第二十四幕 忍び寄る不安

 そして時は現在へと戻る。


 エストリーにあるゲオルグの別宅。マリウスは窓を破って屋敷に侵入し、キーアを挟んでゲオルグと対峙していた。


「今頃は僕の優秀な軍師に説得されたイゴール公が、ここに衛兵隊を派遣している頃かもね? 大人しく降参したほうが身のためだと思うよ?」


「ぬぅぅぅぅ……!!」


 ゲオルグがワナワナと巨体を震わせる。キーアの母親が証人に付いている以上、状況は宜しくない。ゲオルグは即決断した。


「こうなれば……ここで貴様らを殺し、全ての証拠を隠滅してやる! 儂はこんな所では終わらんぞ!」


「……!」


 ゲオルグが部屋の銅鑼に駆け寄って鳴らすと大きな音が響き渡った。ほとんど間をおかず、ドタドタと部屋に押し入ってくる武装した兵士達。10人はいるようだ。恐らくゲオルグの私兵か。ゲオルグ自身も壁に掛けてあった剣を手に殺気を放散する。


 マリウスはうんざりしたように頭を振った。


「ふぅ……なんで小悪党って皆やる事が同じなんだろう? キーア、悪いけど下がっててくれる?」


 今まではここでマリウスが片を付けて終了というパターンが多かった。だがここで少し意外な展開が起きた。



「……マリウス様。ゲオルグだけは私にやらせて下さい。いえ、私がやらなければならないんです!」



「……!」

 キーアの瞳が真剣なのを見て取ってマリウスが目を細める。


「……解った。じゃあ僕は雑魚どもを引き付けておくよ。本当に大丈夫だね?」


「は、はい! 大丈夫です! ありがとうございます、マリウス様!」


 決然と頷くキーア。当然だが彼女の武器はこの屋敷に入る際に取り上げられている。マリウスは元々彼女の護身用にと余分に携帯してきた小剣を受け渡す。



「殺せ! 殺せぇぇっ!!」


 ゲオルグの怒鳴り声と共に、抜剣した兵士達が斬りかかってくる。マリウスは彼等をゲオルグから引き離すように巧みに誘導しながら斬り結ぶ。広い部屋は忽ち剣戟音と怒号に包まれる。


 それらを背景にゲオルグに肉薄したキーア。ゲオルグもまた双眸を憤怒に燃え上がらせて彼女を睨み据える。


「おのれぇ! 殺してやる! 殺してやるぞぉ!」


「ゲオルグ! 私と母が受けた苦しみを味わいなさい!」


「黙れっ!!」

 ゲオルグが持っていた剣を振り下ろしてくる。まるで武人かと見紛うような鋭い一撃。キーアは回避する余裕もなく咄嗟に剣を掲げて受け止めるのが精一杯であった。


 金属音と共に恐ろしい程の衝撃が剣に加わり、キーアの体勢が大きく崩れてしまう。


「くっ!?」(お、重――)


「ぬふふ! 所詮本職は文官と侮ったか? 剣の腕はそこらの武官に引けはとらんぞ!」


 キーアの体勢が崩れた隙を逃さずに、追撃を仕掛けてくるゲオルグ。


「そうら!」

「ぐぅ……!?」


 次々と振るわれる剣撃に防戦一方となり、体勢を立て直す余裕もなく追い込まれるキーア。いや、ゲオルグの鋭い斬撃に体勢を立て直すどころか、受ける度にどんどん逆に体勢を崩されていってしまう。そして……


「うっ!?」


 壁際まで追い込まれたキーアは、遂に転倒して尻もちを着いてしまう。ゲオルグの目が凶悪に光る。


「終わりだっ!」


 止めを刺そうと剣を大きく振りかぶる。それは相手が剣を弾き飛ばされて丸腰であるなら問題ない動作であった。しかしキーアは防戦一方であっても、決して剣を手放さなかった。


 文官でありながらアロンダイト流の免許皆伝を受けているゲオルグ。普段であればこのようなミスは犯さなかったであろう。だがイゴール公に自らの犯行が露見した事で、ゲオルグの中にも焦りが生じていたのだ。


 勝負を焦ったゲオルグが剣を大きく振りかぶったをキーアは見逃さなかった。



(今――!!)

「てやぁぁぁっ!!」



 尻もちの体勢から上体を折り曲げるようにして、剣を突き出した!


