第三十四幕 ハルファル侵攻戦(Ⅱ) ~女達の戦い
ディムロス軍は中央に総大将のアーデルハイド、右翼にソニア、左翼にジュナイナという陣形で、ハルファル軍の攻勢を受け止める。ハルファル軍は騎兵を先頭に中央に戦力を集中させて、敵陣の突破と分断を図る、いわゆる魚鱗陣で攻め寄せる。中央にいる総大将のアーデルハイドを集中的に狙って討ち取る目的もあるようだ。
敵軍2500の突撃をほぼ一手に引き受ける事となったアーデルハイドの中央部隊は、彼女の卓越した守備能力を以ってしても到底抑えきれるものではなく、ディムロス軍の中央は敵陣に斬り込まれて既に大混乱の様相を呈していた。
「ぐ……皆、堪えろ! ここさえ耐え抜けば勝機が見えてくるはずだ!」
自身も剣で目の前の敵兵を斬り倒しながら、僅かに出来た間隙に声を枯らして叫ぶ。しかし周りの兵士達も既に敵と切り結んでおりその鼓舞に答える余裕もない。剣戟音と怒号、悲鳴がそこら中に響き渡る。
声を上げた事で注意を引いたアーデルハイドの背後から敵兵の槍が迫る。
「お姉様、危ない!」
しかし小さな影が、更にその敵兵を後ろから剣で刺し貫く。
「おお、ミリアムか! 良い働きだ! 背中は任せるぞ! 決して私から離れるな!」
「は、はい! お姉様!」
2人は背中合わせに互いの死角を補いながら敵と斬り結んでいく。以前に一度戦場を経験してからのミリアムの成長ぶりは著しく、まだ部隊の指揮が出来る程ではないものの、こうして戦場の空気に呑まれずに敵と戦う事は出来るようになっていた。
統率や指揮に関しては軍で最も優れている姉に未だ師事しているものの、剣術の訓練に関しては姉だけでなくソニアやジュナイナ、キーア、そして時には君主たるマリウス自身にも積極的に手ほどきを頼み込み、訓練を続けていた。
その甲斐あって既に兵士相手なら遅れを取らずに戦い、こうして戦場で姉の背中を守る事も可能となっていた。彼女が武将として独り立ちできる日もそう遠くはないようである。しかしそれも全てはこの戦に無事勝ってからの話。
「く……流石に……
新たに目の前の敵兵を斬り伏せながらアーデルハイドが荒い息で愚痴る。そのヴィオレッタは後陣から弓兵による援護を続けてくれているが、如何せん敵の数と勢いが大きすぎる。
アーデルハイドでは到底、マリウスのように敵の攻勢を一手に引き付けて、逆に無双して敵将を討ち取り相手の士気を挫くなどといった離れ業は不可能だ。そう間を置かずに限界がくる事は間違いない。そうなれば敵は一気にこちらの陣を突き破ってヴィオレッタの元にまで到達するだろう。その時にはアーデルハイドも討ち取られているはずで、待っているのは蹂躙だけだ。
「お、お姉様……! 流石に、もう……!」
「くぅ……まだか!? まだか、ヴィオレッタ殿……!!」
2人の周りを囲む敵兵の数は増える一方だった。逆に味方の兵士の数はどんどん少なくなっていく。最早戦線の崩壊は間近に迫っていた。
だがその時、遂に待ちに待っていた
****
ハルファル軍を率いるクリメントは勝利を確信していた。敵の本陣は最早瓦解寸前であり、このまま総大将を討ち取った後は混乱する敵軍を分断、蹂躙して終わりだ。
「ふ……所詮は女が率いる惰弱な軍。前回の戦では卑劣な策略に撤退を余儀なくされたが、正面からぶつかればこんな物だ。一息に揉み潰すぞ!」
クリメントの号令と共に更に攻勢を強めるハルファル軍。このまま勝敗が決まるかと思われたその時、一条の火矢が上空に打ち上げられて爆ぜた。ディムロス軍の後陣から放たれたようであった。
「うん? あれは……」
クリメントが訝しんだのも束の間、急に周囲が騒がしくなってきた。前線でのみ大きかった戦いの音がすぐ間近で聞こえるようになってきたのだ。
「何事だ!」
「も、申し上げます。敵の右翼、左翼による挟撃です! 敵は鶴翼陣を敷いている物と思われます!」
「……!」
