第二十三幕 麗武人母娘(Ⅶ) ~母の決意

 

「おのれ……まさか騎馬隊の奇襲すら囮の三段構えの作戦とは……。まさか最初からこれを狙っていたのか?」


 立ち昇る黒煙を戦場から見上げながらロルフが唸る。何とか立てるまで回復したビルギットが剣を構えつつ肯定する。


「当然! あの数の差じゃこれしか勝ち目がないからね! 大軍には大軍の弱点があるって事さ!」


「我等の目的は最初から、お前達の注意を惹いてこちらに釘付けにしておく事だけだ。我等は実に手頃な獲物に見えただろう?」


「……!」


 アーデルハイドの言葉にロルフは苦虫を噛み潰したように眉をひそめる。それから彼女達から距離を取るように後ろに下がり始める。


「……見事にしてやられたな。退却だ」


 だがその判断にゲオリグが異を唱える。


「こぉら、待てぇい! 後もう少しでこやつらを倒せるというのに逃げる気か!?」


「……このまま全ての兵糧が焼かれれば、我等はこの敵地で糧食確保の当ても無いまま餓死だ。少なくとも俺はそんな死に方は御免こうむる」


 だがこの戦に対しての意欲もゲオルグへの義理もないロルフは、素気なくゲオルグを見限って無情にも勝手に退却を始めてしまう。当然指揮官の退却を認めた兵士達も、兵糧が焼かれた事を知って士気が極限まで下がっていた事もあって、これ幸いとロルフを追うように退却していく。



「あ、こら、待たんか貴様ら! ……ぬうう! 今一歩の所で! 覚えておれよ!?」


 実行戦力が退却してしまってはゲオルグに打つ手はない。視線だけで殺せそうな程こちらを睨みつけると、自身も慌てて撤収していった。


「最近物忘れが激しくてねぇー……って、もう聞こえないか」


 渾身の自虐ネタを披露しようとしたビルギットだが、既にゲオルグ含めて全員一目散に退却していった後で、誰も聞く者がいない事を悟って肩をすくめるのだった。

 


****


 

「ふぅぅぅ……! 何とか勝てたねぇ! 一時はどうなる事かと思ったけど」


 戦場を撤収して、拠点としている村の前に張った陣まで戻ってきたビルギット達。そこで私兵達に解散の指示を出してようやく一息吐いたビルギットが義娘を顧みる。


「うむ、全くだ。……しかしあの寡兵で3倍近い敵軍をあれだけの時間食い止めるとは、その卓越した用兵能力は衰えていないようで安心したぞ」



 場所は天幕内。右肩に包帯を巻いた姿のアーデルハイドが腰掛けている。義娘からの評価・・に苦笑するビルギット。


「そういうニーナも、独立当時より更に用兵に磨きが掛かったようだね。やはり勢力に所属して戦を経験してきた事が大きいのかな?」


「勿論それもある。だが、やはりマリウス殿の側で色々学べた事が大きい気がする。あの方は色々な意味で大きな器を持った人物だからな」


「ほほーう?」


 娘の口調に何かを感じ取ったのか、ビルギットが面白そうな表情になる。するとアーデルハイドは若干慌てたように付け加える。


「な、何か勘違いしていないか? 私はあくまでマリウス殿を1人の武人、武将として尊敬しているのであって、決してそれ以外の感情がある訳では……」


「へぇ? 私、別に何も言ってないけど?」


「……っ!!」

 墓穴を掘った事を悟ったアーデルハイドが、髪や纏っている鎧にも劣らない程に顔を真っ赤にして口ごもる。


「あはは! 冗談だよ冗談! でも……これは冗談抜きに、あの堅物のニーナをここまで入れ込ませた・・・・・・マリウス殿というお人に私も興味が出てきちゃったかなぁ?」


「ぶっ!? は、義母上……!?」


 別の意味で増々慌てるアーデルハイド。そうして母娘が楽しく談笑(?)していると……




「お姉様っ!!」


 元気の良い少女の声と共に、こちらに駆け寄ってくる軽快な足音。振り向いたアーデルハイドの相好が崩れる。勢い込んで天幕に入って来たのは……


「おお、ミリアム! よくやったな、素晴らしい働きだったぞ!」


 立ち上がって両手を広げて義妹を迎え入れる体勢になる。右の肩口は負傷しているはずなのに完全に忘却の彼方のようだ。


「お姉様! は、はい! 私、頑張りました! 見ていて下さいましたか!?」


「勿論見ていたとも! お前は私の誇りだ! 街に戻ったら何でも好きな物を買ってやるぞ!」


「お、お姉様……嬉しい! でも、私、お姉様のお役に立てればそれだけで……!」


「おお、ミリアム! 可愛い奴め!」


 相好を崩しまくったアーデルハイドが感極まったように義妹を抱きしめる。


「お姉様! 大好きです!」


 ミリアムも負けじと抱き返す。完全に姉妹2人だけの世界に入っているようだった。取り残され、忘れ去られたビルギットが唖然とした様子になっていたが、やがて苦笑しつつ咳払いする。



