第二十幕 麗武人母娘(Ⅳ) ~青藍の麗将軍

 街道も無いような道なき道を行軍してくる軍隊があった。ガレス軍の旗を掲げたその軍隊は優に1000程はいるようだった。ただ辺境の村々を蹂躙するだけには明らかに不釣り合いともいえる陣容。


「……おーおー、いるわいるわ。予想以上の大軍だねこれは。それだけ私の事を脅威に思ってくれてるんだと喜ぶ所かなここは?」


 迫ってくる敵軍の陣容を、小高い丘の上から遠目に眺めているビルギットが口笛を吹いた。その姿は勿論平服ではなく、帝国時代に愛用していた蒼を基調とした女性用の甲冑姿であった。腰には直剣も佩いている。


「油断するなよ、義母上。これだけの大軍、あくまで文官であるゲオルグ1人の手には余る。確実に指揮官の武将が他にいるぞ?」



 その横に義娘であるアーデルハイドが並び立つ。当然その身にはいつもの真紅の鎧を纏っている。蒼と紅、2人の麗武人が並び立つ姿は非常に絵になる光景で、ある種の神々しさすら感じさせる物だった。


 その光景は彼女らの後方に付き従う私兵達の士気を増々高揚させる物だったが、勿論本人達にそんな自覚はなく、後方からの熱っぽい視線には気付かず母娘で会話を続けている。


 因みにこのハルファルの太守であるアーデルハイドが客将となる事に不満を持つ者は誰もおらず、私兵への紹介と編成は実にスムーズに行われた。


 ビルギットの呼び掛けに呼応して集まった私兵達は全部で400ほど。敵兵力が1000と仮定しても半分以下しかいない事になる。本来は絶望的な戦力差のはずだが……



「誰に物を言ってるのかなぁ? しばらく見ない間に生意気になっちゃって!」


 おどけたように言って娘の鎧を小突くビルギット。小突かれたアーデルハイドの方も苦笑している。そこにこれから倍以上の敵軍と一戦交えようという絶望感などは微塵も無かった。


「大体ニーナ達こそ大丈夫なのかい? この戦の肝はあの子が握ってるような物だよ?」


「……問題ない。ミリアムも今では立派なマリウス軍の将の一員。単身で部隊を率いるのはこれが初めてとなるが、あの子は必ずや自分の任務を成し遂げてくれるはずだ」


 内心ではどう思っているのか分からないが、少なくとも外見上では一切不安も心配も憂慮も見せる事無く、絶対の信頼を滲ませて頷くアーデルハイド。ビルギットはその姿を眩し気に見やる。


「……本当に頼もしい娘達だよ。さて、それじゃ私達も負けないように迎撃の準備を整えるとしようか」


 ビルギットの号令にアーデルハイドも私兵達も頷いて、ガレス軍を迎撃する為の編成を素早く整えていった。



****



 ゲオルグの軍……


 地面を無遠慮に踏み鳴らす馬蹄や軍靴の音が響き渡る。ガレスやミハエルの許可を取ってスロベニアから率いてきた約1000人の軍隊だ。その先頭を歩くのは2騎の騎馬。


「ぬふふ……ビルギットめ。多少は兵を集めたようだが、あの程度では話にもならんわ。帝国の女将軍だか知らんが落ちぶれたものよ」


 遠目に見えてきた恐らくはビルギットの私兵達の布陣を眺めながらゲオルグが嗤う。そして隣で歩を進める武人の方に視線を向ける。


「ロルフ! あの女は……ビルギットは絶対に殺さずに生かしたまま捕えろ。儂を虚仮にした報いを受けさせてやる」


 居丈高に命令された武人――ロルフが顔を僅かに顰める。


「ゲオルグ殿……如何にミハエル様の友人とは言え、私はあなたの部下ではないのだがな」


 するとゲオルグがその厳つい顔でギロッと睨み付ける。


「えい、うるさい! 儂はミハエルから正式に次席軍師・・・・の地位を貰ったのだぞ!? 戦いしか能のない武官風情が生意気を抜かすな! お前は黙って儂の言う事を聞いておれ!」


「…………」


 元々感情や自己主張に乏しいロルフはそれ以上不平を漏らす事無く、ただ増々顔を顰めて前方に向き直ってしまう。それに目をくれる事もなく、ゲオルグは眼前のビルギットの軍に昏い悦びを湛えた瞳を向けている。


「ぬふふ……あの程度の小兵、一息に揉み潰してやるわ。あの女め……捕えたら儂自らじっくりと拷問しながら嬲り殺しにしてくれるわ」


 確実に訪れるであろうその場面を想像し、ゲオルグは堪え切れないように陰気な嗤いを漏らすのであった。



****



 そして遂に対峙した両軍。ゲオルグ軍は白昼にも関わらず堂々と進撃してきた。倍以上の兵力差を誇るが故の自信の表れでもあった。ただし最低限落とし穴などの罠を警戒する頭はあったようで、歩兵を前面に押し立てた行軍突撃であった。これなら最前列が罠に引っ掛かったとしても、すぐに行軍を停止して被害を最小限に留められる。騎兵による突撃は突貫力は抜群だが、こうした罠に弱いという側面があるのだ。