 

「お……お……?」


 ゲオルグが剣を振りかぶった姿勢のまま固まる。そして信じられない物を見るような目で、自らの胴体に突き刺さった剣を見つめた。


「ば……わ、儂が……こんな、小娘に……」


 その手から剣が落ちる。口から血を吐き出した。そのままその巨体がドゥっと横倒しになった。




「はぁ……はぁ……か、勝った、の?」


 キーア自身も信じられないように、震える自分の両手と倒れたゲオルグの姿を交互に見やっている。そこに近づいてくる足音。


「……キーア。見事だったね」


 マリウスであった。気づけば背景で鳴り響いていた戦いの音は止んでおり、ゲオルグの私兵達が一人残らず床に転がっていた。


「あ……マ、マリウス様。あ、ありがとうございます……」


 マリウスが差し出した手を取って、立たせてもらう。そして床に転がる私兵達に気づいて目を丸くした。


(こ、これをお一人で、しかもあの短時間で……!?)


 それも自由に戦うのではなく、キーアの方に敵を寄せ付けないように位置取りに気を付けながら戦っていたはずなのにだ。


 キーアはかつてディムロスでマリウス相手に剣を抜いて抵抗しようとしていた自分を思い返した。


(最初から私なんかが相手になるようなお方ではなかった訳ね……)



「キーア? どうしたの?」


 苦笑いするキーアの様子に首を傾げるマリウス。


「あ、い、いえ……。それより、私達を助けて頂き本当にありがとうございました。この御恩は生涯忘れません」


「君も含めて皆で協力した結果さ。……さあ、イゴール公の衛兵隊が到着する前にここを引き払うとしよう。モルドバで母君が待っているはずだよ」


「……! そ、そうですね! 宜しくお願いします!」


 そしてマリウスはブラムドに、キーアも自身の黒馬に跨がり、イゴールの衛兵隊とすれ違うようにして一路モルドバへと駆け戻るのであった。

 


****



 夜が明けた翌日の昼下がり。モルドバの宮城の外れにある庭園の一角で、母娘が再会を果たしていた。涙を流しながら抱き合い、お互いを気遣うアルマとキーア。


 その光景を少し離れた所で眺めていたマリウス達。


「ふぅ……これで何とか一件落着かな? ヴィオレッタも本当にご苦労さま。お陰でイゴール公と戦争にならずに済んだよ」


 横で同じくキーア達を眺めていたヴィオレッタが肩をすくめる。


「元々は私が撒いた種なんだし、その回収に全力を尽くすのは当然の事よ。労いならファティマにしてやって頂戴。本来関わりなかったのに、情報収集からアルマの居場所の特定、そしてアルマをモルドバまで護衛して絶妙のタイミングで連れてきてくれたりと大活躍だったからね」


 ヴィオレッタの視線の先でそのファティマが微笑む。


「いいのよ。キーア達の事を調べる過程で私も彼女達に感情移入しちゃってたし。それにこれは貸しだからね? その内ちゃんと利子つけて返してもらうから」


「うふふ、どんな利子を付けようか楽しみだわ」


 彼女達流の冗談なのだろうか。2人の才女は目を細めて笑いあった。しかしファティマが実際に非常に役立ってくれた事は事実だ。彼女がいなければこんなスムーズに事は運ばなかっただろう。



「そうだね、本当にありがとう、ファティマ。僕からも何かお礼をさせて欲しい」


「お礼、ですか? ……それならお礼代わりに一つお願いを聞いて頂けますか?」


 一瞬何かを考えたようなファティマだったが、すぐに顔を上げた。マリウスは頷く。


「勿論構わないよ。僕に出来る事なら、だけど」


「それほど大層な物ではありません。私を正式にマリウス様の国に加えて頂きたいのです」


「……! それは、仕官って事かい? 勿論ファティマなら大歓迎だけど、一応理由を聞かせてもらっても?」


 ヴィオレッタも認める彼女の情報収集能力は、国の政策や戦略にも極めて有用だ。しかもヴィオレッタによると兵法にも通じていて軍師としての適正もあるのだとか。それが本当なら将来戦線が広がった際に、ヴィオレッタの留守を預かってもらうのにも最適だ。


「単純に占い師の端くれとして、あなた達の行く末に興味が沸いたんです。それにあの頑なで世を斜めに見ていたヴィオレッタをここまで傾倒させたマリウス様個人にも興味がありますね」