「あー……おほん! ……うん、まあ。私も人の事言えないけど、君等も中々だと思うよ?」


「……!」

 それによってようやくビルギットの事を思い出したらしく、ミリアムが慌てて居住まいを正した。


「す、すみません、お義母様! お見苦しい所を……」


「いや、まあ、いいんだけど……。でもよくやってくれたというのは私も本心から思うよ。今回の戦の第一功労者は間違いなく君だよ、ミリアム。ニーナが言っていた通り、君はもう一人前の武将なんだね。私も認めるよ」


「お、お義母様……」


 手放しの賛辞にミリアムは頬を紅潮させて瞳を潤ませる。そのやり取りを見ていたアーデルハイドも真顔に戻って椅子に腰掛け直す。



「うむ……。さて、義母上。あれが今、私達が戦っている敵だ。しかも奴等はあれで雑魚の部類だ。スロベニアには君主のガレスを始めとしてもっと手強い相手は大勢いる。正直命の保証は出来ない難敵だ。それを踏まえた上で改めて問いたい。本当に我が軍に加わって共に戦ってくれるのか?」


 誤魔化しや茶化しを許さない真摯な目線と口調。ミリアムも心配そうにビルギットを見やる。ビルギットは敢えて即答はせずに、一旦目を閉じてから言いたい事を整理して再び目を開ける。


「……何度問われても答えは変わらないよ。相手がどんな強敵だろうと関係ない。いや、むしろ手強い相手だからこそ尚更君達の力になりたい。子供が本当に困っている時に助けない母親なんて居ないさ」


「……っ!」

 逆に真摯な瞳で見返されてアーデルハイドが動揺したように視線を逸らす。その頬は少し赤らんでいた。



「あ、ありがとう、ははう……いや、お、お母様・・・

「……!」


 頬を掻きながら照れくさそうに自分をそう呼ぶ娘の姿に、ビルギットは目を見開いた。それからすぐにその目が嬉しそうに垂れ下がる。


「うぅーー! やっとそう呼んでくれたね、ニーナ! 久しぶりに会ったというのに、ずっと堅苦しい他人行儀な呼び方で寂しかったんだよ!?」


 切実に訴えてくる義母の姿にアーデルハイドは狼狽える。


「そ、それは仕方ないだろう? 私も今や武官としてマリウス軍に仕える身なのだ。いつまでもあなたの娘だけでいた頃のようには――」


「――駄目! せめて家族だけでいる時はお母様って呼んで昔のように甘えてくれなきゃ、今回の話は無いよ!?」


「え、ええっ!? そんな無体な……」


 頬を膨らませてそっぽを向く義母の姿に、アーデルハイドは困り果てた様子になる。ビルギットの実年齢や経歴から考えたらあり得ないような子供っぽい仕草だが、不思議と彼女の気さくな雰囲気には合っていた。



「ぷ……あははは! お姉様! これは観念してお義母様に甘えるしかなさそうですね?」


「お、おい、ミリアム。他人事だと思ってお前なぁ……」


 情けなさそうな義姉の様子に増々可笑しさを募らせたミリアムは、ビルギットに向き直った。


「安心して下さい、お義母様! 私が責任を持ってしっかりお姉様を甘えさせますから!」


 そう言って小さな胸を叩くミリアム。その姿にビルギットは目を細めた。一転して嫌な予感に襲われたミリアムが慌てて距離を離そうとするが……


「うぅ! やっぱりミリアちゃんも可愛いぃぃっ!! ミリアちゃんもお母さんにうんと甘えていいんだからね!?」


 ……一足遅く、義母に捕まって・・しまった。力一杯抱きしめられて頬擦りされる。


「きゃああっ!? た、助けて、お姉様ぁっ!」


「ははは、これはミリアムも他人事ではなさそうだな!」


 必死の形相で姉に向かって助けを求めるミリアムの姿に、アーデルハイドは実に楽しそうに声を上げて笑っていた。






 こうしてアーデルハイドの育ての親でもあり、帝国の優秀な将軍でもあったビルギットが新たにマリウス軍に加わった。また彼女だけでなく今回の戦を共に戦ってビルギットやその娘達に心服した私兵達も、共に軍に加わってくれた。


 新しい家族に囲まれ幸せを得たアーデルハイドは、来たるべき戦に備えて増々意欲的に太守の仕事に精を出していくのであった…… 

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