鶴翼陣はハルファル軍が敷いている魚鱗陣とは対照的に、両翼に戦力を分散させ、敵を中央に引き込んだ後に両翼からの挟撃を目的とした殲滅戦に特化した陣形だ。しかし……
「ふん、小賢しい真似を……。鶴翼陣は上手く嵌れば強力だが、反面中央の防備が手薄になり相手に大きな隙を晒す事にもなる諸刃の剣よ。挟撃には構うな! ひたすら正面の敵本陣の殲滅と突破を優先せよ!」
だがそう指示を出したクリメントの耳に、
「な……?」
ハルファル軍はほぼ全軍を投入している為に援軍という事は絶対にない。するとこれは……
やがてその音が更に近付いてきて全容が明らかとなった。それは黒い馬に跨ったやはり黒い軽鎧に身を包んだ女性に率いられた騎馬隊であった。数は200騎ほどだ。
「ディ、ディムロス軍……!? お、おのれぇぇぇっ!!」
恐らく接敵するよりもかなり早い段階から別動隊として離脱していたのだ。そしてハルファル軍に見つからないように大きく迂回して後方まで回り込んだのだろう。
それを悟ったクリメントだが、今更陣形を変更して防備を固めるのは間に合わない。前方に戦力を集中させて丸裸となったクリメントらの本陣に、ディムロス軍の騎馬隊が一気に雪崩れ込んだ!
****
ソニアの右翼とジュナイナの左翼に戦力を集中させて、守備に長けたアーデルハイドの中陣を囮とする。手薄な中陣をもう少しで破れると思わせて引き付けておいて、戦力を大きく割いた両翼からの挟撃。しかしこれだけで敵は崩れない事を予測し、予め別動隊としてキーアに機動力重視の騎馬隊を率いさせて本隊を離脱。
ここでもやはりヴィオレッタがファティマと共にディムロスのみならず、隣接県の地形まで詳細に調べて地図を作製していた事が功を奏した。クリメントも把握していない間道を抜けてハルファル軍の後方へ回り込む事に成功したキーアは、戦場を見守りながらジッとヴィオレッタからの合図を待っていた。
そしていざ合図が打ち上げられて両翼の挟撃が始まると、敵軍が混乱から立ち直る前に一気に突撃。ハルファル軍の後背を突いたのである。
前方に戦力を集中させていたハルファル軍は、手薄な左右、そして後方からの包囲攻撃に大混乱に陥る。ここから先は細かな作戦などはない。とにかく押して押して押しまくるだけだ。そして総大将のクリメントを討ち取る事。それだけが目的だった。
「おおぉぉぉっ!! どけどけぇ! 大将はどこだぁっ!」
右翼を率いるソニアは当たるを幸い敵を斬り倒しながら、クリメントの姿を求めて敵陣の奥深くに斬り込んでいく。マリウスの抜けた穴は余りにも大きい。その穴を埋めなくてはという焦りにも似た使命感が彼女を突き動かしていた。
混乱する敵軍の中を斬り進んでいくと、他の兵士より立派な鎧に身を包んだ男が既にキーアと切り結んでいる場面に遭遇した。あれが敵将のクリメントに間違いなさそうだ。
「キーア! ソイツはアタシがやる! 手ぇ出すなっ!」
「ソニア様!?」
キーアが驚いて目を見開く。ソニアは構わずにクリメントに斬りかかった。
「おのれ! この……女共がっ! 舐めおってぇぇ……!」
ソニアの殺気を受けたクリメントがターゲットを変更してソニアに剣を向けた。ソニアが水平に薙ぎ払った刀を剣で受け止めると、クリメントは猛然と反撃してきた。
鍛えられた男の武人の一撃は受ける度に刀越しに衝撃が伝播し、ソニアの腕を痺れさせる。
「ちっ……!」
「ははは! 女如きが、私に勝てるはずがあるまい!」
舌打ちするソニアだが、クリメントの猛攻の前に防戦一方となり追い込まれる。
「ソニア様――」
「手ぇ出すなっつってんだろ!」
「――っ!」
ソニアの劣勢にキーアが加勢しようとするが、他ならぬソニア自身に一喝されて硬直する。
「自ら加勢を拒むとは……馬鹿め!」
クリメントは増々嵩に来て攻め掛かってくる。膂力も持久力もクリメントの方が上だ。反撃の糸口が掴めずにこちらの体力ばかりが消耗していく。
(ちくしょう……マリウスだったら、こんな奴アッサリ討ち取ってるはずなのに……!)
