにアナベルの姿はない。彼女はファティマからとある任務を言い渡されており、この場にはいなかった。



 やがて敵の衝車が城門前に取り付いて、門に対してその巨大な破城槌を打ち込んでくる。轟音と共に城壁上にいるアーデルハイド達の元にまで振動が伝わる。


「油だ! 早くしろっ!」


 既に用意してあった油壷は粗方使い尽くしており、後方の兵に命じて新しい油壷を作らせていたが、それよりも敵の攻撃のペースの方が激しい。


 ドラメレクはこの間にも本陣の後方で次々と新たな攻城兵器を組み立てており、なまじそれが城壁の上から見えるだけに焦ったアーデルハイドは苛立ちながら催促する。


 怒鳴られた兵士が慌てて即席の油壷を持ってくる。他にも何個か出来たそれらを兵士達と共に、眼下の衝車に向かって投げつける。大楯で矢は防げても、液体の油までは防げない。油に塗れた衝車に向かって火矢を撃ち込んでやると、勢いよく炎上した。これで既に3台の衝車を破壊している。


 燃え上がる衝車を見て周りの兵士が何人か歓声を上げる。そしてその内の1人の喉に、下の敵兵から放たれた矢が突き立った。


「……っ!」

 城壁の外に落下していく兵士を尻目に、アーデルハイド達は慌てて身を伏せる。城壁の上であっても安全という訳ではない。



「お姉様!」


 その時ミリアムが兵士達を引き連れて駆け付けてきた。


「ミリアム! 右側面の防備はどうなっている!?」


「あちらに回り込んだ敵部隊は粗方撃退できました! 梯子などは全部破壊できたので、後は兵士達に任せていても大丈夫だと判断して正面の応援にきました」


「そうか、よくやってくれたな、ミリアム!」


 アーデルハイドは義妹の頭を乱暴に撫でる。すると同じタイミングで左側面からファティマも駆け付けてくる。砂漠人らしくパルージャ帝国の鎧を女性用に改造したと思われる、異国風味に溢れる鎧姿であった。


「こっちも何とか凌げましたよ! 兵士達の一部はそのまま警戒に当たらせてます」


「ファティマ殿! よくやってくれた!」


 これで正面の防備にも余裕ができる。そう安心したのも束の間、ミリアムが城壁の向こう、敵軍の本陣の方を指差す。



「お、お姉様……向こうから何かやってきます!」

「……! あれは……」


 敵の本陣から兵士達の波を掻き分けるようにして進み出てきたのは、いくつもの高く聳え立つ攻城兵器。シルエットからして衝車ではない。


 まるで物見の塔か櫓のような構造物の下に車輪が付いていて、それが兵士達によって牽引されている。櫓の上には弓を構えた沢山の兵士が乗っている。


「あれは、井蘭せいらんか!」


「後ろには梯子も付いているようです。雲梯としての役割も兼ねているようですね。あれに取り付かれたら厄介な事になりますよ!」


 ファティマの警告。頂上の櫓の部分から広い板を城壁の間に渡して、簡易的な進入路を作ってしまう事が出来る。ざっと見ただけでも4台ほどの井蘭がこちらに向かって進んできている。あれ全部に城壁に取り付かれたら大変な事になってしまう。


「皆の者、怯むな! 落ち着いて1台ずつ破壊していけば問題ない! 油壷で破壊を担当する班と、櫓上の敵兵を牽制する班の2つに分かれるぞ! 残りは引き続きそれ以外の敵に当たれ!」


 面の圧力で迫ってくる巨大な井蘭の陣容に動揺する味方の兵士達を鼓舞するアーデルハイド。そして矢継ぎ早に指示を繰り出す。混乱している時は、とにかく力強い調子で指示を与えてやるのが効果的だ。事実パニック寸前だった味方の兵士達はまるでその命令に縋るかのように、率先して指示通りに動き出す。


 アーデルハイドとファティマは井蘭の破壊に回る。ミリアムには引き続き井蘭以外の敵の防衛を指揮してもらう。


 そうこうしている内に最寄りの井蘭の一台がこちらの射程範囲内に踏み込んできた。


「牽制班は射撃開始だ!」


 アーデルハイドは自らも弓を取りながら号令を掛ける。牽制班に抜擢された他の兵士が斉射を開始する。だが同時に井蘭の櫓上にいる敵兵達もこちらに向かって一斉に矢を放ってきた。


「……!」

 忽ち城壁と櫓の上で矢の雨の応酬となった。周囲で味方の兵士が何人か敵の矢に倒れる。しかし狭い櫓の上で数も限られている敵兵の方が被害が大きい。矢の応酬はこちらが有利だが、こうしている間にも他の3台の井蘭が迫ってきている。悠長にしている時間はない。