 果たしてビルギット軍は予め落とし穴を誂えてあった。が、敵は最小限の被害のみで落とし穴を乗り越えて進軍を再開してきた。


「ふう……ま、山賊とは違うんだ。流石にこれで被害を受けてくれる程甘い相手じゃないね」


 その様子を見ていたビルギットは溜息を吐くと気合を入れ直して、兵士達を振り返った。


「ようし、行くよ、皆! あの数相手に勝つ必要はない! とにかく自分が生き延びる事、一秒でも長く敵軍を釘付けにしておく事を優先するんだ! 私の指揮に従っていれば間違いはない! 皆の命、私に預けてくれっ!」


「「「応っ!!!」」」


 敬愛する女将軍からの発破に、私兵達が気勢を振り上げる。士気は充分だ。後は作戦通り戦うだけだ。



 接近してくるゲオルグ軍にありったけの斉射を浴びせる。だが数が違う上に前列の歩兵達は斉射対策に大楯を所持していたので、その被害は微々たる物であった。


「よし、弓はもういい! 全軍突撃! なるべく敵に密着するんだ!」


 ビルギットの号令により弓を構えていた私兵達も弓を捨てて剣を取り、一丸となって敵に突撃する。


 彼女は斉射の効果が殆ど見込めないと判断した時点で、全戦力を歩兵に投入する判断を下したのだ。となればそのまま陣に留まっていても数に倍する敵の斉射の良い的なので、ビルギットは躊躇う事無く全軍突撃の号令をかける。


 敵の後陣からの斉射の矢を潜り抜けて、ビルギット軍は遂に敵の前列と接触する!


 忽ち混乱が巻き起こるが混乱しているのはゲオルグ軍の方だけで、ビルギット軍は少数ながら高い士気とビルギット自身の的確な指揮によって見事な統制を保ったままであった。


「一箇所に固まれば斉射の餌食だ! 常に敵を盾にする位置取りを心掛けるんだ!」


 ビルギットの部隊は円陣を組むような形で、四方八方から迫ってくる敵の圧力を受け止めつつ、どこかに穴が出来そうになるとビルギットは素早くそれを察して内側から後詰の兵を補充して穴を埋める。下がらせた兵は内側で極力回復に努めて後詰として控える。


 そしてその間にも斉射の的にならないよう部隊全体が一つの生き物のように移動して細かく位置を変えながら戦いを続けていた。



 自分達の数倍は規模の大きい敵軍を相手に、極めて粘り強い指揮で持ち堪えるビルギット。


「とはいえ……流石に3倍・・以上の数の差はキツイね……! やはり兵法の基本は多数を持って少数に当たる事だね!」


 そんな粘り強い戦を既に20分以上は継続しているビルギット。3倍の敵軍相手にそれだけでも本来あり得ない驚異的な事象であったが、流石に限界が近付いているらしく、その顔には疲労と焦燥が強く滲み始めていた。部隊の穴が空く間隔も、ビルギットの采配が追い付かなくなりつつあった。最早決壊間近である事は明らかだ。



 そしてそれを見て取って、前線に姿を現した者があった。


「ぬふふ……いい様だな、ビルギットよ。今更後悔しても遅いぞ?」


 一応この敵軍の総大将であるゲオルグであった。当然文官服ではなく鎧に身を固めているが、彼の外見からするとその方が余程違和感がなかった。


「……っ! ゲオルグ、前線に出てくるなんて迂闊だね! ここでお前を討ち取れば……!」


 総大将を失えば敵軍は一気に瓦解する可能性もある。何よりガレス軍の一員であるゲオルグを討ち取る事は、娘達にとってもメリットが大きい。


 ビルギットは剣を振りかざすと、不用意に前線に現れたゲオルグ目掛けて一気に突き進んだ。ゲオルグは何故か逃げる事もなく口の端を歪めている。


「しゃっ!!」


 躊躇う事無く剣を一閃させるビルギット。隠居していたとはいえ、元々治安の良くないトランキア州である事。隠居後も軍略や兵法だけでなく、剣の鍛錬も欠かさずに継続していた。いくら体格が良くともあくまで文官であるゲオルグに防げるような一撃ではない……


「ふん!」


 ……はずだった。ゲオルグが目にも留まらぬ速さで掲げた剣が、ビルギットの一撃を見事に受け止めていた。


「何……!?」


「ふん……残念だったな! これでも剣は相応に鍛えておるのでな! むしろ誘き出されたのは貴様の方よ」


「……!」

 予想外の事態に動揺するビルギットに対して、ゲオルグは嗜虐的に嗤いながら反撃に転じる。


 その体格に見劣りしない剛撃。咄嗟に剣で受け止めたビルギットの腕が痺れる。


「く……!」

「ぬふふ! ほれ、どうした!? 顔が引き攣っておるぞ!」


 武官のお株を奪うような息も付かせぬ連撃に、ビルギットは忽ち防戦一方に追い込まれる。ゲオルグの剣を受ける度に腕の痺れが強くなり、反撃もままならない。



「勝負あったなぁ、生意気な女風情が。拷問した上で犯しぬいてから殺してやる。儂を怒らせた事を後悔するがいいわ!」


「この……変態親父が! でも、そんな事言ってられるのも今の内だよ……?」


「何ぃ?」


 追い詰められているはずなのに、額に脂汗を滴らせながらも不敵に口の端を吊り上げるビルギット。その態度にゲオルグが不審を覚えたのも束の間、事態は動いた。


 ――ドドドドッ!!


 迫ってくる馬蹄の音が轟いたかと思うと、ゲオルグ軍の後陣から混乱の叫びや悲鳴、そして剣戟音が鳴り響いてくる。後陣には斉射を続ける弓兵部隊がいたはずだ。その弓隊が何者かによって襲われているのだ。ゲオルグ軍の斉射が止まる。

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