自分の力の無さが恨めしかった。こんな奴程度に苦戦する自分が情けなかった。何とか起死回生の一撃を狙おうと隙を窺うソニアだが、現実は非情であった。クリメントの猛攻の前に遂に受けを弾かれてしまった。大きく体勢を崩して隙を晒してしまうソニア。
(しまった……!)
「ははは! 終わりだ、女!」
クリメントが哄笑と共に剣を振りかぶる。ソニアは思わず死を覚悟して身体を硬直させる。
「――ソニアッ!!」
叫び声。そして何かが飛来する音。
「がっ! は……?」
「……!」
クリメントの背後から短槍が飛来して、彼の脇腹に深々と突き刺さった! 何が起きたのか解らず血反吐を吐くクリメント。
その少し離れた後方には短槍を投げた姿勢の……ジュナイナがいた。
「ソニア、今よっ!」
「く……ちくしょおぉぉぉぉぉっ!!」
体勢を立て直したソニアは歯噛みしながら刀を一閃させる。クリメントの首が宙を舞った。
「しょ、将軍が討たれた!?」
「あんな女にっ!?」
「も、もう駄目だ! 逃げろ! 逃げろぉっ!」
「た、助けてくれ! 俺は降伏する!」
ただでさえ大混戦となっていた所に、総大将たるクリメントの首が飛ぶ場面を見たハルファル兵達の戦意が崩壊。こうなればもう勝敗は決したような物である。降伏は受け入れ逃げ散る兵は追わずに、あくまで抵抗する兵は残らず殲滅した。
「皆の者! よく耐えた! 我等の勝利だ! 勝鬨を上げよ!」
アーデルハイドが剣を掲げると、それに呼応して兵士達が勝鬨を上げる。アーデルハイドもミリアムも何とか生きていたがボロボロであった。周囲の兵士達はもっと酷い有様だ。
ソニア、ジュナイナ、キーアの部隊も包囲や奇襲を成功させたにも関わらず、思ったよりも敵を押しきれずに反撃や抵抗を許してしまい、かなりの損耗を出してしまっていた。
勝つには勝ったが、はっきり言えば
「これは……宜しくないわね。今のままではガレスにもイゴールにも到底勝てない……」
ヴィオレッタが惨々たる有様の自軍を眺めながら厳しい表情で呟く。いや、ハルファル軍程度に苦戦しているようでは、勝つどころかまともな勝負になるかさえ怪しい。
マリウス離脱の影響の深刻さを改めて思い知らされた形だ。
「……戦力の強化は必須ね」
勿論兵力は補充し、軍備も整える。だがそれだけでは駄目だ。今回の戦は現在のディムロスの持てる力をほぼ全て動員したにも関わらずこの結果だったのだ。
(有力な……
名のある有力な将は殆ど他勢力に仕官している上に、引き抜きも不可能だ。何故なら……通常、優秀な者ほど
現在のディムロスに加わってくれるような酔狂な将はまずいないと見て良いだろう。いたとしても不純な動機の者くらいで、そんな連中に加わられても却ってマイナスにしかならない。
(ディムロスに戻ったらマリウスに相談してみましょうか……)
辛勝したディムロス軍だがこの機会を逃す訳にはいかない。ボロボロの身体に鞭打って進軍した彼等はそのままハルファルの街を包囲。実行兵力をほぼ失った上に自身は戦の才能は無い太守のドラガンは抗戦を諦め、ハルファルを捨てて下野するといずこかへ落ち延びていった。
こうして当初の目標であった3県を全て領有する事ができたマリウス軍。ディムロス、ギエル、ハルファルの3県でセルビア郡という一つの郡を形成しており、これを全て領有したマリウスはディムロス伯の称号の他に、朝廷より『セルビア公』の称号を賜る事となった。帝国での役職は太守、県令の上に当たる【刺史】だ。
帝国の身分上、役職上ではモルドバ公のイゴールと並んだという事になる。面従腹背外交もそろそろ限界だろう。
領土は増え官爵も上がったが、新たに増えた課題にも頭を悩ませるヴィオレッタであった。
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