「ちょ、ちょっと、ファティマ!?」 


 案の定ヴィオレッタが顔を赤らめて慌てた風になる。マリウスへの慕情や敬愛を揶揄された事への動揺と、ファティマがマリウス個人に興味があるなどと発言した事への動揺が重なった結果のようだ。


 そんなヴィオレッタの有様を横目で楽しみながらマリウスは首肯する。


「ふふふ、そういう事なら期待を裏切れないな。僕達は君を歓迎するよ。これから宜しくね、ファティマ」


「ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします、マリウス様」


 マリウスは彼女の手を取って気障に口づけする。



「マ、マリウス……。もう! 勝手にして頂戴!」



 不貞腐れた様子になったヴィオレッタがそっぽを向く。だがその視線を向けた先、キーアがこちらに歩いてくるのが見えた。アルマは近くのベンチに座って休んでいた。



「あ、あの、マリウス様……」


「ああ、キーア。無事に母君と再会できて何よりだったね」


 マリウスが手を上げてそれに答えると、キーアは感極まった様子で頷いた。


「は、はい、本当に……。皆様には何とお礼を言って良いのか……。母共々、この御恩は一生忘れません」


 深々と頭を下げる。しかし再び頭を上げた時には、その顔には悲壮な感情が宿っていた。


「……しかし私が皆様に……ディムロスの街に迷惑を掛けたのは紛れもない事実。今ここで自首させて頂き、罪に服します。どうか私に償いをさせて下さい」


 彼女の瞳は真剣そのものだ。どうやら非常に律儀な性格であるらしい。マリウスは困ったようにヴィオレッタに助けを求めた。彼女はハァ……と嘆息した。


「それで? あなたが投獄されて、またあの母親に心労を掛けるの? というより、あなたが投獄されたら誰が彼女の面倒を見るの?」


「……っ! そ、それは……でも……」


 キーアの表情が歪む。母親の事は心配だが、さりとて自分の罪が消える訳ではないと思って、板挟みの感情で悩んでいるのだろう。そこにヴィオレッタは第三の道を提示する。


「そんなに償いがしたいのならさせてあげる。あなたも私達の軍に加わってもらうわ。マリウスの臣下の1人としてね」


「……!? わ、私が……? でも……良いんですか? 私は皆さんに散々ご迷惑を掛けたのに……」


「あなたは自覚が無かったでしょうけど、あなた結構ディムロスで話題になってたのよ? それも民からは概ね好意的にね」


「……!」


 被害に遭った富裕層や振り回された衛兵たちはその限りではないかも知れないが、それは今この場で言う必要はない。


「人気の女義賊が傘下に加わり、敢えて罰しなかった事でマリウスも度量の広さを示せる。あなたも危険で不安定な傭兵稼業から足を洗って安定した働き口を得られる。そして私達の為に身を粉にして働く事で償いにもなる。あなたにも母親にも、勿論私達にとっても、皆にとって得になる話よ。断る手はないと思うけど?」


「…………」


 キーアはそれでも若干考え込んでいた様子だったが、やがて再び顔を上げた。ただしその表情は穏やかな物となっていた。


「……ご厚意と温情に感謝致します。皆様さえ宜しければそのお話、受けさせて頂きたく存じます。きっと母も喜ぶと思います」


 その返答にマリウスもホッとして破顔した。そして彼女に手を差し出す。


「決断してくれて良かった。僕は勿論大歓迎だよ、キーア。これから宜しくね?」


「は、はい! 宜しくお願いします、マリウス様!」


 キーアもまた緊張を解いて、その手を握り返す。成り行きを見守っていたファティマも加わって、3人で今回の事件を振り返って談笑している。



 ヴィオレッタはその輪から一人外れて物思いに耽る。


(これで本当に一件落着、かしらね? とんだ置き土産・・・・だったわね、ミハエル。でも……本当に・・・ただの置き土産だったの?)


 それは今回の事件に対処している最中に、ふと浮かんだ疑問だった。


(姿を消したミハエルの行方は未だに解っていない……。他の3人が巻き込まれた事件といい、何か悪い事の前触れでなければいいけど……妙な胸騒ぎがするのよね)

  

 




 マリウス軍に新たな2人の戦力が加わった。ヴィオレッタに次ぐ準軍師のファティマ。そして凄腕の女傭兵キーア。徐々に充実してくる戦力。ディムロスの国力や兵力も順調に伸びている。何も問題はないはずだった。 


 しかしここ最近になって自分や同志達に立て続けに起きた一連の事件に、ヴィオレッタは一人言い知れぬ不安を抱くのであった……


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