「よし! 投擲開始します! 櫓の中腹部分を狙って!」


 それを重々承知しているファティマが敵の斉射の弾幕が弱まったのを見て取って、素早く破壊班に指示を出す。次々と油壷が投擲され、敵の井蘭に付着していく。大きな構造物の全てを油で濡らす事は出来ないので、火をかける部分を絞る。ファティマは見本を見せるように率先して井蘭の中央部辺りに油壷を投げつけた。


 そして充分油に塗れた事を見て取ったアーデルハイドが、その部分に抜群の射撃で火矢を撃ち込む。瞬く間に引火して中央部が燃え上がる井蘭。櫓上に残っていた兵士はパニックになって我先にと降りようとする。しかし押し合いへし合いになってほとんどの兵士は足を踏み外して落下していく。それを追うように燃え上がった井蘭が崩れ落ちていった。


「気を緩めるな! 残り3台、同じ要領で行くぞ!」


 燃え落ちる井蘭に歓声を上げる兵士達を制して、素早く発破をかけるアーデルハイド。実際に1台破壊した事で自信を持った兵士達は皆、高い士気で次の井蘭に相対しようとして……



「――危ない! 避けてぇっ!!」

「……っ!?」



 ファティマの絶叫。咄嗟に反応できたのはアーデルハイドの他、彼女の周りにいた兵士数人だけだった。それ以外の班員達は……


 ――恐ろしい轟音と共に飛来した何か・・の直撃を受けて、跡形も無く吹っ飛んだ。いや、人だけではない。それが着弾・・した城壁部分が大きく破損してえぐり取られてしまっていた。


 咄嗟に反応して退避したアーデルハイド達の上に、砕けた岩の破片が降り注ぐ。



「な――――」


 衝撃が過ぎ去ってから顔を上げたアーデルハイドは思わず絶句していた。一瞬何が起きたのか解らなかった。だが……


「アーデルハイド殿! あれを……!!」

「……っ!」


 ファティマが指差す先……ガレス軍の本陣の後ろにある簡易兵器組立所。そこに出来上がっていた物・・・・・・・・・を見て、彼女は目を瞠った。


 それはいわゆる投石機カタパルトと呼ばれる攻城兵器の一種であった。弾力やてこの原理を利用して、本来人力では到底運用できないような巨大な岩や金属の塊などを遥か遠くの標的に向かって投擲する機械だ。


 今のように攻城戦に於いては絶大な威力を発揮するが、その矢玉・・の管理や持ち運びが難しく煩雑であり、この中原ではあまり大規模な運用は為されていなかった。アーデルハイドも知識としては知っていたが、まさかこのような辺境の戦で見る事になるとは思ってもいなかった。


「おのれ……ドラメレクめ。まさか投石機なぞを用意していたとは……!」


 アーデルハイドが歯噛みする。敵の弾薬の量にもよるが、このままでは一方的に狙い撃ちだ。迫りくる残りの井蘭にも対処しなければならないというのに、投石機の威力を目の当たりにした他の兵士達が動揺し、動きが停滞してしまっている。


 ミリアムが他の兵士達を必死に鼓舞しているが、中々全軍の立て直しまでには至らない。しかも……


「マズいですね。奴等、2機目・・・の投石機を組み立て始めているようです」


「……っ!」


 ファティマが指し示した先では、確かに既に稼働している投石機の横に、新たに機械が組み立てられ始めていた。形状からして明らかに同じ投石機だ。アーデルハイドは青ざめた。この距離からでは弩砲も届かない。


 2機の投石機から一方的に砲弾を撃ち込まれ続ければその被害は甚大な物となってしまう。兵士達の士気もどん底まで落ち込むだろう。そこに3機の井蘭が取り付いて、敵兵が侵入してきた日には……


 陥落という2文字がアーデルハイドの頭をよぎった。


 マリウスやヴィオレッタからこの砦を任されているのだ。絶対に陥落させる訳にはいかない。第一ここで自分達が敗れれば、ドラメレクの軍勢は一気にセルビア領内に侵入して、手薄になったハルファルやディムロスを占領してしまうだろう。そうなったらマリウス軍自体が瓦解して滅亡する事となる。


(それだけは絶対に阻止せねばならん……!)


 アーデルハイドが使命感に燃えて打開策を必死に考えていると……



「アーデルハイド殿。あなたは井蘭に集中して下さい。私は彼女・・に合図を送ります。投石機は彼女に何とかしてもらいます」


「……! そうだな。頼む、ファティマ殿」


 流石に投石機は想定していなかったが、このように追い詰められた事態に備えてファティマは一つ手札を用意していたのだ。勿論事前にそれを聞いているアーデルハイドはすぐさま許可した。


 頷いたファティマはすぐさま合図を出す為に駆け去っていった。それを見届けてアーデルハイドは投石に動揺する兵士達を鎮め、井蘭に対処する為に声を枯らして兵士達に指示を出し始めた。

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